ノーベル文学賞候補といわれた作家・安部公房の封印されてきた過去

ダ・ヴィンチニュース / 2013年8月27日 11時40分

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『安部公房とわたし』(山口果林/講談社)

 今年没後20年を迎えた作家、安部公房。昨年、戦時中満州にいた安部公房が引揚船の中で執筆したといわれる未発表の短編『天使』(『(霊媒の話より)題未定:安部公房初期短篇集』(新潮社)に収録)が実弟宅で発見され、話題となったことも記憶に新しい。安部は1948年に『終りし道の標べに』でデビューし、1951年『壁―S・カルマ氏の犯罪』で芥川賞を受賞。その後は『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』『密会』『カンガルー・ノート』などの小説や『棒になった男』『愛の眼鏡は色ガラス』などの戯曲、さらに脚本、評論や随筆なども執筆し、「ノーベル文学賞の最有力候補」と言われていたが、惜しくも1993年1月22日、68歳で死去した。

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 この時、安部の死因は急性心不全と発表された(全集や死後出版された年譜にはそう記されている)が、本当はガンを患い、闘病していたという。そうしたこれまで封印されてきた素顔の安部と、交際していた女優・山口果林の半生が綴られたのが『安部公房とわたし』(山口果林/講談社)だ。

 出会いは、山口が18歳の時。桐朋学園大学の演劇科を受験した際、安部が面接官を務めていたことだ。その後、教え子となった山口は妻子ある23歳年上の安部と交際を始め、それから20年以上、安部が死ぬまで関係が続くことになる。そして女優としてデビューする際、「山口果林」という名前を考えたのは安部だったそうで、その名前を考えたメモが本書の表紙を開いた部分に載っている(裏表紙を開くと、山口果林に献本された際に書かれた、安部の幾何学的なサインが印刷されている)。

 カメラに凝っていた安部は『方舟さくら丸』のカバー写真や『箱男』の写真を撮影しているが、これらの小説の舞台探しと撮影にも山口は同行、「君の写っていない写真を探すのに苦労した」と安部に言われたそうだ(本書冒頭に掲載されているカラーページでは、安部が撮影したであろうベッドに横たわってコップを手にした山口のヌードなど素顔を写した写真があるが、山口はインタビューで「誰が撮影したのかはご想像にお任せします」と発言している)。また日本の作家で一番最初にワープロを使い、シンセサイザーもいち早く手に入れて曲を作ったりした安部だが、その新しもの好きであるエピソードも随所に見られる。

 執筆に関してのエピソードも多い。安部から「だんだん書くことが辛くなる」「ただひたすら深夜の高速道路を走り続け、ブラックホールに飲み込まれてしまいたい気持ちになる」と言われた山口は、その言葉に衝撃を受けたと記している。文壇との付き合いを好まなかった安部の他の作家への評価や、小さな世界で完結するものを好む姿なども活写されている(まさに『砂の女』や『方舟さくら丸』などを彷彿とさせるエピソードだ)。また現実の風景を小説で忠実に再現することはほどんどなく、撮影した写真やエピソードなどが自然発酵するのをじっと待っていたという安部。ちなみに『箱男』は、上野駅の警察官詰め所で見聞きした浮浪者の話がきっかけとなったそうだ。とかく難解といわれ、私小説をまったく書かなかった安部だが、さまざまな日常の出来事やアイデアを取り込み、小説にしていった姿を知ることができる。

 NHKの朝の連続テレビ小説『繭子ひとり』の主演で人気となった山口だが、その直前に妊娠がわかって中絶手術を受けていたり、少女期に性的いたずらをされていた過去など衝撃的な内容もある。しかし本書はスキャンダラスではなく、静謐さが支配している。静かに過去を見つめる女優・山口果林の半生から、死に向かう20世紀を代表する作家・安部公房の、これまで公にされなかった別の姿を知ることができるだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)
(ダ・ヴィンチ電子ナビより)

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