54年と8ヵ月6日5時間32分20秒3…これマラソンの記録です (『箱根駅伝に賭けた夢 「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡』ブックレビュー)

ダ・ヴィンチニュース / 2014年1月1日 11時20分

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『箱根駅伝に賭けた夢 「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡』(佐山和夫/講談社)

 お正月と言えば箱根駅伝。元日には実家に挨拶に行き、2日と3日は自宅で箱根駅伝に燃えるというお正月を、もう20年以上続けている。山の神のゴボウ抜きに興奮し、倒れて動けない選手を母のような気持ちで心配し、繰り上げスタートに涙する。「お正月切ない言葉選手権」があったら、間違いなく優勝は「繰り上げスタート」だと思う。

当時の様子がわかる画像付き記事はこちら

 しかし、ちょっと待って。ただでさえ過酷な長距離走なのに、なんでわざわざ箱根の坂を登るの? 天下の剣ですよ難所ですよ。もっといい場所あったでしょう。そんな疑問に答えてくれたのが本書『箱根駅伝に賭けた夢 「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡』(佐山和夫/講談社)だ。なんと箱根駅伝は、その第1回が開催された1920年当時、「アメリカ横断マラソンを敢行するためロッキー山脈を走って越える練習」として始まったのだと言う。ええええ、アメリカ!? ロッキー山脈!? どっからそんな話が!

 その途方もない計画のきっかけとなったのが、本書の主人公、金栗四三(かなくり・しそう)さんだ。明治24年生まれ。熊本県出身。日本が初めて参加したオリンピック(1911年・ストックホルム大会)のマラソン日本代表選手だった。このときの日本人参加は短距離走の三島弥彦選手と彼のふたり。つまり日本初のオリンピック選手である。本書は金栗の生涯を追ったノンフィクションだ。

 このストックホルム大会のエピソードがすごい。金栗はレース途中で意識を失って倒れ、翌朝まで近所の家で介抱されていた。当然レースは棄権なのだが、なぜか棄権という記録が残っていない。かといってゴールの記録もない。記録上、金栗はずっとストックホルムの森の中を走り続けていることになっていたのだ。

 これに気付いたストックホルム側が、オリンピックから半世紀以上が経過した1967年のオリンピック開催55周年式典に金栗を招待、そこで76歳の金栗はゴールテープを切った。そのとき場内には「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヵ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされたという。

 何とも粋で、何とも感動的だ。しかし金栗にとってこの初オリンピックでの結果は決して満足行くものではなかった。その後も彼は走り続ける。しかしベルリンオリンピックは第一次世界大戦のため開催中止。競技者として最も脂の乗った時期に彼は雪辱のチャンスを失う。その後、現役ランナーを続けながら、世界で戦うための後進育成のため、彼は活動を始める。走る姿を見せることで啓蒙になればと、全国を走った。大学生や地元ランナーとともに走った。そしてマラソンの訓練として駅伝を広めたのだ。

 それがどうしてアメリカ横断につながるのかはぜひ本書をお読みいただきたい。ここには金栗の壮絶な、けれどとても幸せだったに違いない一生がある。ストックホルムでも金栗のことは報道されている。今私たちが熱中して見守る箱根駅伝も、各地で開催され人気のマラソンも、彼が第一歩を記したのである。ついでに言えば、あのグリコのマークのモデルでもある。もっと日本人に知られていい人物だろう。箱根駅伝の前に、ぜひお読みいただきたい。

文=大矢博子

ダ・ヴィンチニュース

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