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出身ヤンキー、現在役者:木下ほうかインタビュー「返り血を浴びたままのオーディション」、「紳助兄さんが泣いた夜」

ガジェット通信 / 2019年10月7日 16時0分

どうもどうも、特殊犯罪アナリストの丸野裕行です。

自分が書いた小説を映画化した『木屋町DARUMA』で知り合った木下ほうかさんとは、東京のテレビ番組に出演するときやトークイベント出演するときに、いつも飲みに連れて行っていただいてます。今回、『実話ナックルズ』最新号のヤンキー時代のインタビュー取材をさせていただき、いろいろとこぼれ話を聞くことができました。

俳優・木下ほうかはどのようにブレイクしたのか?

役者をはじめた時代の話を含めて、ブレイクするまでの数十年のお話を聞きました。

役者になりたかったから芸術大学に進学

――ほうかさんて、ヤンキーやってたのに、なんで大阪芸術大学舞台芸術学科に入ったんですか?

木下:試験勉強もちゃんとやってたよ。集会の途中に抜け出して、家に帰って、受験勉強もしていたし。大学に入ったヤンキーなんかいないから、みんな周りの不良は離れていったし、大学は行ったときにパンチパーマだったのは、僕ともう一人だけでしたよ。恥ずかしいから、すぐに落として(笑)

――それはやっぱり役者を目指していたからですか?

木下:そう。『ガキ帝国』の映画出演したのをきっかけに俳優を目指してたから……。上映禁止騒ぎで伝説になってるけど『ガキ帝国 悪たれ戦争』に出演していたんよね。これは、とある事情があって上映できないということになってるけど、趙方豪主演で期待されていた面白い作品だったんだけどね。それからは、学生演劇やって、演技の勉強して、大学卒業時には、吉本興業が新喜劇の団員を募集していて、そこにはいると給料制で月に8万円もらえるということで。だって、芸能関係で給料をちゃんともらえるなんてないから。新喜劇のオーディションを受けて、ちゃんと合格しました。

――それからは俳優の道をどんどんと突き詰めていくわけですね

木下:新喜劇をやっていた吉本は漫才や漫談をしている芸人さんとの距離も近いので、すごくアドリブ芝居の勉強になりましたよ。昔の吉本は、まともな人が行くところではなくて、少年院上がりとか、鑑別所上がりとか、ワルばっかり。そういう世の中に認められていない人たちが、唯一認めらられて、資質や出自や国籍を問われない世界だなと実感しました。

吉本を辞める

――でも、吉本新喜劇を辞めてしまうわけですか?

木下:僕、映画やりたかったから、やっぱり。上京しようと考えたわけです。それを相談したのも、当時(島田)紳助兄さんで。『ガキ帝国』の頃からの付き合いは今も続いてますよ。紳助兄さんの昔公開した映画だった『風、スローダウン』にも協力していたし。『風、スローダウン』は長原成樹の主演作だったけど、実は僕も狙ってた(笑)。主役をね(笑)。でも、端役でちょっと悔しかったよね。

――島田紳助さんとの関係はどんな感じなんですか?

木下:『岸和田少年愚連隊』の頃までは、ご飯が食べられなかったので、ずっと世話になってました。飲みに連れて行ってもらったり、飯を食わせてもらったり、ね。ちょっと前に紳助兄さんが「おまえ売れてきたらしいな、よかったな」って、泣きながら……涙流して喜んでくれましたよ。

――それから吉本との関係は?

木下:とりあえずは東京吉本に移籍しました。そのときは、極楽とんぼやチームゼロなんかとコント芝居やったりとかしながらだったけど、やっぱり吉本をキッパリやめようと。それからは、仕事はない、芝居もできない、食えないという闇の時代のはじまりですね(笑)

先が見えない暗黒の時代

――何やって生計を立ててたんですか?

木下:肉体労働の水道屋。それを7年くらい続けていましたよね。そこで、僕は勝気だから常にピリピリしているので、それからはすぐに喧嘩になるわけ(笑)

――雲行きが怪しいですよね(笑)

木下:すぐ殴ると(笑)。スクーターあおられたら、どんな車だろうがすぐ喧嘩、乱闘でしたね。ヤンキーだろうが、ヤクザだろうが、タコ殴りにする生活。ちょうど、オーディション前にも乱闘騒ぎがあって、東銀座のオーディション会場で服に返り血が飛んでいたんですね。それが再びヤンキー映画に出演するキッカケになったわけです。

――結果どうなったんですか?

木下:うん、井筒監督とちょっとしたレジャーに向かったときに、「ああ、おまえ、サダ役合格やし」と。自分が出演した『岸和田少年愚連隊』の評価が高くて、それからは少しずつ食えるようになってきました。映画の仕事が増えてきて、そんなにVシネマとかは『梁山泊』なんかのシリーズものにしか出てない。渡辺謙さんと役所広司さんの『絆』とか、深作欣二監督の『いつかギラギラする日』とか、伊丹十三監督の『マルタイの女』とかなど出演作品が増えました。『マルタイの女』は新興宗教の信者の役だったけど、主人公を襲撃するときのバイクのシーンは、ヤンキー時代の昔取った杵柄で、バイクスタントも吹き替えなしでやってたし。結構アブなかった(笑)。

――それからどんどん露出が増えるわけですね

木下:いろんな監督の様々な作品に出演し続けて、決定打になったのはフジテレビの斎藤工と上戸彩が主演だった『昼顔』。あれで火がついて売れた。

――僕のところにも電話いただきましたよね

木下:そう、オレ売れると思うわ、ってな。それから、バラエティ番組なんかにも少しずつ顔を出すようになって。

恩人がたくさんいる

――では、今の木下ほうかをつくった人生の恩人は誰ですか?

木下:大学時代に一緒に学生演劇やってた古田新太とか筧利夫渡辺いっけいとか、『劇団☆新感線』のメンバーとか、『吉本新喜劇』のメンバーとか、たくさんいるよ。役者形成に刺激を受けた人たち。絶対的な恩人は、井筒和幸監督島田紳助さんですね。やっぱり彼ら2人がいないと今の自分はいないと思います。

いかがでしたか?

一筋縄ではいかない、役者の世界で頭角を現し、現在の成功を手に入れた木下ほうかさんはラッキーボーイなのかも知れません。

しかし、彼の積み上げてきた努力は、並々ならぬものではなく、チャンスを掴むために常に前向きに挑み続けてきた結果なのかもしれません。

木下ほうかさんのヤンキー時代の話は『実話ナックルズ』最新号でもご覧いただけます。

実話ナックルズ

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(執筆者: 丸野裕行) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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