「通帳見てみて」義妹に財産をむしり取られた義母、壮絶な最期を看取った嫁が見つけた「老後の正解」
Finasee / 2024年12月1日 11時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
中国地方在住の片岡智子さん(仮名・60代)は、25歳のときに結婚した。義母は「嫁=自分の老後をみてくれる人」という考えで、「私が一人になったら、頼むな」が口癖だった。
ところが、夫の3歳下の弟が結婚すると、義妹から「お義母さん、一緒に住みましょう!」と提案があり、義母は弟夫婦のため、そして終の棲家となるはずの家を建てた。
義母を介護するプレッシャーから解放された片岡さんだったが、次第に本性を表し始めた義妹と義母の仲は次第に険悪になっていく。そこへ追い打ちをかけるように、義弟のがんが見つかった。
●前編:呪文のように「頼む」を繰り返す義母にとって「嫁=老後の世話人」、老後への異常な恐怖心が招く悲劇の始まり
君臨する義妹義弟が亡くなると、義妹は義母の上に君臨し始めた。義妹に命令されて、義妹の小言(片岡さん家族の悪口)を義母が伝えてくるため、片岡さんの子どもたちは義母から距離を置くようになってしまった。
片岡さんと夫は時々義母の家に寄ると、真夏は暑い日でもエアコンをつけずに扇風機。冬は寒い日でも、小さな電気ストーブが一つだけ。
家にいるはずの義妹はお茶も出さず、片岡さんたちは持参したペットボトルのお茶を飲む。
「私の部屋で冷房とか暖房とかつけてたら、嫁さん(義妹)がもんのすごい嫌な顔すんねん。2階で自分らもつけてるのに。電気も水道もガスも、み~んな私が払ってるのに。私の家で私が自由にして何であかんのやろか?」
そう言って義母は霜焼けのできた足を擦る。
「義母はまだ『自分の家』と思っているけれど、家も土地も義父が亡くなった時に義弟のものになり、義弟が亡くなって義妹が相続したのだから、義妹にとってはもう、義母は邪魔な居候なのだと思いました……」
そして義母90歳の1月の誕生日。珍しく義妹が片岡さん一家を招待し、上等な寿司をとり、ケーキを振る舞った。
いつも仏頂面の義妹がニコニコしているので不気味に感じていると、義妹は話し始めた。
「昨年私の父が亡くなり、母が1人になった。心配だから母を引き取りたいが、すでに義母がいる。高齢の義母と母を私1人でケアできないので、お義兄さんの家で義母を引き取ってくれないか」という内容だった。
「義母は、義妹と同居して13年が経っていましたが、一度も誕生日を祝ってもらっていないようでした。私たちも、このままでは義母は長く保たないと心配していたので、断ることができませんでした」
ところが義妹が実母を引き取ることはなかった。
義妹の正体結局、義妹は義母の引越しの日取りを勝手に4月に決めると、都合も聞かず、義母の荷物を片岡さんの家に送りつけた。
それを居間だった部屋にざっくりレイアウトすると、高速で1時間半ほどかけて義母を車で迎えに行く。
義母は片岡さんの家に着くなり横になった。
義母の荷物から通帳を見つけた夫は、「金庫に入れとこうか?」と訊ねると、「通帳見てみて」と疲れた声で言う義母。
途端、夫が声をあげる。
毎日のように預金が下されており、残高は数十万円しかない。
夫が理由を聞くと、どうやら義弟ががんになってからと言うもの、治療費や葬儀代、お墓、仏壇、そして義妹と暮らしていた家の光熱費全て、そして極め付けは、義妹の息子の結婚祝いに『100万円くれ』といわれ、出したと言うのだ。
「ひどいことばかりしてきた義妹のために、なんでそんなにお金出してあげたん?」
びっくりした片岡さんが思わず口にすると、「出さんかったら、もっとず~っと前に追い出されてるがな!」義母は大きなため息混じりに吐き出した。
