必死に立ち回る神木隆之介を愛でたい! イジリ倒したい!『刑事ゆがみ』の楽しみ方

日刊サイゾー / 2017年10月27日 20時0分

 スタッフの神木さんに対する信頼と、神木さんの信頼に応える芝居。この2つの相乗効果により、羽生くんに感情移入した視聴者は羽生くんと一緒に泣いたり怒ったりしながら楽しめますし、仮に彼本人に感情移入できなくとも、弓神がわかりやすいキャラなので、弓神の側から必死に立ち回る羽生くんをイジっている(愛でている)ような感覚を味わうことができる構図になっている。わりと全年齢的に見やすい作品だと思うんですよ。視聴率の話はとりあえず横に置いとくとして。

■「容疑者はウソをつく」を引き受けている脚本

 もうひとつ、このドラマがよく頑張っているなぁと思うところがあります。

 刑事ドラマにおいて、容疑者がウソをつくことは珍しいことではありません。むしろ、罪状を否認してくれなければ話が進まないともいえるので、おおむね、どんなドラマのどんな容疑者もウソをついています。

 容疑者がウソをつく生き物である限り、視聴者はその言葉のすべてを疑ってかかることになります。だからドラマは、彼らが「ウソをついていない」ときには「ウソをついていませんよ」と明確に主張する必要が出てきます。

 例えば取り調べにおいて、刑事が母親のエピソードを聞かせる。容疑者は涙ながらに罪を自白する。よくあるパターンです。

 このドラマでも、羽生くんが頑張って取り調べをするシーンが頻繁に出てきます。あえて古典的に、『太陽にほえろ!』みたいに、机を叩いたり恫喝したりする羽生くんが演出されますが、決して自白を引き出すことができません。なぜなら羽生くんの取り調べは、常に的外れで、真相ではないからです。

『刑事ゆがみ』は、こうしたシーンで容疑者に必要以上に否認させません。容疑者はウソをつく生き物であり、その言葉は常に視聴者に疑われるということを引き受けているのです。

 では、どうしているか。言葉ではなく、行動によって「明確な否認」を描いています。行動はウソをつかないからです。

 例えば第2話。斎藤工演じる下着泥棒は、泥棒に入った家で、寝ていた女性に暴行を働いたという容疑がかけられていました。

「俺は下着にしか興味がないからレイプはしない」

 結果的に、真相はそういうことなのですが、これを言葉で言われても説得力は皆無です。しかし、彼が「女性が在宅中で、寝ているときにしか盗みに入らなかった」という過去の行動が示されることで、「今回も寝ている女性をレイプしなかった」という主張が補強されることになるのです。

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