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ブラインドサッカー日本代表・高田敏志監督の告白「僕がメダルを目指す本当の理由」

ゲキサカ / 2019年1月9日 7時0分

ブラインドサッカー日本代表・高田敏志監督の告白「僕がメダルを目指す本当の理由」

 東京五輪でサッカーにおける唯一のパラリンピック種目のブラインドサッカーは2004年のアテネ大会で正式種目になって以来、日本代表はメダルどころか、出場経験すらない。現役時代はプロ経験がない日本代表・高田敏志監督は「初出場でのメダル獲得」という快挙達成を目指す背景に、熱い使命感があった。

「僕はたまたま監督をさせてもらっているだけで、僕を支えてくれる優秀なスタッフや選手はみな人間的にメダルに値する人たちです。彼らの努力に報いる意味でもメダルをとりたい。その先にパラリンピックスポーツに対する評価を変えたい、という気持ちもあるんです。世界ランク1位のブラジル代表、2位のアルゼンチン代表はオリンピックとパラリンピックの位置づけが同じですが、日本はそうではない。この位置づけがあがらない限り、日本でスポーツが文化になることはないと思っています。我々のようなチームが金メダルをとれたら、位置づけがかわるきっかけになるはずです。今、ここにいる限り、僕らにはそういう役割があると考えています」

 高田監督の現役時代のポジションはGK。高校時代は1985年の第9回クラブユース選手権で大阪府・交野FCの守護神として全国3位に貢献した。優勝は読売ユース。のちにヴェルディ川崎の黄金期を支えた1学年下の北澤豪、2学年下の菊原志郎を輩出した名門だった。高田監督は青山学院大卒業後はサッカーをやめ、一般企業に就職。その後、2002年に日韓ワールドカップ(W杯)を機に日本のサッカー界全体が世界を目指す流れが出来てくると、高田監督はサッカーのGKの指導に目覚め、仕事の合間を縫って、海外の指導者研修を受講した。2009年にバイエルン、2010年にACミランやパルマの研修を修了。バイエルンには若き日のルーカス・ポドルスキ(ヴィッセル神戸)もいた。

「懇意にさせていただいていた新聞記者の方とのご縁でドイツに行くことができたのですが、施設の充実度が違った。バイエルンでは1968年、メキシコ五輪の時に釜本(邦茂)さんが宿泊されたスポーツ施設に泊まりました。そんな施設がバイエルンの中にとどまらず、いくつもあり、ドイツ代表も別個に持っている。ここにたどり着くまでに何年もかかりますよね。ドイツにはそれがメキシコ五輪の前にあったんです」
11月のアルゼンチン戦で声を張り上げる
 さらに選手の将来性を見抜くスカウトの眼力にも驚かされた。

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