「本当に不出来な嫁だよ」から一転…農家に嫁いだ女性に認知症の義母が語った「15年目の雪解け」
Finasee / 2024年11月28日 17時0分
Finasee(フィナシー)
<前編のあらすじ>
芽衣子(37歳)は、夫の実家の米農家を継ぐために、5歳の息子を連れて義実家住まいを始めることになった。
結婚して5年、東京で暮らしていた芽衣子たちは、義母の澄子が足腰を悪くしたことがきっかけで、仕事を辞めて実家の米農家を継ぐために引っ越してきたのだ。
芽衣子は、家事や農作業など、何かにつけて義母に目くじらを立てられ、しかられるようになる。帰ってみれば義母のけがは大したことがなく、けがが治ってからは農作業にいそしんでいた。
夫の正志に相談するが、引っ越す前は必ず芽衣子の味方になると言っていたはずの正志は仕方がないから我慢しろと言うばかり。仕事を辞めて転校を嫌がった息子を強引に連れてきている手前、別れるとも言えない。芽衣子は耐え忍ぶことを選んだ。
●前編:「お客さん気分でいられるのも今日までだからね」突然、米農家の嫁になってしまった30代女性の「人生の大誤算」
そして15年後…田舎での暮らしは想像以上にハードだった。澄子は芽衣子をことあるごとにこき使い、少しでも自分のやり方から外れれば遠慮なく小言をぶつけてきた。
「本当に不出来な嫁だよ」
そんな人格否定のような言葉を投げつけられることだって、1度や2度ではなかった。
とはいえ、引っ越してから15年も時間がたてば、そういう理不尽さとも自分のなかで少しずつ折り合いをつけられるようになってくる。何より澄子のやり方というやつに慣れたのが大きいだろう。どこからか粗を見つけてきては小言をぶつけられる日々に変わりはなかったが、それでも心持ちが変化したおかげか、単に打たれ強くなっただけなのかはさておき、引っ越してきた当初よりもはるかに住みやすくなっていた。
あるいは、3年前に義父の泰司がガンで他界し、義母も本格的に足腰が悪くなって介護が必要になり、家業が本格的に正志へ継がれたことも大きかったのかもしれない。
今ではもう10年以上住まわされた離れは物置になっていて、息子は都内の大学で1人暮らしをし、芽衣子たち夫婦は母屋に移り住んでいる。
芽衣子をヘルパーと間違えて…「お義母(かあ)さん、お茶でもいかがですか?」
午後の作業に出掛けた正志を送り出したあと、珍しく穏やかな表情で縁側に腰かけていた澄子に、芽衣子は声をかけた。
義母はちらりと芽衣子を見たが、何も言わずに庭に視線を戻した。無視程度であればもはや日常なので、芽衣子は気にせず台所へ向かって2人分のお茶を入れる。あとで1人で飲んでいるところを見られると、気が利かないの何のと文句をつけられることが分かっているからだ。
特に急ぐこともなくお茶を入れ、芽衣子が湯飲みを差し出すと、義母はぽつりとつぶやいた。
「悪いねぇ」
その言葉に、芽衣子は思わず動揺した。お茶をいれて礼を言われたことなど、今までになかったからだ。
「いつも助かるよ、幸代さん」
だが動揺もすぐに納得に変わる。どうやら澄子は、芽衣子を訪問介護のスタッフと勘違いしているらしかった。
どう返事をすべきか迷ったが、最近の澄子に認知症の兆候があることはヘルパーや主治医からも聞かされていたし、今更名前を間違えられたくらいで何か思うことがあるわけでもない。芽衣子は「いいえ」と流し、湯気の立つお茶を口に含んだ。
「縁側、寒いでしょ? 風邪引きますよ」
「大丈夫だよ。若いときから、身体が丈夫なことだけが取りえなんだ」
芽衣子は話しながら、澄子とこうして穏やかに会話をするのは15年暮らして初めてのことかもしれないと思った。
それから澄子は、何の脈絡もなく、ただ頭に浮かんだことをぽつぽつと語った。
天候不順で米が不作になったときの話、孫が生まれたときのこと、義父に対する愚痴ーー。そして、いつしか話題は嫁の芽衣子へと移っていった。
あの子には悪いことをした「嫁ってのはね、最初はあんまり気に入らないもんだよ。特にうちの嫁は、都会から来たくせに、生意気な顔して……」
芽衣子は思わず心の中で苦笑した。越してきたばかりころは特に、小言を言われて不服そうな顔をしていると、生意気だと言われた。
「最初はね、本当に腹が立って仕方なかったんだよ。私の言うことなんか、どこ吹く風って顔してたしね。最初はね、離れに住まわせてたんだけどね、毎晩毎晩、庭に出るとあたしの文句を言ってんのが聞こえてくんのさ。腹が立つだろう?」
そうだったのか、と心のなかで思った。当時は考えても見なかったが、あれだけ隙間風が吹く古い建物だったのだから、考えてみれば当然だった。
「でもね、どんなに私が口うるさく言っても、あの子は文句ひとつ言わずにこなしてくれたんだよ。都会育ちで土なんていじったこともなかったのにさ.」
芽衣子は手に持っていた湯飲みを思わず取り落としそうになった。
義母はいつも文句をつけるばかりで、芽衣子を褒めたり感謝の言葉を口にしたりすることは一切なかった。
「お嫁さんのこと……少しは認めてたんですか?」
ヘルパーのふりを続けて、芽衣子は澄子に問いかけた。
「さあ、どうだろうねぇ……本当は認めたくなんかなかったのかもしれない。でも、年月ってのは不思議なもんだよ。あんなに気に入らなかったあの子のことを、いつの間にかこの家の一員だって思えるようになったんだから……」
お茶をすすった義母の顔にふっと笑みが浮かんだ。それは、これまで見たことのないほど優しい表情だった。
「それなのに私は、つらく当たってばかりで……あの子には悪いことをしたねぇ」
「そうだったんですか」
芽衣子は小さく息を吐いた。天井を見上げたのは、そのままでは涙がこぼれてしまいそうだからだった。
15年、楽しいことよりもつらく理不尽なことのほうが多かった。そのたいていの原因である澄子のことを何度も憎みさえした。だが農家の嫁として、懸命に走ってきた15年だった。
無駄ではなかったんだ。
穏やかな陽光に包まれている澄子の丸くなった背中を眺めながら、芽衣子はもう一口お茶を飲んだ。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。
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