ジャニーズ事務所の歴史秘話~スカウト、合宿所、落ちこぼれ組【ジャニー喜多川氏追悼特集3】

日刊サイゾー / 2019年7月19日 23時58分

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 日本芸能界において数々の功績を残したジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏が急逝した。ここでは特別寄稿として、雑誌ジャーナリズムにおける、ジャニーズ事務所と対峙した“縁のある識者”らに、彼が残した芸能界への功績と寄稿者によるジャニーズ関連記事への思いを振り返ってもらいたい。第三回目は、「週刊文春」誌上にて、ジャニー喜多川氏ホモセクハラ疑惑のキャンペーン記事に携わった芸能ジャーナリストの二田一比古氏。

 芸能界に大きな足跡を残した「ジャニーズ事務所」創設者・ジャニー喜多川氏が87年の生涯を閉じた。私にとってジャニー氏は常に取材対象者であり、なにかと因縁のあった芸能プロ社長のひとり。だが、直接本人を取材することは結局叶わなかった。

 ジャニー喜多川氏は米国ロサンゼルスで生まれた。両親は共に日本人。真言宗の僧侶だった父親が布教の為に渡米。リトルトーキョーにあった高野山米国別院の主幹を務めていた関係で、幼少期はロスで過ごす。両国の国籍を所有していた。一時、日本に戻り和歌山や大阪で過ごしたこともあったという。母親が若くして他界したため、姉で現・ジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川氏が2人の弟の母親代わりだった。

 姉弟の絆も、ジャニーズ事務所の原点である。事務所成立して後も2人は苦楽をともに過ごした。現代版「安寿と厨子王」と呼ばれる所以である。

 2人は当時の事をあまり語ることがない。人を介してして知ること以外に知る由もない。ちなみに、2人の間にいたジャニー氏の兄は米国「NASA」で、科学者として働いていたという。ジャニーズ事務所には関わっていなかったとされている。それでも、ジャニー氏がタレントらを連れてロスで本場のショーなどを学ぶ際には、兄がガイドをしながら面倒を見ていたという。

「僕らは確か“マー坊さん”と呼んでいました。ジャニーさんと同じようにとても親しみやすい人で温厚な人でした。よく面倒を見てもらいましたね」(ジャニーズOB)

 50代で死去。家族はいたというが、杳としてその後の家族についてはわかっていない。

 話はそれたが、ジャニー氏は帰国後、男性アイドルグループ「ジャニーズ」を結成(後述)し、ジャニーズ事務所を立ち上げる。他の事務所の社長と同じように黒子に徹していた。一時はその姿すらメディアの前に見せることはなく、いつも現場に来ていた広報担当者をファンらは「ジャニーさん」と思っていたこともあったようだ。

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