中日ドラ2入団も突然の「島流し」 18歳には辛すぎた“現実”「得るものは何もなかった」
Full-Count / 2024年9月24日 6時50分
■山崎武司氏は1年目キャンプで落合博満と同部屋「寝る時だけ帰った」
野球評論家の山崎武司氏は、1986年ドラフト2位で愛工大名電から中日に捕手として入団したが、下積み期間は長かった。プロ1年目は星野仙一監督に三塁転向と米国留学を指示され、ドジャース傘下のルーキーリーグで修行。しかし、帰国後、捕手に再転向となるなど試練の日々が続いた。2年目の1988年に中日はセ・リーグ優勝を果たしたが、全く関わることはなし。ただし、星野監督による鉄拳は、そのオフに初めて浴びたという。
強肩強打の捕手で、しかも地元・愛知県出身。山崎氏への球団の期待は大きかった。「22」は阪神、西武で活躍した元捕手で、プロ通算474本塁打の田淵幸一氏がつけていた背番号。「田淵さんを超えろってイメージでもらいました」。1987年、プロ1年目の沖縄キャンプではロッテから移籍してきた3冠男・落合博満内野手と同部屋に割り当てられた。将来の主軸候補としての期待の表れだった。
「そうだったんでしょうけど大変でした。何も教えてもらっていませんよ。18歳と3冠王。しゃべれる立場でないから。普通、部屋子はかわいがってくれるじゃん。でも、それも何にも……。気も使ってくれるわけでもなかったしね。部屋には(落合専属の)広報がいて、落合さんとずーっと酒を飲んでいた。そんなところにはいられないし(ドラフト1位の近藤真一投手ら)同級生の部屋にいくしかなかった。ホントあの時は寝る時だけ部屋に帰った感じだったね」
いきなりオレ流の“洗礼”を浴びた形で、ルーキーの山崎氏にとってはつらい日々でもあったようだ。そこに加えて、星野監督から命じられたのが米国留学だった。「今思えば、それも期待してのことだったかなってなるけど、当時はいきなりアメリカに行ってこいと言われてクーっとなって、そんなの頭にもなかった。アメリカに島流しを食らったって思った。最初の1年が何もできずに、それで終わるってことだからね」。
大宮東からドラフト4位入団の同期・荒川哲男内野手とともに米国に行くことになった。山崎氏は捕手ではなく、三塁手としての留学。打力を伸ばすために「山崎はサードで育てたい」という星野監督の指示だった。ドジャース傘下ルーキーリーグでプレーしたが、苦しい日々だったという。「ちゃんと終えたけど、得るものは何もなかったね。サードは初めてだったし、へたくそすぎた。なかなかうまいこといかなかった」と振り返った。
■捕手では2学年上の中村武志が台頭「売り出し中で、すごかった」
日本に戻ったら「『またキャッチャーをやれ』って星野さんに言われた」という。2軍で再び捕手として出直しとなったが、状況は厳しかった。その年は中村武志捕手が高卒プロ3年目にして1軍初出場を果たし、頭角を現しはじめていた。「中村さんが売り出し中で出てきたし、すごかったし、俺ってもう無理やんみたいな……キャッチャーやりたくねぇって思っていました」と当時の心境を明かす。
高校時代のライバル・近藤が1987年8月9日の巨人戦(ナゴヤ球場)で衝撃のノーヒットノーランデビューをやってのけ、さらに騒がれていた中、山崎氏は試練の毎日だった。プロ2年目の1988年7月25日、ナゴヤ球場で行われたオールスターゲーム第2戦で山崎氏はブルペン捕手を務めた。「(広島投手の)大野(豊)さんとか(巨人の)槙さん(槙原寛己投手)とかのボールを受けて、やっぱり1軍のピッチャーはスゲーなぁって思った。衝撃を受けたね。それは覚えている」。
憧れだった巨人の選手を間近に見て「ユニホームが光っていたなぁ」とも。しかし、この年も1軍とは無縁だった。中日はリーグ優勝を果たしたが、「2軍だったから人ごとでした」。1年後輩の高卒ルーキー・立浪和義内野手がレギュラーとして活躍し、新人王に輝いたシーズン。山崎氏は「俺はまだ1軍に上がれるレベルではなかったと思う」と話したが、悔しかったに違いない。
そんな中、2軍で着実に力はつけているのは首脳陣も認めていた。日本シリーズ(10月22日~27日)で西武に1勝4敗で敗れた中日は、11月中旬に守護神・郭源治投手の故郷・台湾に遠征し、オール台湾と親善試合を行ったが、そのメンバーに山崎氏は選ばれた。「源治さんが台湾チームに入って投げたんだけど、俺、3ランを打ったんですよ。源治さんのスライダーをパコンってね」。見事に打撃でアピールした。
これには続きがあった。「その試合、すごい乱打戦で、最後、確か鹿島(忠)さんが逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれて負けたんですよね。でも親善試合だしなぁなんて思って宿舎に帰ったら、バッテリー集合って星野監督に呼ばれて『お前ら親善試合と思ってナメとんのじゃないのかぁ!』ってバ、バ、バ、バーって。俺もバーンと殴られた。まぁ今だから言えるけどね。張り倒されました」。
現在では考えられないことだし、当時も決して暴力行為が許されていたわけではないが、愛のムチ的感覚で、そういうことがよく行われていた時代ではあった。初めて食らった星野監督の鉄拳。笑いながら明かした山崎氏にとって、その台湾遠征はかっ飛ばした3ランとともに、強烈な思い出になっているようだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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