ピンチ!キャプテン退団!(『それ自体が奇跡』第12話)
ゲキサカ / 2017年12月31日 20時0分
30歳、結婚3年目、共働き。
夫は本気のサッカーを目指し、妻は違う男に惹かれ始めた。
初めて訪れる危機を二人は乗り越えられるのか!?
夢を追うすべての男女に贈る、話題の小説「それ自体が奇跡」をゲキサカで特別公開!
迷走の九月
寝耳に水。片桐司が退団することになった。よりにもよって、キャプテン司がだ。
司はゼネコン勤務。中学の途中までアメリカに住んでいたため、英語を話せる。それを見込まれ、シンガポールに転勤することになったのだ。正式な異動は十月一日らしいが、海外ということで、事前に通知された。そこは会社員。断るという選択肢はなかった。カピターレ東京のために会社をやめるという選択肢もなかった。
シーズン開幕直後の小林恭太に続いて、二人め。しかもシーズン終盤。しかもキャプテン。衝撃は大きかった。できる限り練習にも試合にも出ますよ、と司は言ったが、無理はさせられない。チームとしても、司を抜きにしたフォーメーションを早めに確立しておく必要があった。リーグもそうだが、ウチの場合、関東を勝ち抜かなければ意味はないのだ。選手の追加登録は八月三十一日まで。今はもう九月。増員はできなかった。一人減。キャプテンというだけでなく、明朗とともにチームの中心として攻撃を組み立ててきたミッドフィルダーの、減。あく穴は大きい。
監督は、システムを今までの四‐四‐二から四‐五‐一に変え、中盤を厚くした。細かく言えば、四‐二‐三‐一に近い形だ。センターのおれと拓斗と右サイドの智彦と左サイドの伸樹。それに光と至のボランチコンビはそのまま。中盤の前三人は、司に代わって入る悠馬と明朗と圭翔。つまりフォワードの圭翔を中盤に下げ、シャドーストライカーとして機能させる。
これは賭けでもある。監督は勝負に出たな、とチームの誰もが感じただろう。圭翔を下げるということは、新哉をワントップに据えるということなのだ。元プロだが今なお無得点の新哉を。不安を覚えたメンバーもいたはずだ。おれはと言えば、監督の賭けに乗る気でいる。新哉はむしろワントップで活きる選手なのだ。それは初めからわかっていたが、圭翔もよかったので、ツートップにせざるを得なかった。そこへきての、司の退団。試してみるいい機会だろう。
自分が指導者ならできなかった選択かもしれない。これまで五得点と結果を出している圭翔のポジションを変え、結果を出していない新哉のワントップにする。できない。おれなら、悠馬をそのまま司の位置に入れるとか、二宮要をスタメンでつかって悠馬はスーパーサブとして残すとか、そんな無難な選択をするはずだ。
あくまでも暫定ではあるが、監督は試合前のミーティングで、司のあとのキャプテンに、何と、おれを指名した。
「いやいや。おれは今年入った新人ですよ」と辞退した。
「そういうことは関係ない」と監督は言った。「昨日入ったやつでも、まかせられると思えばまかせるよ」
そして皆に問いかけた。
「誰か反対のやついるか?」
手は挙がらなかった。
「いや、そう訊いたら手は挙げられませんて」
「じゃあ、賛成のやつは?」
全員の手が挙がった。コーチの桜庭さんやトレーナーの成島さんやマネージャーの真希の手までもが挙がった。
「いや、その流れならこうなりますけど」
おれがそう言うと、皆が笑った。
「逆に、貢さん以外誰がやるんですか」と明朗が言い、
「はい、決定」と智彦が言った。
「最年長のおっさんがキャプテンではないほうがいいような」とおれ。
「こんなときはいいんだよ」と監督。「困ったときはやっぱり歳上を頼る。おっさんを頼る。でもいいか? みんな、頼りすぎるなよ。困ったら全部貢にバックパスとか、そういうのはなしな」
「ういっす」
だがそううまくことは運ばない。その試合は負けた。〇対二。完封負けだ。攻撃も機能しなかったが、守備も乱れた。その二つは分けられない。連動する。前がよくなければ、後ろにも影響が出る。守る時間が長くなると、攻撃への切り換えも遅くなる。結果、全体として押しこまれる。
「終わったことはしかたない。引きずるな。次、立て直すぞ」
「ういっす」
立て直せなかった。個人的には、立て直そうと努力するところまでもいけなかった。そんな大事なときだというのに、おれ自身が、欠場を余儀なくされたのだ。
きっかけは意外なことだった。おれに何かが起きたわけではない。左ひざに痛みが出たとか、ヘディングの際に相手とぶつかって鼻骨を折ったとか、そういうことではない。風疹になったのだ。おれがではなく、売場の黒須くんが。
試合前日の土曜にそのことが判明した。朝、黒須くんは売場に電話をかけてきて、言った。すみません。今日は休みます。聞けば、朝起きたら顔に発疹があったという。腕などはあまり目立たなかったので、すぐには気づかなかったらしい。顔を洗ったあとに鏡を見て気づいた。ギョッとしたそうだ。はしかと水疱瘡は子どものころにやっている。たぶん、風疹。ということで、売場に電話をかけた。
ツイてないことに、催事がある週だった。大催事ではないが、小さくもない催事だ。黒須くんから電話がきたことを増渕葵に聞かされて、あせった。その先の流れは簡単に想像できた。実際、そのとおりになった。中尾さんには自分から言った。微かな期待を込めて。
