1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

舟木一夫 出会いと別れの80年 和泉雅子、人前で着替えられない舟木一夫に「何やってんの、早くしなさい」 突然セリフを忘れ…「マコちゃん、ひどいよ」

zakzak by夕刊フジ / 2024年8月30日 6時30分

和泉雅子(右)とのコンビで多くのヒット作を放った(夕刊フジ)

舟木一夫と和泉雅子は計6本の日活映画を撮っているほか、舟木の歌謡ショーのステージでも共演している。和泉は舟木の3歳年下だが、今でも舟木のコンサートの楽屋を訪ねるときは「舟木クン」「マコちゃん」と呼び合う仲だ。

2作目の「北国の街」(1965年)。ホームに汽車が入り、和泉がカメラを背に舟木を見送るシーンで、和泉が突然せりふを忘れた。間合いは覚えていたため、舟木に「せりふを全部忘れたけど、驚いた顔をしないで、私が〝はい、どうぞ〟と言ったら台本通りにしゃべって」と伝えた。舟木は次の駅で降り、車で戻ってくると「マコちゃん、ひどいよ」。当然です。

2人の最高傑作は「絶唱」(66年)だ。和泉は西河克己監督から「小雪役を本気でやりたいなら、痩せなさい」と言われ、バターやジャムのないパン、マヨネーズもドレッシングもない野菜…といったメニューを2カ月間も続け、8キロも痩せた。

さすがに試写会の時に吐き気とめまいがしたため、病院に行ったら「栄養失調です」。慌てて食べまくり12キロもリバウンドしたという。

「絶唱」は66年度の日活映画の配収1位になり、舟木が歌った同名主題歌も、日本レコード大賞の最優秀歌唱賞に輝いた。

当時の舟木の映画にかける情熱、心意気はすごく、和泉は「舟木クンは撮影所には必ず縦書きの古い大学ノートを持ってきて、一生懸命せりふを書いていた。ほかにノートに(せりふを)書いていたのは(吉永)小百合ちゃんだけでした」と語っている。

東京・浅草国際劇場で共演したこともある。当時の舟木は皆の前で着替えができず、ショーの通し稽古で、1曲歌い終えて早変わりの時、慌ててソデに行って着替えていたため、次からは衝立が用意された。和泉は「私はパーと脱いで下着だけになっているから、何やってんの、早くしなさい」と叱ったそうだ。

もっとも和泉は「舟木クンがお釈迦様の掌で、私が孫悟空。私が好き勝手に動くのを受け取ってくれたから、うまく行ったのね」と語る。 =敬称略

(大倉明)

■舟木一夫(ふなき・かずお) 歌手。1944年12月12日生まれ、79歳。愛知県出身。63年6月、「高校三年生」でデビュー。橋幸夫、西郷輝彦とともに〝御三家〟と呼ばれ、人気を集めた。歌手だけでなく、ドラマや映画などで活躍してきた。ツアー「コンサート2024」を開催中で、10月22日に大阪・フェスティバルホール、同月23日に神戸国際会館・こくさいホール、11月6日に東京・渋谷の「LINE CUBE SHIBUYA」(渋谷公会堂)を予定している。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください