「相談がある」電通上司から社員食堂で告げられた言葉の真意【天才アラーキー傘寿を語る】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2020年10月30日 9時26分

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都電の線路があった新宿ゴールデン街(「東京は、秋」から)1972-73年撮影(提供写真)

【天才アラーキー傘寿を語る】#12

 自分から電通を辞めたって言ってるけど、クビになっただけなんだよね(笑)。ある日、上司に「相談がある」って呼ばれて、上のほうで問題になってるって言われたんだ。で、「どうする? もとの『さっちん』に戻るか?」ってね。「もとの『さっちん』」ていうのがおかしいだろ(笑)。その頃は、写真展やる場所もないから、銀座にある「キッチンラーメン」っていうラーメン屋さんの壁で写真展やったりしてたんだ。店のオヤジに頼んで、「食欲と性欲の写真展」と称して、いろんな絵を飾ったりしてる壁に裸の写真を並べてガーッとやったりしてた。それが、その当時『平凡パンチ』とかにドンドン書かれるわけ。「あの電通の女陰カメラマン」とかね。

 もうしようがない、辞めちゃおうって、その場で返事したんだ。でもさ、そんな重要な話を、社員食堂でだぞ(笑)。会社は銀座なんだから「一杯行くか?」ってクラブにでも連れてって、飲んだ勢いで言ってくれりゃいいのに、社員食堂で、カルピスかなんかでだよ(笑)。でも、オレ、ついてたよね。電通も9年目で、向こうがそういうふうにしてくれたんだって。もし10年会社にいたらダメだった。その部長が偉かったよ。「おまえは辞めたほうが伸びる。こんなところにいるんじゃない」っていうことを、暗に言ってくれたんだよ。で、「ほんとはクビなんだけど退職金のことがあるから」ってね。

その頃の淋しさ、切なさが写っている

 電通を辞めて、その退職金でアサヒペンタックス6×7を買ったんだよ。6:7のあの比率がいいからね、今でも使っているよ。アサヒペンタックスに55ミリレンズをつけて、三脚をかついで、“トーキョー・アッジェ”と称して、東京の街を歩き出した。どこをどう歩くとか何を撮るとか決めないで、あてもなく彷徨うって感じで、あちこち歩いてたね。(“アッジェ”は、1857年生まれのフランス人写真家ウジェーヌ・アジェ。1927年死去。41歳で写真撮影を始め、パリとその周辺を30年間撮り続けガラス乾板8000枚を残し、歿後に高く評価される)

 撮った写真は月光荘で買ってきた画用紙が冊子になったのに貼り付けて、自分だけの写真集を作ってた。最初は「東京の、秋」というタイトルだったんだ。それから1年ぐらい撮り続けて、秋になって、通して見たら、「東京の、秋」じゃない、「東京は、秋」という感じだったんだよね。それで、写真集を出版するときに、「東京は、秋」(1984年)にしたんだ。

 秋というのは、やっぱりセンチメンタルなんだよね。電通を辞めてすぐの頃で、フリーだなんて強がっていたけど、淋しかったか切なかったか、そういうのが写っちゃってる。撮ることと、人生が、同じだっていう感じがするんだよね。

(荒木経惟/写真家 構成=内田真由美)

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