「明日。無理、ですよね?」
明日休みをもらうのは無理ですよね? ということだ。中尾さんはおれを見た。少しためてから、こう返した。
「無理じゃないと思えるのか?」
「いえ、それは」
「黒須に無理して出てこさせるか? それで社員にもお客さまにも風疹をうつさせるか?」
風疹が一日二日で治るわけがない。おれは午前のうちに監督に電話をかけ、事情を説明した。まあ、しかたないな、と監督は言った。そういうこともある。貢までもが転勤じゃなくてよかったよ。
そのあとに、黒須くんからメールが来た。おれのスマホにだ。
〈病院に行ったら、やっぱり風疹だと言われました。明日、出勤になっちゃいますよね。本当にすみません〉
昼の休憩のときに、こう返信した。
〈そんなのはいいよ。せっかくの機会だから、ゆっくり休んで〉
試合前日。当日でなくてよかった。欠場という結果は変わらなくても、チームにかける迷惑の大きさは変わる。
というわけで、翌日曜もおれは仕事に出た。丸一日、催事場でお客さまの相手をした。目がまわるような忙しさだったが、試合が頭から離れることはなかった。
結果は、マネージャーの細川真希がメールで教えてくれた。
〈負けちゃいました。一対二。ウチの一点は悠馬くんです〉
負け。ここへきての連敗。痛い。だが悠馬が点をとったのはよかった。悠馬自身、それでノっていけるだろう。あとは新哉だ。もう、譲られたPKでも何でもいいから、とにかく点をとってほしい。チームのためじゃなく、新哉自身のためにとってほしい。新哉が自分のために点をとることが、チームのためにもなるのだ。
その後、ほかのチームの結果から、ウチが四位に落ちたことがわかった。四位。昇格圏外だ。残りは一試合。追いこまれた。最終戦で当たるのは、現在六位のチーム。そこにはもう三位以内の目はない。だが十五チーム中の六位。失点も多いが得点も多い。侮れない。ウチに代わって三位に上がったチームは、最終戦で二位のチームと当たる。星のつぶし合いになる。それがまだ救いだ。ウチは最低限勝たなければならない。引き分けでもアウト。絶対に勝たなければならない。得失点差は関係ない。とにかく勝点三が必要だ。
こわいな、と思う。負けるのがこわいという感覚を味わうのは久しぶりだ。会社の部でプレーしていたときは、そんなことはなかった。三部から二部に上がれたらうれしいが、上がれなくてもそれはそれ。四部に落ちたとしてもそれはそれ。そう思っていた。
ものごとは本当にうまくいかない。会社のサッカー部はつぶれてしまう。夫婦の関係はおかしくなってしまう。キャプテンは海外に転勤してしまう。黒須くんは風疹になってしまう。黒須くんの風疹が最終戦までに治らなかったら会社をやめようか。と、先走ったことを考える。今のレベルで体が動くのは、せいぜいあと二、三年。だから会社をやめない。ではない。だからこそやめる。気持ちはそちらへと動く。
入団して八ヵ月。たかが八ヵ月。おれは自分が思いのほかこのカピターレ東京というチームを好きになっていることに気づく。
初めは逃げ場だった。いわば駆けこみ寺だ。気軽に駆けこんでみたら、本気で修行をさせられる寺だった。だがおれは修行を楽しんだ。楽をしたという意味ではない。仕事で手を抜いたつもりもない。サッカーもやっていたからこそ、仕事もやれた。手を抜かずにやったからこそ、サッカーも全力でやれた。やっていいのだと思えた。
体はキツい。試合に負けた日の翌朝は、本当に起きれない。一度遅刻しかけてからは、綾に頼むようになった。目覚ましもかけるけど起こしてくれ、自分で起きる努力はするけど起こしてくれ、と。会話がないなかで、そこだけはお願いした。
もう中学生や高校生ではない。大学生ですらない。サッカーをやる必要はない。やるなら、自ら求めてやらなければいけない。チームそのものが好きでなければ、できない。プロ云々は関係ない。ただ動きたい。関わりたい。チームの草創期におれも関わっていたんだなぁ。と、あとでそのくらいのことは思いたい。暫定とはいえキャプテンまで務めたんだぜ。と、八十歳のときにそう言いたい。FIFAクラブワールドカップか何かでカピターレ東京がバルサとやる決勝の試合をテレビで観るときに。隣にいる八十歳の綾に。
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▼第1話から読む
○30歳サラリーマンがJリーガーを目指す!?(第1話)
○ある日突然、夫が本気のサッカーを始めたとき、妻は……(第2話)
○入社13年目でやらかしてしまった痛恨のミス(第3話)
○30歳のDF、試合で体が動かない!(第4話)
○試合の翌日、起きられずに会社に遅刻!?(第5話)
●エピソード一覧へ
<書籍概要>
■書名:それ自体が奇跡
■著者:小野寺史宜
■発行日:2018年1月9日(火)
■版型:四六判・272ページ
■価格:電子版 500円(税別・期間限定)、単行本 1,450円(税別)
■発行元:講談社
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