極限状態に30年…小野田寛郎さんが遺した言葉

ダ・ヴィンチニュース / 2014年4月2日 12時0分

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『生きる』(小野田寛郎/PHP研究所)

 小野田寛郎さんをご存知だろうか? 1945年に太平洋戦争が終結してから29年経った1974年、フィリピンのルバング島から日本へ帰国した元陸軍少尉で、当時は大ニュースとなった。小野田さんはそれから約40年後の2014年1月16日、91歳で亡くなった。

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 その小野田さん生前最後の本『生きる』(小野田寛郎/PHP研究所)が話題になっている。凹凸のあるビニールカバーがかけられた文庫本ほどの大きさの本書は、まるで小野田さんが日本に帰って来た70年代の手帳のようなクラシカルな雰囲気だ。本書には30年に渡るルバング島での体験、帰国後の思いなどから得た、生きることに対する小野田さんの考えが詰まっている。

 1922年、和歌山県に生まれた小野田さんは、1944年に陸軍中野学校二俣分校に入校、同年12月7日に宇都宮の飛行場からフィリピンへと赴任し、12月31日の朝、ゲリラ戦を指導する任務を帯びてルバング島に入った。以来約30年間、終戦を受け入れようとしなかった小野田さんは、仲間とともにルバング島で戦い続けることとなった。その間に仲間を失い、最終的に元上司から作戦任務解除命令を受けて帰国。しかし日本での生活に馴染めず、帰国の翌年に兄のいるブラジルへ渡り、牧場を経営する。その後日本とブラジルを往復し、「小野田自然塾」という子どもたちのためのキャンプを開設し、理事長を務めた。

 現代の日本人からはたくましさがなくなって平和ボケし、すべてが安全だと脳天気に信じきっていると言う小野田さんは、「三度も大震災を経験して、原発事故も起こったというのに、まだ懲りていないように見える。一方で、若者が引きこもりになったり、キレて犯罪に走ったり、自殺してしまったりと、人生を放棄してしまう人が跡を絶たない」と語る。そして「脳天気さと人生放棄は同じ根のように思える。いずれも、人間が本来持っていた野生を失った結果だと思うのである」と指摘する。

 戦争が終わってから約70年、小野田さんは歯車の噛み合わせがちょっとずつおかしくなってきている日本の現状を憂慮し、「安易な個人主義が民族の弱さを産んでいるのではないか」と語る。しかし「人間は目標があれば生きられる」と説く。そして「成功する秘訣は目的、自信、実行」「健康が宝」「最大なる味方は“笑う”」「迷いの心はしばらく置くこと」「毎日の積み重ねが宝となる」など、経験から導き出された言葉は、頭の中だけで考えたものよりも何倍も重い。そして小野田さんは、こんな言葉で本書を締めくくっている。

 「もし、絶望の淵に追いやられたら、どんな小さなことでもいいから目標を見つけることだ。その実現のために生きることだ。死を選んではならない。なぜなら、人は“生きる“ために生まれてきたのだから。」

 表紙の力強い「生きる」という字は小野田さんが揮毫したものだ。小野田さんは「もう、私のような体験をする者は今後出てこないだろう。祖国の行く末を案ずる一介の老兵の話であり、理解し難い面もあるだろうが、何がしかの教訓を読み取っていただければ幸いである」と書き記している。極限状態を生き抜いた過酷な経験から生まれた言葉を、生きることが困難な今だからこそ、先行きが不安な時代だからこそ、じっくりと噛みしめたい。

文=成田全(ナリタタモツ)

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