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スパルタ式指導の“鬼コーチ”を変えた 日本水泳トップコーチの言葉

Digital PR Platform / 2024年11月29日 12時52分

スパルタ式指導の“鬼コーチ”を変えた 日本水泳トップコーチの言葉


夢のメダルへ! “鬼コーチ”35年の闘い


12月1日(日)午後4時25分~午後5時25分(関西地区で放送)





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■”鬼コーチ”と選手たちが流した汗と涙 35年間の闘いの日々

飛込界のレジェンド・寺内健さんなど数々のオリンピック選手を育てた水泳・飛込競技の馬淵崇英コーチは”スパルタ式”の指導だ。あまりの厳しさでその手法についていけなくなる選手もいる。自分の指導手法に悩む崇英コーチだったが、転機となる出来事が起きる。果たして2024年パリ五輪で教え子の高校3年生・玉井陸斗選手は日本飛込界初のメダルを取れるのか?馬淵崇英コーチの35年間の闘いの日々を追った。


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 高さ10メートルからアクロバティックな技を披露する「飛込」。男子は6本、女子は5本の異なる技を飛び、合計得点で順位を競う。水しぶきがたたない「ノースプラッシュ」が高得点となる競技だ。
 水泳・飛込競技のコーチ馬淵崇英(61)は中国・上海がふるさと。飛込の英才教育を受け、オリンピック出場を目指すが、世界トップレベルの水準の中国代表は、雲の上の存在だった。夢破れ、19歳で選手を引退、25歳で日本へ渡った。




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来日後、兵庫県宝塚市でオリンピック3大会に飛込競技で出場した実績を持ち、当時トップ選手を育てる指導者を探していた馬淵かの子と出会う。かの子は世界トップレベルの中国で指導を受けた崇英なら強化方法をそのまま導入できるはずと考え崇英と共に子どもたちの指導を始めた。





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しかし崇英のトレーニングは中国式のスパルタ指導。その厳しさに子どもたちは元のコーチのところへ戻ってしまう。気持ちが揺れていたとき出会ったのが、小学5年生の寺内健だった。崇英が「金の卵」と見初めた寺内は、1996年15歳でアトランタ五輪に出場する。
指導者として生きていくことを決めた崇英は1998年日本国籍を取得。身元保証人だった馬淵かの子の苗字を名乗り日本人「馬淵崇英」になった。寺内は2000年のシドニー五輪にも出場し5位の成績を収める。自らの指導に自信を深めていった崇英はますます“鬼コーチ”に。「飛込という競技は根性が非常に求められる。コーチも根性で勝負する」という信念に基づき、いまなら「パワハラ」といわれるであろう指導を続けた。

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