英語ゼロから世界一に、日本人バーテンダーの新たな挑戦

Forbes JAPAN / 2018年6月3日 12時30分

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「こいつらには、敵わない。勝ったはずなのに、負けた」と思った。6年前、NYに来た時には、あんなに欲しかった世界一の座。それなのに「そんなもの、どうでもいい」と思わせる何かが、そこにはあった。

2012年2月、日本人バーテンダーの後閑信吾は、「Bacardi Legacy Cocktail Competition 2012 (バカルディ世界レガシーカクテルコンペテション)」の決勝の舞台にいた。地域予選、国予選、世界大会準決勝を勝ち抜いた世界トップの8人が、世界一の座をかけて、その腕を競う大会だ。

地域予選、国予選、世界大会準決勝

7分間でカクテルをつくりながら、プレゼンテーションをして、審査員にサーブするというのが、審査の内容だ。世界大会の決勝というだけあって、集まったのは、すべてにおいて素晴らしいバーテンダーばかりだった。

そんなライバルたちと戦ううえでの、後閑の弱点は、英語と人前で話すことがあまり得意ではないということだ。カクテルをつくりながら、いかに英語でそのストーリーを説明するかも審査の一部で、いちばん苦手とするところだった。

十分に説明できない部分を補おうと、ストーリーを知人に翻訳してもらい、審査員にそれを配った。もちろん、それだと「伝える力」は弱くなる。そんな様子を察したひとりの審査員が、決勝直前の予選で、「味もテクニックもいいのに、プレゼンテーションが弱い。Just Be Yourself(自分らしくすればいい)」声をかけてくれた。

予選で敗退した、前年の苦い思い出が頭をよぎった。同じことを繰り返すのでは、NYにいる意味がない。俺に足りないのは、かっこいいストーリーではなく、本音で話すことなのではないだろうか、と後閑は開き直った。



世界一はたまたま自分が手にしたもの

もともと、後閑は、目標設定をして、それをいかに達成するかを逆算するタイプだ。2度目の挑戦となるこの年、コンテストで披露するスピーク・ロウ(Speak Low)というカクテルも、後閑の周到な計算に基づいたものだった。

本来は、バカルディに紅茶を漬け込んで、香りのついたカクテルを考えていたが、スポンサーの商品の味を変えては、コンテストでは残れないだろうと、予選前日の営業が終わった明け方に気がついた。そのままバーにとって返し、急遽、新たなレシピを考えた。勝つための手段、それをあらゆる方向から考えて、分析し、準備する。それが後閑のスタイルであり、強みだった。

しかし、「Just Be Yourself」という審査員の言葉に、「勝つための手段」ではなく、「本当の自分」とは何なのかを考えさせられた。すると、NYに来てからの6年間が、走馬灯のように蘇ってきた。

それまで後閑は、NYでいちばんのバーテンダーになるという夢を持ち、意地を張って生きて来た。技術はあるのに、英語が話せないことで足元を見られ、日給15ドルで働き、プレーンベーグルだけを食べて暮らした苦しかった時代もあった。コンテストの前年にあった東日本大震災。日本に帰りたかったが、NYで働き続けると決めて、退路を絶った。

後閑は決勝に臨むにあたって、戦略も、ストーリーも、全部捨てて、素の自分で勝負しようと決めた。準備していた台本も捨てた。すると、ステージでは自然に言葉が溢れ出て来た。もともと話すつもりなどまったくなかった、NYでの下積みの日々、東日本大震災のこと。気づくと、それらを泣きながら話していた。会場からも、嗚咽が聞こえた。審査員たちの目にも、涙があった。

コンテストでは、5人の審査員に対して、本来はカクテルを2杯つくればよい決まりだ。しかし、カクテルは最初のひと口が肝心。審査員全員にその最良のひと口を味わって欲しいと、予選からずっと人数分をつくって来た。

5杯つくると、審査員にサーブするまでは間に合うかもしれないが、片付けが終わらせられるか。それでも味に妥協はできないと5杯をつくり、サーブしたところでタイムアップ。「間に合わなかったか」とステージを振り返ると、驚きの光景が広がっていた。なんと、片付けが終わっていたのだ。

舞台袖にいたライバルのバーテンダーたちが、ステージに駆け上がり、片付けを済ませてくれていたのだ。信じられなかった。俺は自分が勝つことだけを考えてここに来たのに……。感動と驚きで、涙が溢れ出て来るのを感じながら、「なんで、そんなことができるんだ」と聞くと、「当たり前のことをやっただけだよ。お前も逆の立場だったら、きっとそうするだろ」という答えが返って来た。

「もう順位なんてどうでもいい」と思う自分そこにいた。そんな気持ちで、「The winner is from NY!」というアナウンスを聞いた。「from NY」、そのとき、あれほど欲しかった世界一のタイトルが、自分の手の中にあることに気づいた。

それからは、「このタイトルは、自分だけのものではない」と考え方が変わった。手伝ってくれたのは、誰が世界一になってもおかしくない、腕利きのバーテンダーたちだった。世界一は、たまたま自分が手にしたもの。だからこそ、この賞に恥じないようにやっていこうと決めた。