義母のアクセサリーケースは空だったため、聞くと、義妹が「ちょうだい」と言うからあげたと言った。片岡さんは、まだ義父が健在だった頃、義母は義父に買ってもらったお気に入りのカメラを、片岡さんたちが見ている前で、義妹にあげてしまったことがあったのを思い出した。義母は「ちょうだい」と言われると断れない性格だったようだ。
義妹は義母からほぼ全財産をむしり取り、用済みになったから追い出したのではないかと思われた。
義母と長女と孫との同居義母を引き取った2018年4月、61歳の片岡さんは、週4日、教育系の会社でパートとして働いていた。
「私は身内でも距離感は大切だと思っていたので、『ここまでは出来ます。ここからはできません』という線引きをしました。具体的には、『自分でトイレに行けること』『私は仕事を辞めない』この2つを、何度も義母に確認していました」
要介護2で足の悪い義母の万が一の時のために、車椅子は予めレンタルしておいた。まずはデイサービスを週2で利用し始め、慣れてきたら週3に増やした。入浴は片岡さんが手伝っていたが、腰を痛めてしまい、デイサービスで入れてもらうことにした。
「私が65歳のとき、坐骨神経痛を患ってしまったのですが、同じ頃、義母が足に入れていた人工関節が外れていたことがわかり、入院して手術することになりました。私は痛みを我慢して義母の入院準備をしていたのですが、夫が私のちょっとしたミスをしつこく責め続けた時は、怒り心頭でした」
片岡さんが「うるさい! それにしつこい! 大体誰の親よ? ストレッチャー押してあちこち検査に行くのも大変だし、私は足が痛いし疲れてるしで頭の半分も働いてないんよ? なんでそんな偉そうなん? もういい加減にしてよっ!」と一気に捲し立てると、さすがに夫は反省した様子だった。
ところがその3年後のこと。車で10分のところに住む長女と小学生の息子が、片岡さんの家で同居することになった。その理由は、小学生の息子が担任教師からの陰湿ないじめに遭い、心身症と診断。さらに、息子に対して真摯な対応をしてくれない学校側との対応に疲れ、長女自身もうつ病を発症してしまい、息子の主治医から片岡さんの家での療養を勧められたためだ。
「義母介護と、がんになった私の母の通い介護が重なっていた時期と、うつ病長女と心身症孫が我が家で療養していた1年間は、時間的、精神的に本当に大変でした……」
基本、義母がデイサービスに行っている間に仕事をするか、実母のサポートをしに行っていた。うつ病が重かった長女は、ほとんど家事ができない。1週間のうち何日かは、仕事の後に義母の通院付き添いや、義母の通院を2科こなさねばならない日もあった。
義母の最期義母は2022年、94歳の時に要介護3になり、1年ほどの空き待ちを経て、特養に入所した。
ところが2023年秋、高熱が出たため緊急搬送され、重篤な状態が続く。3週間ほどで病状は安定したが、喋ることも飲み食いすることもできなくなり、中心静脈栄養(高カロリー輸液)を行うことに。
その後も一日おきに義母の面会に行っていた片岡さんだったが、母親の葬儀から約3年半後、2024年4月に義母は亡くなった。96歳だった。
連絡を受けたのは深夜2時。片岡さんは38度を超える熱があったが、病院に駆けつけた。
そのまま通夜・葬儀に参列し、全てを終え、帰宅する頃には、夕方の4時を回っていた。
夫とは別々の車で来ていたため、熱のある片岡さんは、子どもや孫たちを送ってもらおうと思い、夫の車にチャイルドシートを付け変えようとした。すると夫はこう言った。
「お前が送ってやれよ!」
「熱があると伝えてあったのに、配慮のない夫に怒りを感じました。もともと夫はワンマンな性格ですが、義母の介護については協力しようと頑張っていたとは思います。ただ、昔の子育てのとき、忙しいことを言い訳に、すべて私に任せていた癖が介護でも出て、その度に『誰の親やねん!』って喧嘩になりました。どちらにしても、夫は普通に働いていたため、ほとんど私任せでした」
葬儀のことは義母の望み通り、義妹とその息子には知らせなかった。
