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世界的作家の生涯を描いた映画『HOKUSAI』葛飾北斎研究の第一人者・安村さんに聞く「水にはじまり、水に終わる人生」「画狂老人卍」

ガジェット通信 / 2021年4月30日 9時0分

代表作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が2020年2月に新たに刷新された新パスポートや 2024年度から使用される千円札のデザインに採用されるなど、今なお愛され続ける世界的アーティスト葛飾北斎。19世紀にヨーロッパでジャポニズムブームを巻き起こし、マネ、モネ、ゴッホ、ゴーギャンなど数々のアーティストに影響を与え、西洋近代絵画の源流となった、世界で最も有名な日本人で、米LIFE誌“この1000年で偉大な功績を残した100人”にも唯一の日本人として選ばれています。

その北斎の知られざる生涯を初めて描く映画『HOKUSAI』が2021年5月28日(金)に全国にて公開する事が決定(配給:S・D・P)、海外でも順次公開予定です。

70代で大ブレイクし90歳まで生きた北斎。93回も引っ越し、30回以上も改名するなど、天才でありながら、変わり者であると知られています。北斎都市伝説的な形で、北斎研究の第一人者である信州小布施の北斎館館長・安村敏信さんに映画の感想から、北斎についてのあれこれを伺いました!

【動画】映画『HOKUSAI』60秒予告

https://www.youtube.com/watch?v=SIbtPTr6KaY

――今日はよろしくお願いいたします。北斎研究をされている安村さんが、映画『HOKUSAI』をご覧になっていかがでしたか?

安村:面白かったです。北斎が70代くらいの、「富嶽三十六景」制作あたりのお話はよく映像化されるんですね。あとは娘のお栄との話と。でも、本作の様に若い頃から全体を追っているというのは珍しいと思います。北斎役の役者さんも2人用意して、とても豪華な映画だと思います。

――特に印象的なシーンはありますか?

安村:北斎が「ベロ藍」と出会った喜びを、田中泯さんの本業でもある踊りで表現されている部分が、すごく印象的でした。さすが舞踊家だな、と思いました。ベロ藍はベルリンで作られた化学染料で、目に鮮やかな藍色なのですが、それに出会ったことで北斎はまた表現の幅を広げていく。その演出が良かったです。ベロ藍と出会ってから「富嶽三十六景」の制作にのめり込んでいき、市民たちも驚いたというのも、史実にのっとっていて。

――「この色はすごい!」という驚きと喜びが表現されていますよね。

安村:北斎は新しいもの好きなので、新しいものに出会えたらすぐ使いたい!と思うわけです。版元さんという、今でいう出版元の様な職業の方から、「ベロ藍を使ってみない?」と言われて、ホイホイ乗ったのが「富嶽三十六景」なんです。だから、提案した版元さんもすごいのです。北斎が「ベロ藍を使いたい」と版元に持ち込むわけではないので、版元さんがプロデューサーの役目をしているわけです。

――版元さんの役割もとても重要だった、というわけですね。

安村:あとは柳楽優弥さんが演じている時期で、海を見て絵を描いているシーンが多いのも印象的でした。北斎にとって<水の表現>というのは生涯をとおして挑んでいたものですから。柳楽さんの全身で海と対峙しているお芝居も素晴らしかったです。北斎の人生は「水に始まって、水に終わる」と言っても良いのだと思います。

――北斎以前に、水の表現に挑んだ画家はいなかったのでしょうか?

安村:それまでの水の表現は、風景の一部でしかなかったわけです。水をメインにしたのは北斎が初めてじゃないかなと思います。皆さんがご存知の「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」の前に色々な水の表現を、版画でもやっていますし、滝沢馬琴の本の挿絵も担当していますし、すごい波を描いているんですね。それまでに描いてきた水の表現の集大成が「富嶽三十六景」なのだと。その後も「千絵の海」という海のシリーズや、「諸国滝廻り」という、色々な土地の滝を描くシリーズを立て続けに70代で発表しています。北斎の水に対する関心が集約されている時期だと思います。

――本作を観ていると、北斎って本当に負けず嫌いですよね。

安村:負けず嫌いですね。「富嶽三十六景」を描く前に、オランダから銅版画というものが入ってきました。それに影がついていたりして立体的に見えるものなのですが、北斎は銅版画を学ぼうとせずに日本の木版画でそれを越える方法が無いかと考えた。また、北斎はオランダ語が分からないけれど、オランダ風にサインをしたいと思って、平仮名を続け字にして縦にしたんです。ただ「ほくさいえがく」と書いてあるだけなのに、まるでオランダ語の様に見えるという(笑)。平仮名落款の中判風景画シリーズというものがあって、すごく面白いです。

――そして、とても変わり者という。

安村:変わり者、というか、こういう人こそが画家なのだと思います。これまでに無いものを求めて、新しい事に常に挑戦する絵描きさんが私は好きなんです。それを周りでは変な人っていうんだけど(笑)。昨年開催された「奇才―江戸絵画の冒険者たち―」という、江戸時代に活躍していた北海道から長崎までの画家を集めた特別展を監修したのですが、北斎とか、伊藤若冲、円山応挙などから、専門家でも知らないほどマイナーな画家の作品を集めて。私はそういう作家が好きなんですね。

――引越しもすごいですが、改名も何回も重ねていますよね。

安村:新しい表現を見つける度に名前を変えていったのでしょうね。本当かどうかは分かりませんが、お金に困ると「北斎」という名前を弟子に売ったりという伝説もあります。でも、北斎が「先の北斎」「前の北斎」と名乗るから、「北斎」という名前を買っても意味が無いという(笑)。さすがにそんな事はしていないと思いますが、北斎だったら本当でも良いなと思います。

実際に「北斎」という名前には思い入れもあって、気に入っていて、一番使っていたんです。「北斗星」を信仰していたから、「北」の字はとってあるのでしょうね。

――北斎が晩年使っていた「画狂老人卍」という名前も、ネットで話題になりました(笑)。あの「卍」というのは…?

