金以外は敗北…女子バレー山田重雄監督は打倒ソ連へ敵将も丸裸【東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2020年6月27日 9時26分

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1976年モントリオール五輪決勝でソ連を破り胴上げされる女子バレー山田重雄監督(C)共同通信社

【東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン】山田重雄さん(上)

 1967年、日立女子バレーボール部を率いる山田重雄は、日本代表監督に就任。翌年のメキシコオリンピックに臨み、決勝戦でソ連に敗れたものの銀メダルを獲得した。

 ところが、世間は冷たかった。4年前の東京オリンピックで東洋の魔女が金メダルを獲得していたからだ。生前、山田は私に当時の心境を語った。

「ソ連に負けた10月26日は私の37歳の誕生日だったが、誰も祝うどころか裏切り者扱い。試合前にスポーツ紙の特派員で石原裕次郎が来て、取材させろと。若い選手は大スターが来たんでは動揺すると思い、私は取材を拒否した。裕次郎もバレー協会もカンカンに怒ったね。まあ、金メダルを取っていれば美談になったかもしれないが、負けたためボロクソ。帰国後も見ず知らずの人間から『バカ野郎!』と言われる。私が罵声を浴びせられるのはいいが、選手たちは可哀想だった」

 そのことがあって以来、山田は「金メダル以外は敗北」と胸に刻む。72年のミュンヘンオリンピックは小島孝治が監督を務めて銀メダルだったので、4年後のモントリオールでの金メダル獲得を目指す。

 ともあれ、「打倒・ソ連!」を掲げた山田は、徹底して監督ギビ・アフヴレジアーニを研究する。メキシコでのギビは練習を一切公開せず、故意に主力選手の負傷説を流し、日本を油断させていたからだ。山田は言った。

「当時のソ連チームは国家に支えられて資金も豊富。それに勝つには相手を丸裸にすること。ギビが試合でどういう作戦をとり、どう選手を動かすかを徹底して調べた。サーブの方向、サーブレシーブ後のパスの方向、スパイクのコース、フェイントの落下点などをね。観客席に選手たちを座らせ、試合中のソ連のボールの動きをすべてノートに線で描かせたわけだ」

 それだけではない。日本にソ連チームが遠征してきた際は、放映するテレビ局に頼み、ソ連のベンチ近くに集音マイクを設置。監督ギビが選手にどんなアドバイスを出しているかを録音した。

「ギビはすげえことを言ってたな。『この試合に負けたらメシ抜きだ。収容所送りだ!』なんてね。まあ、一種のスパイ活動なんだが、強国であれば誰もがやっていた。私の記事が雑誌に出ると、1週間後には翻訳され、各国の監督は読んでいたね」

 そして、76年モントリオールオリンピックを迎えた。すでに2年前の世界選手権大会でソ連を倒して優勝。44歳の山田率いる日本チームは“新東洋の魔女”と称された。だが、現地入りすると12人の選手の中で一番元気な、エースの白井貴子でさえも緊張した。縁起を担ぎ、真夏なのに日本リーグで全勝優勝した際のセーターを着ていた。

 その点、指揮官の山田は、あくまでも冷静だった。私にこう言った。

「小島さんが監督だった4年前のミュンヘンのときは、アラブゲリラの選手村襲撃で、日程が(1日)延びた。結果、ソ連との決勝戦を前に主力選手2人が生理になった。それが敗因の一つ。つまり、何事が起きても動じない強い心で、試合に臨むこと」 (つづく)

▽やまだ・しげお 1931年、静岡県生まれ。東京教育大(現筑波大)卒業後に高校教員を経て女子バレーボールの日立監督に就任し、日本リーグ優勝18回。五輪監督は68年メキシコ大会銀、76年モントリオール大会金、84年ロサンゼルス大会銅。2006年にバレーボール殿堂入り。

(岡邦行/ルポライター)

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