59歳で亡くなったイタリアW杯得点王スキラッチさんを悼む…ジュビロ磐田で日本サッカーを叱咤激励(六川亨)
日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月21日 9時26分
1986年と1990年のW杯に出場し、1988年に西ドイツ(当時)で開催されたEURO(欧州選手権)にも出場しながら、Jリーグでは苦労が多かったリネカー。
一方、スキラッチがイタリア代表で輝いたのは1990年イタリアW杯だけ。まさに同W杯公式ソング「Un 'Estate Italiana」の副題「notte(ノッテ) magica(マジカ)=魔法の夜」のストライカーと思っていた。
ところが"トト"(救世主)のゴール感覚は、いささかも衰えていなかった。入団翌年の1995年は、ブラジル代表MFドゥンガの加入などもあり、34試合で31ゴールという驚異的な数字を残す(Jリーグ通算78試合で56得点)。
驚かされたのは、アジリティを生かしたゴールだけでなく、ドリブル突破からのゴールも簡単に決めていたことだった。 スキラッチ=ペナルティーエリア内での1タッチシュートのイメージが強かったが、ドリブル突破で3人のマーカーを抜いてゴールを決めてみたり、サイドからの仕掛けでチャンスメイクをしてみたり、点を取ること以外でもチームに貢献した。
そうしたプレーを目の当たりにしながら、正直なところ「スキラッチが凄い」というよりも「Jリーグのレベルはまだまだ低い」と憂鬱になった記憶が残っている。
当時のJリーグの守備のレベルは低かった。
それを「勘違いしないで自覚しなさい」と叱咤激励し、レベル向上に貢献したのが、スキラッチを含めたJリーグ黎明期の外国人選手たちだったことは間違いないだろう。
Jリーグは今季、開幕31周年を迎えた。功労者スキラッチの早過ぎる訃報に改めてご冥福をお祈りします。
(六川亨/サッカージャーナリスト)
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