それぞれの地で生きるロヒンギャから日本にいるみなさんへ

Digital PR Platform / 2020年8月25日 15時28分

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2017年8月25日、ミャンマー軍による武力行為からラカインに住むロヒンギャたちの多くが故郷を追われ、バングラデシュへと逃れてきた。その昔から国籍を剥奪され、人権侵害を受けてきた少数民族ロヒンギャは、身の安全を求めて世界各地へと散らばってきた。推定で人口100万〜200万人ともいわれる少数民族ロヒンギャ、2020年今なおミャンマーに残るロヒンギャは数十万人、バングラデシュへと避難した人は2017年以前も含めて約86万人。彼らの故郷ミャンマー国籍も市民権もいまだ付与されることもない。当事者であるロヒンギャが疎外されたまま発動される帰還プログラムを信じる人はほとんどいない。それでも今もミャンマーへの帰還を願う人ばかりだ。
バングラデシュへの大量流入から3年。
生まれた土地に帰りたい、教育を受けたい、安全に暮らしたい、人間であるならば享受できるはずの権利や国籍を持つことができずにミャンマーの外で生きるロヒンギャたちと、ミャンマーに残るロヒンギャの人たちのことを想い続けるフリーカメラマン新畑さんに語ってもらった。
彼らの声に耳を傾けて、「教育がない、故郷に帰ることができない、先が見えないまま生きる日々」を想像してくださることを願って。

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ロヒンギャの人々が生存の危機にさらされ、生命の危険を賭して隣国バングラデシュに逃れてから早3年となります。彼らは遠くに見える故郷を眺めながら、いつか帰れる日を夢見ていますが、ミャンマー国内の変わらぬ現実はそれを許しません。

ロヒンギャの人々を受け入れている地域住民や政府の寛容さや難民の人々への支援は称賛されるべきものです。こうした努力をMdMを含む国際社会が支援しています。

ただ、移動や就労の自由が制限された難民キャンプ内で人々、特に若者達は将来の展望を描けずにいます。そのうち、希望を求めて粗末な船にぎゅうぎゅう詰めとなってマレーシアなどに渡ろうとする人々がおり、一部はその行程で不幸にして亡くなり、結局、マレーシア政府などからは入国が認められず、バングラデシュに戻って来るといった事態も発生しています。バングラデシュ政府も自国のみがロヒンギャの人々を支援しているのは不公平であると言い、彼らを受け入れている地域の人々も難民に比べて支援を十分に受けられていないとの不満を抱いています。最近はこの状況に新型コロナウィルスの蔓延が加わりました。誰もが安心して暮らし、助け合えるよう、支援を継続強化せねばなりません。


世界の医療団ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクト
プロジェクト・コーディネーター 中嶋 秀昭

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私が初めてキャンプに入ったのは、2017年12月。ロヒンギャと接してきた時間の中で、帰還についての進捗はないけれど、ロヒンギャ一人ひとりにはたくさんの変化があったように思う。ミャンマーにいた頃は外国人と接する機会がなかった人たちが、私たち外国人を見て話かけてくれる。目が合うと「HELLO!」と言ってくれたり、自己紹介してくれたりする。これは差別や迫害の歴史の中で生きてきた彼らにとっては大きな変化なのではないかと思う。

一緒に活動してきたロヒンギャの若い世代にも変化があった。教育機会が全くないキャンプで過ごす14才から17才までのユース世代の社会参加をも見据えたコミュニティヘルス・プロジェクト。健康教育のトレーニングを受け、学び得た知識を住民たちに伝える。支援プロジェクトは啓発活動だけでなく、活動をとおしてユースのライフスキルを育むこともプロジェクトの目的であった。
住民たちから「ありがとう」という言葉をかけられる、コミュニティに貢献している、自分には果たすべき役割がある、そうした体験の積み重ねで、最初は、おそらく「将来の夢」の意味さえも分からなかった子どもたちが、将来について徐々に語りはじめるようになってきた。そのほとんどは教師や医師というのも頷ける。
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プロジェクトを振り返った時に、識字率の低いユースたちに活動前後の自分自身のイメージを絵にしてもらった。活動に参加した後の自分自身のイメージは、(参加前に比べ)力強く生き生きと描かれていた。保健医療の知識を得たこと、その学びを周囲に共有しみんなに貢献できたという成功体験が、自己成長への実感、自信につながったことがわかる。彼らにはこうした地域社会の中の役割や居場所、その役割を十分に発揮できる場や機会が必要なのだと感じました。

ロヒンギャは保守的なムスリムで女性はあまり表に出てこない。それでも、ジェンダー平等に取り組む支援団体が設置する交流の場やボランティアの職を得ることで、一部の女性についてはミャンマーにいた頃よりも外の世界に触れ、他者と交流する機会も増えたと思う。家庭以外の世界を見ることが増えた女性たちは今、何を思っているのか。このような女性のエンパワーメントをとおして、より多くの女性の声を拾い上げ、その声を広めていくべきだと思っています。