安村:あれは分からないんですよね(笑)。お寺のマークみたいで、でもお寺とは関係無いと思うのですが。熱心な日蓮宗の信者だったこともあって、信仰心はあったようです。お弟子さんが描いた、北斎とお栄が住んでいる自宅の奥にも日蓮のマークがついた像が飾ってあったりして。でも、もしかしてそれも「絵を描くために長生きしたいから」だったのかもしれないと、私なんかは思ってしまいます(笑)。

――安村さんがここまで北斎に惹かれた理由は何ですか?

安村:浮世絵を勉強した時に、一番面白いと思ったのが北斎でした。これは日本絵画全体の話なのですが、日本絵画は三次元空間を二次元に落とし込む時に、立体的にしようとしないんです。西洋絵画は陰影とか遠近法でどれだけリアルにするかを考えていたのに、北斎の時代の日本絵画は「現実なんてどうだっていい」という空気があります。ただ、そこにリアルにある実感、臨場感があれば良いと。構図や色を工夫して、ありえない世界の中にありえる世界を描こうとする所が面白いんです。

「神奈川沖浪裏」だって、日本の沖にこんな大きな波がたつわけないのですが、その絵を見た人が「すごい波」だと実感出来る様に工夫をして描いている。そこにヨーロッパの人もびっくりしたんです。ヨーロッパの美術界で、もうこれ以上の表現は出来ないと行き詰まって、その時に北斎の絵を見て感銘を受けて、印象派が出てきます。一般的な西洋画からすれば、(北斎の絵は)ぺたーっとしている平面の絵なのだけど、すごい。これでも良いんだ!と思った事がヒントになって、印象派の単純化された絵が生まれてきたと。

――なるほど、すごい影響力ですね…!

安村:完全な二次元なのに海を感じると。ドビュッシーもそれに感動して交響曲の「海」を書いて、表表紙に北斎の絵を真似した海の絵を描いていたりします。歌麿の絵からは、女性の生々しさや美しさは感じるかもしれないけれど、北斎の絵の様にダイナミックさは感じない。私は北斎のダイナミックさに惹かれたのだと思います。広重の叙情が好きな方もいれば、歌麿の美人画が好きな方もいれば、そこは好みなのだと思います。

――北斎の作品は、もうほとんどが発表済みなのでしょうか?

安村:それが、出尽くしたわけではなくて、何年に一回かはびっくりする様な絵が出てきます。去年も美人画が出てきて、似鳥さん(ニトリホールディングス会長)が買って、北海道の「似鳥美術館」に飾ってあります。

あとは、北斎の描いた肖像画ってあまり無いのですが、いきなり出てきて、去年の11月にうちの「北斎館」で初披露しました。北斎が40歳くらいに描いたものだと考えられるのですが、おそらくこれまで発表されてきた北斎の肖像画の中で一番若いものだと思います。

肖像画としても4点目くらいですかね、

――まだ新しい北斎の絵が出てくる!びっくりしました。

安村:世界の蔵は深いんです。北斎ともなると世界中に作品が散らばっていますから。江戸時代くらいになると、歴史的にはついこないだなんです。平安時代の源氏物語なんかは出てくる可能性は極めて少ないと思いますが、特に北斎が生きていた時代は幕末なのでたかだか200年くらい前ですからね。

――そう考えると、北斎が生きていたのって歴史上では最近なんだ、とワクワクしますね。私はこの映画を若い方が観たら、北斎について知ることも出来ますし、エネルギッシュな人生に元気をもらえるだろうなと感じたんです。

安村:そうですね。北斎の「どんどん追求していく」という姿勢は、若い方も元気を失った時に感銘を受けるかもしれません。北斎は死ぬ間際まで「まだ描きたい」と思っていたわけですから。そして常に新しいものを発表して、画風がどんどん変わっていく、これほどの画家はそうそういないと思います。

それだけ追求したいことがあったんでしょうね。先ほどもいった<水の表現>についても、私たちは小布施で描いた「男浪図」「女浪図」が最終形態かと思っているかもしれないけれど、北斎自身はもっと神秘的で、もっとすごい水の表現をしたかったのでしょうね。映画でも田中泯さんが波を描くシーンで終わっていますが、あれから10年生きていたらもっと素晴らしい、生々しい水を描いていたかもしれない。そんな期待もしてしまうんですよね。

――今日は、本当に貴重なお話をありがとうございました!

『HOKUSAI』公式サイト

https://www.hokusai2020.com/

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