カカクコムやTwitterなど。今日のネットサービスを支え続けてきた会社「デジタルガレージ」の創業秘話

ダ・ヴィンチニュース / 2014年11月20日 11時0分

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『ファーストペンギンの会社 デジタルガレージの20年とこれから』(株式会社デジタルガレージ 創業20周年記念プロジェクトチーム/ダイヤモンド社)

 東西冷戦下の1969年。アメリカの大学や研究所にある、わずか4台のコンピュータによるネットワークが完成した。この記事が閲覧されている空間、インターネット(以下、ネット)のはじまりである。当初は軍事用として開発され、研究分野にも広がり、1992年、商用ネットワークと繋がると共に民間での利用がいよいよ本格的にスタートしはじめた。

【画像あり】MITメディアラボ所長・伊藤穰一氏の著書はこちら

 そして、アメリカから広まりをみせたネットワークは、やがて日本でも当たり前のように使われる技術となったが、国内のネット普及に大きく貢献した一つの企業がある。カカクコムやTwitterなどの普及を影で支えてきた、株式会社デジタルガレージである。このほど創業から20年の節目を前に、書籍『ファーストペンギンの会社 デジタルガレージの20年とこれから』(ダイヤモンド社)が刊行されたが、ネットサービスの流行を作り上げてきた企業の創業にまつわるエピソードを紹介していきたい。

 アメリカでの商用利用スタートから2年後の1994年。創業者の一人である伊藤穰一(現・マサチューセッツ工科大学 メディアラボ 所長)が、自身の住んでいたマンションの所在地をタイトルに掲げた、国内初の個人ホームページ「富ケ谷」を立ち上げた。ネットという言葉がようやく、ごく一部の人たちへ認知されはじめた頃である。ちょうどその頃、ネットの可能性に目を付けていたもう一人の人物が、同じく創業者の一人である林郁(現・代表取締役 グループCEO)だった。

 林と伊藤は前年に出会ってから、共にサンフランシスコなどを巡る中でインターネットの可能性へ注目していた2人だった。伊藤が国内初の個人ホームページを立ち上げたその年、広告マーケティングなどを手がける「フロムガレージ」を経営していた林の元にも、「ホームページを作りたい」という依頼が徐々に増えはじめていた時期だった。

 その当時から林はすでに「接続サービスはコモディティ化(競争が増える中で製品やサービスの差別化が薄れていく現象)され、初期はホームページ制作が、やがては、検索やEコマースが大きなビジネスになる」と直感していたという。

 当時、世間の一部からは「ネットはしょせん一過性のブームに過ぎない」という声も上がっていた。しかし、1995年8月、ネットの可能性を迷いなく信じていた林と伊藤の2人により、「株式会社デジタルガレージ」は産声を上げた。社名の由来は、林のルーツである「フロムガレージ」が誕生した車庫になぞらえたもの。「30年経っても陳腐化しないものにしよう」というコンセプトをもって、スタートしはじめた。

 その後、2002年にはカカクコムを傘下に据え、2008年4月には日本語版Twitterをスタートさせるなど、次々と生み出されるサービスの普及に貢献すべく、幾多の投資やプロモーションを手がけてきた同社。同書では、来歴はもちろん、黎明期から数えた今日、そして未来へ向けたネットの現況や可能性にまで言及されている。

 リスクを恐れず初めに飛び込むという意味を込めた「ファーストペンギン」という精神を忘れず、今なお、走り続ける同社を中心にした証言は、ネットが日常で当たり前の存在となったからこそ貴重だと思わされる。

文=カネコシュウヘイ

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