野茂英雄氏と借金トラブル 元1億円投手の佐野慈紀さんは今

日刊ゲンダイDIGITAL / 2019年2月18日 9時26分

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スーツを着込んで車に乗る佐野慈紀さん(C)日刊ゲンダイ

 1990年代、近鉄バファローズの中継ぎ投手として活躍。また、薄毛をネタに笑いをとる明るいキャラクターで人気だったが、昨年、元大リーガーの野茂英雄氏との借金トラブルが報じられ世間を驚かせた。佐野慈紀(50)さん、今、どうしているのか。

  ◇  ◇  ◇

 佐野さんと待ち合わせたのは、とある日の午前中、都内の公園。

「この近くに住んでいます。午後から仕事なんで、その前に話しましょう」

 佐野さん、まずはこう言った。きっちりスーツを着込んでいるが、いったい、どんな仕事を?

「去年の12月から、飲食店のコンサルタント会社の社長の運転手をしています。昼すぎに社長の自宅へ迎えに行き、仕事は夜中まで。去年9月に例の出来事(野茂氏との裁判)を報じられ、知人が社長を紹介してくれたんです。裁判の影響で、この1月中旬まで入っていた講演が全部キャンセルになったので、定職に就けてありがたいです」

 2003年に現役引退後は、フリーで野球評論や解説で活躍。12年からは独立リーグ・石川ミリオンスターズの取締役を務めた。野茂氏から03年に借りたお金は3000万円。少額ではないとはいえ、返せなかった?

「石川ミリオンスターズの取締役は去年までで、お金はもらっていませんでした。評論や解説の仕事は面白くて真面目にやってきたつもりですが、帯の仕事がなくなったり、年とともに仕事が減り、月に1本あるかないかという時もありました。でも、見えを張って仕事があるフリをして、野茂にはきちんとボクの仕事の状況を説明さえしていませんでした。自分の都合で用意できた時に返せる額を返してきましたけど、返せる時にもっと返しておくべきだったし、ここ3年はまったく返せていませんでした。完全にボクの不義理。彼が、自分はないがしろにされていると思ったのは当然です」

 そもそも、なぜ借金をしなければならなかったのか。96年に日本プロ野球史上初の1億円中継ぎ投手になるなど、選手時代にガッツリ稼いでいたのではないのか。

「00年のオフに戦力外通告を受け、それから家族で渡米してメジャーリーグに挑戦したんですけど、00年の年俸は1億3000万円。ところが、アメリカでは独立リーグやマイナーだったので、2年間でもらえたのは、月15万円を半年だけ。03年に帰国してオリックスでプレーした年は年俸600万円。そこから税金を引かれ、家族の生活もあって……。それでも、引退した時はセカンドキャリアに手応えがあり、返せると思っていた。派手な生活はしていないし、隠し財産もありません」

 さて、愛媛県出身の佐野さんは松山商業高校から近畿大学を経て、91年、ドラフト3位で近鉄バファローズに入団。

 1年目から活躍し、薄毛の自虐ネタで球場を沸かした。野茂氏とは近鉄時代の同僚で親しかった。

「数年前、甲子園で解説の仕事をした時、彼も来ていたので、せめて謝罪しようとしたんですけど、顔さえ合わせてくれなかった。でも、そりゃそうです。裁判には、反論できることは何もないので出廷しませんでしたが、謝罪の手紙を送り、返済を再開しました。これからは誠意を見せて返済し続けるしかない。去年から芸能事務所にサポートしてもらい、パチンコ店のイベントの仕事などの話をいただけるようになりました。裁判が大きく報じられて、仕事をくださいと言えるようになったので、もっと積極的に仕事を増やし、助けてくれた人たちを裏切らないようにしたいと思っています」

 30歳の時、5歳下の一般女性と結婚。大学2年生の長女、小学5年生の長男の家族4人で、7年前に大阪から東京へ拠点を移した。

「借金のことは、裁判になって初めて家族に打ち明けました。嫁さんは『なぜ話してくれなかったの』と、かなりショックを受け、今はパートで働きに出てくれています」

 何とか踏ん張って、再起してほしい。
(取材・文=中野裕子)

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