劇場版『シュタインズ・ゲート』レビュー ガジェットをそぎ落とした剥き出しのラブストーリー

ダ・ヴィンチニュース / 2013年5月31日 17時30分

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『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』

 4月20日より公開され、大ヒット中の『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』。ゲーム版、テレビアニメ版ともにトゥルーエンディングを迎えた『シュタインズ・ゲート』のその先に、一体何があったのか。あれから1年、再び夏を迎えた未来ガジェット研究所の懐かしい面々に逢うため、ロングランを続ける劇場へと訪れた。

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 岡部倫太郎の苦闘により手に入れた平穏な世界。しかし、リーディングシュタイナーの能力により経験した全ての世界線での悲しみや絶望の記憶をひとりで抱え込んだ岡部の脳は、その負荷に耐えられず、いまここシュタインズ・ゲートの世界で「存在」し続ける事が困難になっていた。フラッシュバックの様に襲いかかる、忌まわしい記憶。1年振りに秋葉原に帰って来た紅莉栖を囲んでのバーベキューパーティの翌日、コインランドリーのベンチから岡部はこつ然と消えてしまうー。

 あらゆる人間の記憶から存在が消え、岡部などはじめからいなかった世界。物語は、唯一岡部の記憶を取り戻した紅莉栖の孤独な闘いを描く。ゲーム版、テレビ版、いくつもの分岐の果てに真のヒロイン認定された紅莉栖と岡部の関係にぐっとフォーカスを絞った形だ。今回の劇場版『負荷領域のデジャヴ』には、複雑なタイムパラドックスも難解なSF設定も無く、鈴羽による物語の推進も強引といえば強引だ。そこにあるのは、ガジェット(小道具)をそぎ落とした、剥き出しのラブストーリー。テレビシリーズ2クール目で、ひとつひとつのDメールを取り消して行った様に、スタートラインまで立ち戻ったところに物語の核はあった。

 岡部無き世界での闘いの中、紅莉栖は岡部が受け止めた絶望的トライ&エラーのループを追体験し、それにより摩耗してゆく人の心と悲しみに思いをはせる。

 キーワードは「観測者」。量子力学では「事象」は観測される事によって多くの可能性から一点に収束するが、人も、誰かに見られ、感じられ、愛されて、その記憶に残る事によって初めてこの世界に存在する。2005年に降り立った紅莉栖の目の前に横たわる墨絵のような街並、そして決定的な出会いにより世界に光が射し、頭上に広がる晴れ間。都電荒川線沿線をロケーションした美しい美術とともに映し出されるシーンは、劇場版ならではの完成度を誇る。そして訪れるラストシーン。岡部のセリフにより、テレビシリーズで起きた事実はそのままでその意味が書き換えられる。鳳凰院凶真になりかわった紅莉栖により、世界は騙され、そして我々も…。

 最後に付け加えれば、否応なく漂ってくる終りの気配も、今作の大きな特徴だろう。生きてゆく悲しみや苦しみ、自分勝手な行動が他者へ与える影響を知った岡部や紅莉栖は、もう無責任な子供ではいられない。狂気のマッドサイエンティスト・鳳凰院凶真という仮面の裏のナイーブな青年の素顔を見てしまった我々も、もう無邪気にその厨二病を笑う事は出来ない。岡部不在の世界では、ラボの閉鎖を回避するためにあのダルが慣れないスーツに袖を通す。もちろんそれは、もしかしたらあったかもしれない世界なのだが、いまこの世界でも、いつか祭りは終わり、誰もが大人になってゆく。

 そんな夏の終りの予感が物語の端々から滲み出てくる。2011年の夏は、2010年の夏ではない。それは、岡部たちと同世代のファンにはより切実に感じられるだろう。

文=柳井洋二
(ダ・ヴィンチ電子ナビ アニメ部より)

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