最期を「どこ」で「どう」迎えさせるか? 医師が考えた「親の死なせかた」とは?

ダ・ヴィンチニュース / 2013年8月26日 11時40分

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『親の死なせかた 医者が父母の最期を看取って考えたこと』(米山公啓/PHP研究所)

 ますます高齢化が進む日本。厚生労働省の調査によると、平成24年の日本人の平均寿命は男性79.94歳、女性86.41歳となり、男性の平均寿命は過去最高で世界5位にランクアップ、女性は前年に香港に明け渡していた世界1位の座に返り咲いている。しかも日本人の三大死因である「がん」「心疾患」「脳血管疾患」の死亡率は減少傾向にあるそうで、厚生労働省は「日本人の平均寿命は今後も伸びる可能性がある」としているそうだ。

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 しかし医師である米山公啓氏は「現代の医学は健康で長生きということも可能にしているが、認知症や脳卒中で寝たきりになり、末期の状態であっても、昔のように家で静かに息を引き取るということを非常に難しくさせてしまった」という。その米山氏が医師としての立場ではなく、子として肉親の死に直面し、親が安らかな死を迎えるための考え方を、最新の医療情報を交えながら伝えるのが『親の死なせかた 医者が父母の最期を看取って考えたこと』(米山公啓/PHP研究所)だ。

 この『親の死なせかた』というタイトルを「ヒドい」と思った人は、「まだ介護や親の死をリアルにイメージできていない証拠」と米山氏は言う。

 医学が格段に進歩し、胃に穴を開けて直接栄養を送り込む「胃ろう」が簡単にできるようになって(これまでは点滴や鼻からチューブを入れて栄養をとることが主流であった)、口から食べられなくなっても生きていくことができるようになったことが、長期の入院や介護の原因になってしまっていると米山氏は指摘している。そして延命した結果、介護する寝たきりの親とはコミュニケーションもとれない、しかもこれがいつまで続くかわからない、だったら延命的な処置はしない方がよかったかもしれない……と思ってしまうそうだ。かといって寝たきりになってしまっている親の延命処置を終える(胃ろうをやめるなどの判断)というのもなかなかできる選択ではない。

 家族に看取られて家で死にたい、親を家で看取りたいと願う人は多いが、目の前でひどい幻覚や痛みに苦しんでいる親に対して何もしない、ということができる人は少ないだろう。結局救急車を呼び、病院に搬送して延命治療を行い、医師に言われるがまま治療をしてしまうことになる。「死なせる決断」を自分がしたくないと思った結果、幸せな最期を迎えることを難しくさせてしまうのだ。

 そうならないためには、病気予防をして、もしもの場合はどうして欲しいのかを親子で話し合うことが大事だと言う米山氏。そして「もし口から物が食べられなくなったら、延命せずに何もしない(そこまでは努力をする、という前提のもと)」という共通意識を国民全員が持たないことには、現状は何も変わらないという。日本の人口のボリュームゾーンである団塊の世代が高齢者となりつつある今、介護が必要な寝たきりの人が増えていくことは確実であり、これらは喫緊の課題なのだ。

 しかし高齢者の死への考え方は、ここ10年で変わってきたそうだ。そして看取り経験のある人ほど、自分がもしもの場合は延命治療を望まない傾向にあるという。逝く方も、そして見送る方も安らかな気持ちで死に向き合えるよう、やっておくこと、知っておくことを本書から学んで欲しいと思う。そして本書と合わせて、同じ米山氏の著書『子どもに迷惑かけたくなければ死の迎え方は自分で決めておきなさい』(米山公啓/ディスカヴァー・トゥエンティワン)も読んで、元気なうちに「もしもの場合の自分の終末期医療の選択」を考えておくこともお勧めする。


文=成田全(ナリタタモツ)
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)

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