メディアミックス戦略の先駆け! 「角川映画」の歴史を紐解く

ダ・ヴィンチニュース / 2014年3月16日 9時20分

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『角川映画1976-1986 日本を変えた10年』(中川右介/KADOKAWA 角川マガジンズ)

 1976年10月16日、1本の映画が公開された。その映画は、仄暗い屋敷の奥にある一室で病床に伏せる老人を囲む一族の姿から始まる。彼らは老人の容態ではなく、莫大な遺産の行方を示す遺言が発せられるのを固唾を呑んで待っているのだ。しかし遺言書は顧問弁護士が預かっている、という言葉に一族は驚く。やがて老人は息を引き取り、医師の「ご臨終でございます」という言葉に続けて、大野雄二作曲の『愛のバラード』が流れ、黒バックに白抜きのおどろおどろしい書体でタイトルが映し出される。タイトルの後には白抜きの明朝体、そして縦横に文字が走る特徴あるタイポグラフィで「制作 角川春樹」と出る。この人こそ、70年代から90年代にかけて一世を風靡した「角川映画」の総帥・角川春樹だ。そしてこの映画が、角川春樹事務所第1回作品となった『犬神家の一族』だ。後に「角川映画」と呼ばれることになる映画界の風雲児の歴史を追ったのが、『角川映画1976-1986 日本を変えた10年』(中川右介/KADOKAWA 角川マガジンズ)だ。

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 本書によると、当時「斜陽産業」であった映画界に対し、1942年生まれの角川春樹は「自分たちの世代が動かなければ、日本映画の閉塞状態は打破できない」と考えていたという。ダスティン・ホフマン主演の映画『卒業』を見て、活字・映像・音楽というメディアミックス戦略の重要さに気づいた角川春樹は、『犬神家の一族』の制作費に2億2千万円を使う。そして原作者である横溝正史の本を売るためのフェアを打ち出し、それまで「テレビは映画の客を奪った敵」として行われていなかったテレビコマーシャルを流すなどの派手な宣伝を行い、総宣伝費に3億円を使ったそうだ。制作費よりも宣伝費の方が高い、という前代未聞の戦略だった。角川春樹はこの賭けに勝ち映画は大ヒット、その後空前のミステリーブームまで巻き起こして本を売りまくった。さらには薬師丸ひろ子や原田知世などを発掘するスターシステムや、配給システムなど映画界の古い体質を一蹴するなど、日本映画に革命を起こしていく。

 その角川春樹、文庫本にカラー刷りのカバーを付けるということを最初にやった人物なのだそうだ(それまでの文庫本は半透明のパラフィン紙のカバーに包まれていた)。さらに作者ごとに背表紙の地色と文字の色を決め(ちなみに横溝作品は黒字に緑文字)、遠くから棚を見て目立つような工夫をし、さらには作家ごとに表紙のイラストレーターを替えるということも最初に行っている。彼の功罪はさておき、映画や出版など自身が関わったあらゆる場面で「革命」を起こし、しかも今ではそれが「普通」になっていることに驚く。

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