賞の一環として世界ツアーがあり、受賞者である後閑は、世界各地で行なわれるプロモーションイベントにゲストバーテンダーとして参加した。講演会や講習会などの依頼も、すべて受けた。あちこちからの招聘に積極的に応えた結果、ヘッドバーテンダーを務めるNYのバー「Angels Share」の現場には立てなくなった。そこで、新しいカクテルのレシピづくりや、バーの監修、スタッフ教育などを仕事の中心に置くことにした。

公式イベントに参加するだけでなく、業界全体のために貢献したいと、後閑は個人的にもバーテンダーの教育に力を注いだ。若い世代に自分がこれまで吸収してきたことを伝えてきた結果、後閑の元から、すでに世界チャンピオンが2人、国代表は5人誕生している。

一方、NYや世界ツアーで吸収した自分なりの経験を基に、アジア人バーテンダーとして、これまでにないバーのスタイルを表現したいという思いも高まってきた。タイミングよく、「上海で店を出さないか」というオファーが届く。アジアに拠点を持ちたいと考えてはいたが、東京はまだ自分のスタイルが受け入れられる雰囲気ではないと思っていた。

後閑は、父親が一代で興した会社の後継ぎとして育てられたが、その期待を裏切ってバーテンダーになったこともあり、「いちバーテンダーではなく、経営者にならなければ、後を継がなかった意味がない」と考えていた。だからこそ、新しいマーケットである中国に自分の店を出し、勝負をかけるのも悪くないと思った。

実際に足を運んでみると、上海のバーシーンはさほど開拓されてはいなかった。「これは、いける」そう直感し、2014年に自らのバーをオープンする。その名はもちろん、「スピーク・ロウ」。そこには、人生を変えたあの瞬間を忘れない、そしてそのとき助けてくれた仲間への感謝の思いも込められている。

NYの「Angels Share」での経験から、「こんなスタイルがあったらいい」と思ったサービスを盛り込んだ。1階は小さなディスコ、2階はNYスタイルで立ち飲みもできる賑やかなバー、3階はゆったりとクリエイティブなドリンクが楽しめる落ち着いたバー、そして最上階は会員制のウィスキーラウンジにした。

さまざまなスタイルで楽しめるバーは、多くの顧客を取り込み、バーは大人気となる。2016年から始まった「Asias 50 Best Bars」 では第2位にランクイン。一躍、アジアの有名店となった(2018年は第3位と、3年連続でトップ3入り)。好調を受けて、2016年には、同じく上海に、食前・食中・食後酒という3通りの楽しみ方を提案する2店舗目「Sober Company」をオープンした。



そして2017年、後閑は、世界のバー業界のアカデミー賞といわれる「Tales of the Cocktail: The Spirited Awards」で、バーテンダーにとってこれ以上はない最高の栄誉である「International Bartender of the Year」を受賞する。世界的にその実績が認められた者だけが手にすることができる、名実ともに世界一のバーテンダーを意味する賞だ。

日本の若者たちにバーの魅力を伝えたい

この6月、その世界一のバーテンダーである後閑が、ついに東京へ出店をする。2006年にNYに旅立って以来、12年ぶりの日本。NYという異郷で自らの道を切り拓いてきた自身を、約160年前の侍と重ねた。

1860年、アメリカを訪れた遣米使節団の侍たちが、バーを訪れたという記録が残っている。「その侍たちが、もし日本でバーを開いたら」というドラマティックなコンセプトの店だ。オープンは、6月16日。侍たちがアメリカ上陸したその日に開店すると決めた。ちなみにこの日は、奇しくも4年前に「スピーク・ロウ」がオープンした日でもある。

東京渋谷区で新しくオープンするバーの名前は、「ザ・エスジー・クラブ(The SG Club)」。「SG」はもちろん後閑のイニシャルでもあるが、もうひとつは、Sip and Guzzleを意味する。つまり、旧来のバーのようなSip(ゆっくり飲む)と、賑やかに楽しむGuzzle(ガブガブ飲む)が、ふたつとも楽しめる店であるというコンセプトに由来している。

後閑は、バーテンダーとして世界を見て来たなかで、「自由な発想で、客のニーズにあった居心地良さを提供する」ことの大切さにも気付いた。日本では、居酒屋には行ったことがあるが、本格的なバーには行ったことがないという若者も多いだろう。そんな若い人たちに、もう一度バーの魅力を伝えたいという気持ちもある。

「ザ・エスジー・クラブ」の地下1階は落ち着いて飲むスタイルのバーだが、1階にはガブ飲みがコンセプトのバーをつくり、上質な台湾の茶葉を使って丁寧に水出ししたウーロンハイや、レモンバームやレモンバーベナなどのハーブを使ったレモンサワーなど、「本気でつくった」チューハイを手ごろな価格帯で出そうと考えている。

その他にも、ベースのハードリカーに焼酎を取り入れたカクテルも提供する。そこには、「焼酎は日本の国酒でもあり、もっとカクテルに使われても良いはず」という、日本人バーテンダーとしての思いがある。

日本でも、欧米のように気軽に楽しめるバー文化が根づけば、旧来の日本のバーの良さも感じることができるだろう。「ザ・エスジー・クラブ」を通して、その両者をつなぐ架け橋となるのが、後閑がいま目指しているところだ。かつての侍たちが、日本とアメリカをつなぐ架け橋となったように。

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