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教育が受けられない状況には憂慮しかありません。学校での先生や同年代の仲間との関わりを通して人間関係や社会のルールや規範を学ぶといった社会性を育む上で、教育は、単に知識以上に欠かせないのです。キャンプでは、日本の中等〜高等教育にあたる教育がありません。せめて、支援団体の活動を通じて彼らが主体的に学ぶ場を提供し続けていきたい。未来を担う若い世代が、夢や希望を描くことができるように。それが私たちに課せられているのではないでしょうか。
現在も、彼らを取り巻く政情や外交、帰還プログラムには変化がない。変化があるべきはずなのに、それがない。同じ日常の繰り返ししか見えてこないまま、3年が経ってしまった。
唯一の救いは、ロヒンギャの人たちが帰還への希望を捨てていないことです。どんなにつらい状況でも、希望があれば明日を生きることができる。彼らが希望を持ち続けていくことができるように活動を続けていくことが今、私たちにできること。

「支援」と聞くと何か大それたことのように聞こえるかもしれません。けれど、誰にでも、明日からできる支援がある。それは「存在を知る」ということ。一人でも多くの方に彼らの存在を知ってほしい、無視しないでほしい。大きな支援のうねりにつながるように。
 
世界の医療団ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクト
メディカル・コーディネーター 木田 晶子



バングラデシュから

https://www.youtube.com/watch?v=Wgtope0XJzs

ミャンマーにいた頃は、クラス5で学校に行っていました。住んでいた場所からここへ逃げてきて3年経つけど、教育、今も学校に行くことができない。ミャンマーにいたら、今頃クラス8へと進級していたはずです。私と同じように、たくさんの生徒が教育を受けることができないままでいます。この3年で、大学に行っていたかもしれない人も、卒業していたかもしれない人もいた。その頃、私は先生になりたいと思っていたけれど、それさえも許されなかった。あと少しこのままここにいることになるならば、他の子たちと同じように私の人生はもうどうにもできない。希望も夢も壊れてしまうと思う。今はまだ勉強できる日、学校に戻る希望を捨ててはいないけれど。そのためには、今すぐに帰還しなくちゃならない。私たちロヒンギャが自分たちが住んでいた国、土地に帰れるよう、世界中の人たちが支援してくれることを願っています。

S 15才

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僕はロヒンギャで難民です。バングラデシュの難民キャンプに来て3年が経ちました。ミャンマーにいた頃は、学校のクラス7で勉強していました。今頃、大学入試に合格していたかもしれない。でも、ここでは教育を受けることができないままでいます。僕のような学生がたくさんいます。将来は医師になって、地域の人たちを助けたい。でも難民となってしまった今、夢はどこかに消えそうになっている。キャンプにはそういう人たちがたくさんいて、先が見えないままの日々を送っています。私たちが教育を受けて、夢や希望を持ち続けるようにと、誰かが、世界が助けてくれるのならば、ミャンマーに帰還させてください。自分たちの国で自分たちの夢を描けるように。まだ医師になる夢をあきらめたくないんです。

Y 16才

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2017年に私たちの問題が世界中に知られることになって、それから3年経つけれど状況は何も変わっていません。一刻も早く私たちロヒンギャがミャンマーに帰ることができるように、声を上げ続けるしかないのです。ここには教育がありません。教育を受けることができない、文字を理解することができない子どもや世代が増え続けています。
私たちはキャンプの外に出ることはできません。働きにも行けないから経済的にも苦しい、病気にかかっても医師が少ないから適切な医療を受けることもできない。ここにいる誰もが心身ともに疲れています。 
世界の皆さんにお願いです。本来人間なら享受できるはずの市民権と権利が保障された上で、私たちがミャンマーに帰還できるよう働きかけてくれることをお願いします。

M 20才

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世界最大の難民キャンプに来て3年になります。基本的人権と市民権が保障され、尊厳をもってミャンマーに帰還する、そのための国際社会からの支援を私たちは必要としています。私はすぐにでもミャンマーに戻って、あるべきはずの帰還プログラムを実現させたい。
国際社会にお願いがあります。
ひとつめはキャンプ滞留がこれ以上続くのであれば、ロヒンギャに教育の機会を
ふたつめは適切な医療システムの導入と啓発活動の徹底、人々は苦しんでいます。仕事も収入も息をつけて楽しめる場所さえもここにはありません。 
3年経っても何も変わっていない現実を憂慮せずにはいられません。
日本政府にお願いがあります。ロヒンギャが帰還できるようミャンマー政府に働きかけてください。
私たちを気にかけてくださることに感謝しています。

M 27才



ミャンマーから



■人間が静かに虐殺されている
ミャンマー西部ラカイン州では2017年8月25日以降の国軍による掃討作戦で数千から数万人ものロヒンギャ住民が殺されたとされ、75万人以上が隣国バングラデシュへ逃れた後も60万人のロヒンギャがミャンマー国内、主にラカイン州で暮らしているとされる。大弾圧が起きた州北部は外国人の立ち入りが原則禁止されているため近づけないが、州都シットウェやミャウー郊外に生きるロヒンギャの暮らしを私は5年近く見つめてきた。