実母と義母を見送って義母と同居し始めた頃は週4日で働いていた片岡さんだが、やはり体力的に厳しく、義母が来て1年後には週3日に減らしてもらい、昨年義母が高熱を出して入院してからは、病院に駆けつけなければならないことが増え、週2日に減らしていた。
「義母が高熱を出して入院した時は、夫、長女、私とで24時間付き添いました。それぞれ仕事があるため、何とか交代で回していましたが、本当に大変でした。他にも物理的に一番しんどかったのは、在宅での就寝時、尿管を尿パックに繋いでいたのに、義母が勝手に外してしまい、衣服が尿でぐしょぐしょに濡れていただけでなく、便が枕元に置いてあった時です」
片岡さんは排泄に関する介護が苦手だったため、義母が部屋からトイレまでの壁を便で汚すようになった時は、毎晩夫にアルコールシートで消毒してもらっていた。
「精神的に一番きつかったのは、義弟夫婦にお金も家もあげてしまった義母のために、『私たちが施設のお金を出すの?』という漠然とした不安といら立ちに苛まれていた時です」
元々悪かった義母の足がどんどん悪くなり、トイレの失敗が増え、認知症の症状も出てきたため、要介護3が出たのを機に特養を申し込んだが、空くのを待つ間、夫とは何度か義母の施設費用のことで揉めた。片岡さんは、「寛解中の夫のがんが再発したら」と思うと気が気でなく、自分たちが夫婦で過ごす時間が少なくなっていくことに焦りを覚えていた。
「私や義妹に対して“姑風”を吹かせていた義母は、『自分がしたことは将来自分に返ってくる』と反省している様子でしたが、本当だと思います。私は自分自身のために、義妹のようなひどいことはしたくありませんでしたし、自分が誰かの役に立っていると自信を持って思えることは、幸せなことだと思います。口に出して言われたことはありませんが、義母も夫も感謝してくれているということは伝わっていますし、義母と同居して、自分の老後を考えるきっかけになりました」
片岡さんは現在67歳。「理想の老後を過ごすにはお金が必要」ということを義母のおかげで思い知ったため、夫は65歳で定年退職しているが、定年前と同じペースで働き、片岡さんも義母を見送った後、出勤日を週3日に戻した。
「介護真っ只中で奮闘している人に『自分軸を大切に』と言っても、『自分さえ我慢すれば』となりがちですし、自分の生活を優先させると何となく後ろめたい気がしてしまいます。でも、自分優先で良いと思います。人生には後悔がつきものですが、私たちにも寿命があり、健康寿命は意外と短い。なので、残された時間で後悔のないように、時間ができたらやりたかったピアノや英会話などに本腰を入れようと思っています」
確かに「理想の老後を過ごすにはお金が必要」だが、お金でつながっていた縁は、お金がなくなれば切れてしまう。もちろん、お金もあるに越したことはない。だが、老後を迎えるまでに本当にするべきは、お金がなくても切れない縁を結び、それを強固にしておくことではないと筆者は考えるが、どうだろうか。
旦木 瑞穂/ジャーナリスト・グラフィックデザイナー
愛知県出身。アートディレクターなどを経て2015年に独立。グラフィックデザイン、イラスト制作のほか、終活・介護など、家庭問題に関する記事執筆を行う。主な執筆媒体は、プレジデントオンライン『誰も知らない、シングル介護・ダブルケアの世界』『家庭のタブー』、現代ビジネスオンライン『子どもは親の所有物じゃない』、東洋経済オンライン『子育てと介護 ダブルケアの現実』、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、日経ARIA「今から始める『親』のこと」など。著書に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社)がある。
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