“革命家”足立正生が語る若松孝二と共闘した時代「若者が感じる閉塞感は今も変わらない」(後編)

日刊サイゾー / 2018年10月17日 19時30分

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 インディーズ映画界の巨匠・若松孝二監督と「若松プロ」に集まった若者たちの熱き青春の日々を描いた白石和彌監督の実録映画『止められるか、俺たちを』が絶賛公開中だ。現代のカルチャーシーンにも多大な影響を与え続けている「若松プロ」を語る上で外せないのが、若松監督の盟友だった足立正生監督である。“伝説の男”足立正生へのインタビュー後編では、大島渚監督率いる「創造社」とのコラボレーション、「若松プロ」唯一の女性助監督だった吉積めぐみさんとの思い出、パレスチナに渡った後も続いた若松監督との友情について語ってもらった。

──足立さんは「出口出」名義で脚本を書き始めたわけですが、日活の助監督だった大和屋竺を中心とした「大谷義明」と作品カラーを一新しようという狙いもあった?

足立 それはありました。大和屋さんたち日活グループとの間に印象に残っているエピソードがあります。マンションの一室のみで撮影する『胎児が密猟する時』(65)を製作することになり、大和屋さんたちに呼び出されたんです。「俺たちは日活でがんばっている。若松さんは安くて、面白ければいいという理由で、屋内で撮影するつもりだろうが、それが常習化したらどうする? 映画の持つスペクタクル性が失われてしまうぞ」と。僕はそれに反論しました。「いや、違う。密室の中にもスペクタクル性は溢れているんだ。もともと俺は密室に興味があり、本気で撮りたいんだ」と話すと、「本気ならいいんだ」とあっさり認めてくれた(笑)。ところが『胎児が密猟する時』は配給側から拒否されてしまい、僕もメンツがあったから、それで若ちゃんと映画館を一軒ずつ回って、上映するよう頼んで回ったんです。

──大和屋竺たち日活グループは、鈴木清順監督のもとで「具流八郎」を名乗って脚本を書いていた。

足立 そうです。清順監督の『殺しの烙印』(67)の脚本は「具流八郎」名義になっています。僕もシュールレアリズムは好きですし、清順監督も尊敬していたし、清順監督が撮った映画は大好きでした。でも、その一方で「気取りすぎだ、バカヤロー」「ピンク映画じゃ、そんな映画は撮れないぞ」という反発心もあった。それもあって僕はスキャンダリズムへと走り、犯罪の中にある意外性やその本質みたいなものを中心に描いていこうと考えるようになったんです。

■若松孝二と大島渚との創作スタイルの違い

──足立さんは「若松プロ」だけでなく、松竹を辞めた大島渚監督が設立した「創造社」とも交流を持つようになりますね。

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