数の論理、スクールカースト…本当は恐ろしいドラえもん!

ダ・ヴィンチニュース / 2014年7月27日 5時50分

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『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか「ドラえもん」の現実』(中川右介/PHP研究所)

 子どもから大人まで大人気の国民的マンガ『ドラえもん』。でも、そんな『ドラえもん』が、実は日本の現代社会を映し出す作品になっているというのだ。そこで、『源静香は野比のび太と結婚するしかなかったのか「ドラえもん」の現実』(中川右介/PHP研究所)から、日本社会のふしぎを見てみよう。

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 のび太をいじめるために、なぜ最大の武力を持ったジャイアンと最大の資金力の持ち主であるスネ夫がタッグを組むのか、気になったことがある人もいるはず。実は、そこにも現代日本の秘密が隠されている。もし、ジャイアンがひとりでのび太を呼び出してマンガやおもちゃを奪ったり、奴隷のように扱ったら、それは恐喝になってしまう。むしゃくしゃして殴ったら、暴行。そうなると、ジャイアンの行為に正当性がなくなってしまう。スネ夫がのび太を呼び出し、自分が持っているものを自慢したり、グループで遊ぶときにのび太だけ排除しようとすると、たんなるいじめになるので、これまた正当性はない。だが、この2人が手を組むと弱い者いじめであるはずのジャイアンとスネ夫の行為が「多数決の論理によって正当化」されてしまうのだ。『ドラえもん』には、こういった民主主義の恐ろしさも隠れているよう。

 また、スネ夫は夏休みになると父親や従兄の運転する車で出かけようとのび太たちを誘うが、のび太が喜んだ瞬間に「のび太はダメだよ。これは三人用なんだ」とのけ者にする。ここには、現在のスクールカーストに通じるものがあるのだ。スクールカーストとは、「学校のクラスにおいて、自然発生する人気の度合の序列」のこと。「のび太は永遠に、のび太」であって、スネ夫の3人仕様の車に乗せてもらえる日は来ない。一度こういった関係が構築されると、なかなか変わることはないので、もし彼らが高校生になっても、周りから「のび太のくせに」と言われる彼が上位カーストに属す可能性は低い。

 しかし、金持ちの「イヤなヤツ」として描かれるスネ夫や腕力をたてに威張るジャイアンも「上」にはいけない。下位カーストにいることにコンプレックスを抱くジャイアンやスネ夫は、自分たちの中でもっとも弱いのび太をいじめの対象にする。でも、のび太はジャイアンたちと絶縁したりはしない。そんなことをしたら、本当にひとりぼっちになってしまうからだ。だから、きっとのび太も「たとえいじめられても、相手にされないよりはマシ」だという判断をするだろう。こう見ると、のび太は日本のスクールカーストにおける最初の被害者とも言えるのだ。

 そして、『ドラえもん』に登場する静香は、フェミニズムの文脈で議論されることもあるキャラクター。「男の子に守られている、クラスで1番かわいい子」という静香像は「男のロマン」によって作られたキャラクターの典型という見方もある。だから、源静香という存在は「彼女に疑問を抱くかどうかで、フェミニズムという考え方がこの世にあることを理解できるかどうかの、一種のリトマス試験紙」のようなものでもあるそうだ。

 あまりにも身近にありすぎて、それが当たり前になっていた『ドラえもん』だが、こんなふうに社会学的な見方をしてみると、また新たな発見があって楽しめるかも知れない。

文=小里樹

ダ・ヴィンチニュース

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