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伝説のアーティスト、セルジュ・ルタンスを知っていますか?

FASHION HEADLINE / 2015年12月10日 15時0分

1996年に刊行されたルタンスの作品集「L'Esprit Serge Lutens: The Spirit of Beauty」より。

アーティスト、哲学者、詩人。その肩書きは多く、日本ではとりわけフレグランス ブランドの名前で広く知られるイメージ クリエーター、セルジュ・ルタンス(Serge Lutens)。

彼がメイクアップ界でキャリアをスタートさせたのは、1968年に発表された、ディオールのメイクアップライン。革新的なクリエーションで多くの人を圧倒した伝説のコレクションでルタンスはアーティスティック・ディレクターとして開発に従事する。その重責を経て、1980年より資生堂との深い関係はスタート。

両者の関係性が深まり行くなか、今から遡ること10年前の2005年。この年、東京は銀座の「HOUSE OF SHISEIDO(ハウス オブ シセイドウ)」では「セルジュ・ルタンス…夢幻の旅の記録」展を開催。それに合わせて、来日したセルジュ・ルタンスと福原義春(資生堂名誉会長)の対談が実現された。企業資料館が発刊する『研究紀要おいでるみん Vol.19』に掲載されている対談の中から、その時の言葉を少しご紹介したい。

ふたりは出会った時の感動をこのように述べている。

「本当にふたりの人間がお互いに知り合いたいという意思で、非常に心の波が通った一瞬だったのを覚えています」(ルタンス)

「僕の方は興味津々じゃなくて、どこに行っても「色彩の神さまルタンス」「マキアージュの神さまルタンスさま」みたいな話。その人が目の前にいるなんて信じられなかったわけです」(福原名誉会長)

また、「(対談当時)実際にクリエーションを始めてから二十年ぐらいになるわけだけど、まずビジュアルの世界から始まって、それからすばらしい香水をつくって、そして今度はリュクスの極致みたいなメーキャップをつくって、僕たちの間の関係にはいろいろあってルタンスさんを苦しめたこともたくさんあったと思うんだけど、結局僕たちの関係というのは、世界に新しい一つの美の世界をつくれたのではないかしらと思うんですけどね」との福原会長の言葉からは、同社とセルジュ・ルタンスの関係がいかに深いものであったのかを推すことができるだろう。

そんなふたりを繋いだのは、ミューズとして資生堂の広告を数多く支え、今もなお色褪せることのない存在で在り続けるモデルの山口小夜子だ。彼女はセルジュ・ルタンスが手がけた資生堂の広告ビジュアルにも度々登場する。

現在、セルジュ・ルタンスは自身の名を冠したブランドで2000年よりフレグランスを、2005年からはメイクアップラインも加えて手がける。それ以前には今はなき「インウイ」のイメージクリエーションも。35年に渡る資生堂における彼との軌跡は、静岡県掛川市の資生堂企業資料館でなぞることができる。

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