シットウェでは2012年に仏教徒のラカイン族とイスラム教徒ロヒンギャとの衝突が発生し、ロヒンギャ住民は郊外のIDP(国内避難民)キャンプ等に8年経つ2020年8月現在も「閉じ込められている」。2017年1月に約13万人が収容されているIDPキャンプに潜入できた。協力してくれたラカイン族の男性曰く「2012年まではラカイン族とロヒンギャは共に暮らしてきた」と言う。特に劣悪なタントゥレIDPキャンプではWFPの食糧支援もなく、粗末な住居に無慈悲にも管理番号が割り振られ、人々は疲れ果てていた。寄生虫で腹が異様に膨れ上がっている子供の姿も。「人間が静かに虐殺されている」という印象。シットウェ中心部にも「アウンミンガラー地区」と呼ばれる約4000人のロヒンギャが隔離されている場所がある。

ミャウー郊外のロヒンギャの集落は差別的な移動制限等を受けつつも穏やかな空気があったが、残念なことにこの地域で2018年末から国軍とラカイン仏教徒の武装組織アラカン軍(AA)の紛争が激化、1年以上インターネット遮断が続き、ロヒンギャを含め多数派ラカイン族の民間人にも死傷者が出ており、多くの人々がIDPキャンプでの生活を強いられている。AA側は新型コロナ感染拡大を懸念し何度か停戦を呼び掛けたが国軍側はAAを正式にテロ組織に認定し攻撃の手を緩める気配はない。ミャンマー国内でかき消される人々の命乞いを国際社会は見殺しにせず、どうか手を差し伸べて欲しい。

新畑 克也



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■ 新畑克也 Katsuya Shimbata ■
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写真家。1979年広島県呉市生まれ、東京都在住。2010年春に初めて旅行で訪れたミャンマーに魅せられ、旅先での人々との出逢いを美しく切り取りたいという思いから写真活動を始める。2015年に西部ラカイン州でロヒンギャの村を訪れたことをきっかけに、ロヒンギャやラカインの問題に関心を持つ。以降は、主にラカイン州やバングラデシュの集落、難民キャンプで撮影や取材を続けている。
2018年から2019年に掛けてNPO法人無国籍ネットワーク、及び在日ビルマ・ロヒンギャ協会の協賛で早稲田大学、群馬県館林市三の丸芸術ホール、東京大学にて写真展「”We Are Made Stateless” 国境のロヒンギャ」を開催。


マレーシアから

今日、最優先で取り組まなくてはならないことは、長く繰り返されてきたロヒンギャへの非人道的行為、搾取の事実を非難し告発すること。
国際社会はこれまで、ただただ傍観し、余儀なく亡命しなくてはならなかったロヒンギャたちを見捨ててきました。虐待行為、社会的疎外、拷問、集団的性暴行の現実から目を背け、迫害と民族浄化の常態化を許容してきた偽善だらけの国際社会。ロヒンギャへの迫害が構造的に放置され続けた結果、ジェンダーに基づく性暴力が横行し、女性や少女たちがその犠牲になっています。
ロヒンギャの人権を保障し、民族浄化を止めさせること、今、私たちの連帯責任が問われている。



ジアウル・ラフマン


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そして日本から…

私は世界で最も迫害を受けているとされるミャンマーの少数民族ロヒンギャです。毎年、数千人のロヒンギャ族がバングラデシュや隣国へ避難を求めています。貧しく、疲れ果てた姿の人々は、かつては豊かな生活を送っていました。45年前、私の家族も小さな船で命からがらバングラデシュに避難しました。医師であった父と大地主の娘であった母は、全てを捨て軍事政権の迫害から逃れなければならなかったのです。避難先の生活は楽ではありません。衣食住や教育、医療は不十分。雨や暑さに見舞われる日は地獄のようですが、生きるためには闘うしかありません。この気持ちをどう説明すればいいでしょう。
難民であっても、彼らはあなたと同じ人間です。教育や仕事の機会があれば、希望と夢を持ち人間として可能性に向って行けるはず。そのために、あなたのサポートが必要です。一人が支援を受けて自立できれば、その後ろには誰かが繋がっていく。私はそう信じています。


カディザ ベゴム



■ カディザ ベゴム ■
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ミャンマーから逃れたロヒンギャの両親のもと、バングラデシュで生まれる。医師である父と同じく医師になるべく勉強をしていた頃、ミャンマーから逃れ日本で難民認定をうけたロヒンギャ男性とバングラデシュで出会い、18才で結婚。日本語を猛勉強し、その後、難関を突破しUNHCR難民高等事業プログラムの一環で、奨学生として青山学院大学に入学。在学中にユニクロの難民支援を知り、インターンシップに参加。卒業後もユニクロに勤務する。育児と仕事を両立させながらも、ロヒンギャを支援するために様々な活動を行っている。



本件に関するお問合わせ先
■お問い合わせ先■
世界の医療団(認定NPO法人)
特定非営利活動法人 メドゥサン・デュ・モンド ジャポン
Médecins du Monde Japan
TEL: 03-3585-6436  Email: communications@mdm.or.jp

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それぞれの地で生きるロヒンギャから日本にいるみなさんへ
https://www.mdm.or.jp/news/19657/

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