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真田広之『SHOGUN 将軍』でエミー賞18冠 子役からの紆余曲折「世界のサナダ」までの軌跡

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年9月25日 9時26分

真田広之『SHOGUN 将軍』でエミー賞18冠 子役からの紆余曲折「世界のサナダ」までの軌跡

真田広之(C)ロイター

 真田広之が主演、プロデューサーを務めた「SHOGUN 将軍」がエミー賞のドラマシリーズ部門で、史上最多の18部門で受賞した。徳川家康をモデルにした武将・吉井虎永を演じた真田も主演男優賞を受賞したが、彼は一日にして“世界のサナダ”になったわけではない。ここでは主に時代劇俳優としての、40年を超える彼の足跡を振り返ってみたい。

 真田広之は子役を経て、「柳生一族の陰謀」(1978年)で本格的に映画に出演した。彼は73年に千葉真一が主宰するJAC(ジャパンアクションクラブ)に入団していて、その類いまれなる身体能力を駆使して若い忍者役を好演。「忍者武芸帖 百地三太夫」(80年)で早くも映画に主演し、以降は香港映画「龍の忍者」(82年)に主演して海外にも進出。テレビでも千葉主演の「影の軍団」シリーズ(81~85年)にレギュラー出演し、海外で放送されたこのシリーズはクエンティン・タランティーノも大ファンだった。

 この時期、スピーディーかつアクロバチックなアクションによって、それまでの時代劇の常識を破る作品を生み出そうとしていた師匠・千葉真一の指導の下、アクション俳優として磨きをかけていった真田は、“すごいアクションをする若手スター”だったが、演技者としては表現に硬さが見られた。

理想的な“EAST MEETS WEST”

 その壁を破ったのが、戦後の混乱期を賭け麻雀によって生き抜く青年を演じた「麻雀放浪記」(84年)である。アクションを封印したこの映画で、彼は俳優として一皮むけた。その後は時代劇でも「必殺4 恨みはらします」(87年)では悪役に挑戦して演技の幅を広げ、「独眼竜政宗」(87年)の松平忠輝役で、大河ドラマにも出演。大河ドラマ「太平記」(91年)で主役の足利尊氏を演じてからはアクション俳優というジャンルに偏ったイメージはなくなり、時代劇の中心的な存在になっていった。

 90年代からは、大道芸人から謎の絵師・写楽になる主人公を演じた「写楽」(95年)、安倍晴明の宿敵・道尊を憎々しく演じた「陰陽師」(2001年)を経て、日本における彼の時代劇の到達点ともいえる山田洋次監督の「たそがれ清兵衛」(02年)に主演。地方の藩の下級武士の生活をリアルに演じ、ラストには上意討ちの命を受けて、田中泯との壮絶な一騎打ちも披露したこの作品は、アクションと演技の両面で成熟ぶりを見せつける一本になった。

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