吉田喜重監督、リティ・パン監督が語る戦争の記憶 映画作りに向き合う原点とは

映画.com / 2020年11月9日 12時0分

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 第33回東京国際映画祭と国際交流基金アジアセンターによる共同トークイベント「『アジア交流ラウンジ』リティ・パン×吉田喜重」が11月8日、都内で開催され、吉田喜重監督がカンボジアのリティ・パン監督とオンラインで語り合った。

 2003年、吉田監督が70歳の時に公開された映画「鏡の女たち」は、原爆がもたらす苦しみを、三世代の女性たちの目を通して描き出したドラマ。一方、第21回東京フィルメックス特別招待作品として上映されたパン監督の最新作「照射されたものたち」は、ナチスのホロコースト、カンボジアのポル・ポト政権下の虐殺、そして広島、長崎の原爆投下という人類史上3つの悲劇を大量の資料映像のモンタージュによって描き出したドキュメンタリー映画となる。

 「わたしは『鏡の女たち』を映画監督として最後の作品と決めて作りました」と切り出した吉田監督は、「わたし自身は戦争中、福井県にいましたが、大空襲を受けて一家離散となりました。家族に会うまで2日かかりました。戦争の怖さ、恐ろしさは12歳の時から身につけています。したがって戦争反対ですし、平和こそが人間のあるべき姿だと今でも思っています。そういう記憶を鮮明に映画に残したいと思って映画を作りました」とその原点を明かす。「わたしは、映画監督になってよかったと思ってます。映画は自分が生きた時代をもっとも強く反映できるからです。わたしが今、映画を作る気力がないと言っているのは、もう既に生きている時代に興味がなくなったということも意味しているわけです。映画は生きているものです。それが映画の素晴らしさだと思っています。そういう映画を職業とできたことを誇りに思っています」と語る吉田監督。今年4月には初の小説作品「贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争」を刊行し、映画とは違う分野で、新たな表現に挑戦しているという。

 一方のパン監督は「わたしは数年前から映画を作っていますが、もともとは小学校の先生になりたかった。わたしの国の歴史はとても複雑で難しいことがありました。戦争があり、虐殺が起こりました。その後はその記憶を語らないといけない、表現しないといけないと思うようになりました。そのための手段として映画を作ろうと思ったのです」と明かす。そして、「いつも映画を作るときは複数の理由がありますが、けれども映画を作る本当の意味はひとつだけなんです。映画は難しい題材を扱うことができます。虐殺や戦争、原爆などを扱う時に、その映画を作る仕事は大変デリケートになります。私としてはまさにこの映画を作る理由があるわけです。生き延びた人、生き残っている人が、自分が見たものを証言しない、言わないことに何の意味があるのでしょうか? 記憶を伝え、苦しみを乗り越えないと何の意味があるのでしょうか?」と訴えかける。

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