ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯日韓共催…今、明かされる平成サッカー史の舞台裏
ゲキサカ / 2019年4月15日 14時38分
日本サッカーのプロ化の動きは、まさに「平成」の時代とともに本格化した。1993(平成5)年にJリーグが誕生。同年秋には「ドーハの悲劇」によりW杯出場をあと一歩のところで逃すが、1996(平成8)年のアトランタ五輪でブラジルを破る「マイアミの奇跡」を起こし、1997(平成9)年には「ジョホールバルの歓喜」で悲願のW杯初出場を決めた。
初のW杯出場となった1998(平成10)年のフランスW杯。翌1999(平成11)年にはU-20世界ユース選手権(現U-20W杯)で準優勝の快挙を成し遂げ、その黄金世代が2000(平成12)年のシドニー五輪でベスト8、2002(平成14)年の日韓W杯で初のベスト16進出を果たした。2011(平成23)年にはなでしこジャパンが女子W杯で初優勝。2012(平成24)年のロンドン五輪では男子が44年ぶりのベスト4進出を果たし、女子は初のメダルとなる銀メダルを獲得した。W杯には2018(平成30)年のロシアW杯まで6大会連続出場。まだアマチュアだった平成当初は夢のまた夢だったW杯に当たり前のように出場し、アジアでは勝って当然と思われるまでに日本サッカーは平成とともに成長してきた。
そうした平成の日本サッカーを振り返り、知られざるストーリーを描いた『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』(小倉純二著、講談社刊)が4月13日に発売された。著者は第12代日本サッカー協会(JFA)会長であり、現在はJFA最高顧問の小倉純二氏(80)。1994(平成6)年から2011(平成23)年までアジアサッカー連盟(AFC)理事、2002(平成14)年から2011(平成23)年まで国際サッカー連盟(FIFA)理事、2010(平成22)年から2012(平成24)年までJFA会長を歴任し、日本サッカーのプロ化、国際化を牽引してきた。Jリーグ発足の礎を築き、2002(平成14)年W杯の日本招致(韓国との共催)を実現した立役者がその舞台裏を今、解き明かす――。
「ドーハの悲劇」を経て…
アジア予選 セントラル方式からの転換
インタビューに応じる日本サッカー協会最高顧問の小倉純二氏
“ フランス大会の最終予選をホーム・アンド・アウェー方式にすることは、すんなり決まったわけではない。
(中略)
1次リーグ突破のめどが立ったころ、監督の加茂周さんとコーチの岡田武史に「最終予選はどういう形でやりたいか?」と尋ねた。AFCは前回の米国大会最終予選と同じく、どこか一ヵ所に集まって一気に片をつける「セントラル方式」を最優先に考えている、という情報をつかんでいた。
加茂監督の答えは「もう中東でやるのは嫌ですね」だった。どの国に行くにしても日本からは長旅になるし、時差もある。気候条件も日本の選手に合っていないと。前年、アラブ首長国連邦(UAE)で行われたアジアカップで連覇を狙った日本はベスト8でクウェートに0-2で敗れた。その苦い記憶も多少は影響したのかもしれない。加茂監督はセントラル方式でやるのなら「東南アジアのほうが断然いい」と希望した。岡田コーチは「香港なんかどうですか?」と意見を添えた。
(中略)
ところが、日本を発つ前にFIFA本部にいる友人からとんでもない情報がもたらされた。サウジのアルダバルというAFCコンペティション委員会の委員長が「アジアの最終予選はバーレーンでやる」と触れ回っているというのだ。私は同委員会の副委員長であり、委員長の意見を否定するのは難しい関係にあったが、さすがに黙っているわけにはいかなかった。
怒った私は、ただちに韓国と中国の協会関係者に電話して「ともかくこれは問題だ」と訴えた。「バーレーン開催なんて、われわれに不利に決まっている」と。この闘いに勝つには東アジアだけでは数が足りない。ウズベキスタンとカザフスタンも仲間にすべく連絡を取った。「あんな暑い国で戦わされたら、おたくらも死ぬぞ」と。
韓国と中国はすぐに同一歩調を取ることを約束してくれた。「この件はミスター・オグラに任せます」と。ウズベキスタンは私への賛同を書面にまとめてくれた。カザフスタンも味方についてこれで5票。会議の前の晩にチューリッヒに着いた私は韓国、中国、ウズベク、カザフの代表者を集め、連判状のような形式で「アジアの最終予選はAFCの本拠地があるマレーシアで」という最終案をしたためた。それを翌日の会議の前にワールドカップ組織委員会に提出したのだった。
会議の冒頭、委員会のヘッドであるレナート・ヨハンソン委員長(当時)が「私は昨日、オグラからこういう提案をアジアの総意としてもらっている。異議はありますか」と出席者に問うた。するとサウジのアルダバルが「そんなのは総意でも何でもない」と猛然と反論した。向こうはアルダバルの下でまとまり、西アジア勢も5票だから多数決を採るとまったくの五分。完全に両すくみの状態だった。
私とアルダバルのやり合いは延々、平行線のまま、どちらも折れる気配はみじんも見せない。埒が明かない議論に頭に来たのがヨハンソン委員長だった。
「君らはいつも『アジアは他の大陸連盟と違って皆、仲がいい』と言っているが、実際は全然違うじゃないか」とテーブルを叩かんばかりに怒った。そして「もう、おれは帰る。この議論はここで終わり。最終予選はバーレーンでもマレーシアでもなく、完全ホーム・アンド・アウェーでやってもらう。これが予選本来の形なのだ」と結論を出したのだった。”
(『「平成日本サッカー」秘史 熱狂と歓喜はこうして生まれた』第四章 1998年 フランスW杯予選の舞台裏より)
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