HKT48 栗原紗英が「ホンモノだ!」と感動したものとは

エンタメNEXT / 2014年8月6日 7時0分

 HKT48の3期生+ドラフト生が毎週一人ずつ登場して、メンバーの過去・現在・未来に迫る連載。栗原紗英ちゃんの中編は、彼女が「ホンモノだ!」と感動したものについて語ってくれました。くりはら・さえ 1996年6月20日生まれ。福岡県出身。ニックネームはさえちゃん。2013年8月、HKT48 3期生オーディションに合格。11月のひまわり組「パジャマドライブ」公演で初披露目の後、研究生公演「脳内パラダイス」で劇場公演デビュー。

──前編でいろいろな習い事をしていたところまでお聞きしましたが、最初にあこがれたアイドルはだれでしたか。

栗原 一番初めはミニモニ。さんですね。

──あー、それもほかのメンバーの皆さんからもよく聞きます。そういう世代なんでしょうね。

栗原 その後、AKB48さんも好きになって。『ポニーテールとシュシュ』くらいのころですね。

──おお、そこから自分もあんな風になってみたいと思うようになるわけですね。

栗原 いやー、見るのは好きでしたけど、その頃はまだ自分がなれるなんて思ってもなかったです。東京なんて遠くて行けないし。

──でも、博多にHKT48が誕生して…。

栗原 はい。友達とHKT48の「手をつなぎながら」公演を一緒に観に行ったんですよ。

──それを観て、どう思いました?

栗原 もうとにかく「すごい!」って思いましたね。劇場公演というのがあるのは知ってましたけど、観るのは初めてだったし「ホンモノだ!」って感動しました。
 
栗原紗英
──その感動がきっかけで、オーディションを受けたわけですね。

栗原 一緒に公演に行った友達が誘ってくれて、一緒に受けました。まさか自分が合格するなんて思ってませんでした。

──オーディションの時のことは覚えてます?

栗原 緊張しすぎて、あまり覚えてないです。周りの子たちと手のひらに「人」って書いて、みんなで食べてました(笑)。

──「桜」ならぬ「人、みんなで食べた」ですね(笑)。それはまた古典的な方法だけど、効果はありました?

栗原 なんかだれかがこうするといいって言い出したんですよ。そしたら、みんなが始めて。効果があったかどうかは分からないです(笑)。

──無事に合格したっていうことは効果あったんでしょうね。合格してから初お披露目の舞台まで3カ月ありましたけど、その間のレッスンは大変でしたか。

栗原 私もそうでしたけど、みんな1回は泣いてて。でも、今思うと充実した時間でしたね。新体操をやってたころも毎日大変だったし、あれを乗り越えられたんだから大丈夫って思いながら頑張ってました。
 
     栗原紗英
──泣いちゃうほど大変なレッスンって、先生からは主にどんなことを注意されてたんですか。

栗原 私、表情が固いみたいなんですよ。ダンスの先生からも「目が死んでる」って、ずっと言われてました。緊張すると固まっちゃうんですよね。だから、ダンスレッスンもやりながら、鏡の前でずっと笑顔の練習をしてました。

──でも、3期生の中では一番早く研究生公演デビューを果たしてますよね。

栗原 ビックリしましたね。私でいいのかなって。レッスンの時と違って、ちゃんとマイクを持って歌うのは初めてだったし、もう緊張しまくりでヤバかったです。でも「頑張って練習したし、大丈夫!」っていう変な自信はありましたね。

──いわゆる「根拠のある自信」ですね。研究生公演の担当ユニット曲は『君はペガサス』でしたね。

栗原 元々、宮澤佐江さんが歌ってた曲で、すごくカッコよかったじゃないですか。私とは全然タイプが違うので、大丈夫かなって思いました。でも、歌っていくうちにだんだんと自分らしさを出せるようになってきたかなって思います…あ、一応、名前は宮澤さんと一緒なんですよ、私(笑)。漢字は違いますけど。

──おおっ、確かに。同じ"さえちゃん"として、負けられないですね。

栗原 研究生の中では年上のほうになるし、年下の子たちもみんな表現力があるので、ほかの子たちには負けられないなっていう気持ちは強かったですね。

──それでは、その後のお話はまた次回の後編で…。

 栗原紗英ちゃんインタビュー後編は8月8日(金)更新です。お楽しみに!

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(取材/文 青木孝司)

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