ひとつも負けられない…長嶋茂雄監督が脳梗塞で倒れたことが「枷」になった【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】

日刊ゲンダイDIGITAL / 2020年10月30日 9時26分

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アテネ五輪で指揮を執る中畑監督代行(右から2人目)/(C)日刊ゲンダイ

【小林雅英 ブルペンから走り続けた13年】#30

 長嶋茂雄さんが倒れた――。

 その一報を聞いたとき、僕は目の前が真っ暗になりました。

 2003年にアテネ五輪の予選を兼ねたアジア選手権で優勝。この時は後に設けられた「代表は各球団2人まで」という縛りもなく、正式なメンバーではありませんでしたが、僕はおそらく選ばれるだろうという話を聞いていました。

■海に向かって「君が代」を

 あの長嶋監督の下、オリンピックで戦える。野球人なら誰もが奮い立つシチュエーションです。長嶋監督も「アテネで勝って、海に向かって君が代を歌いましょう!」と選手に声掛けをされていたので、自然と闘志が湧き上がっていました。

 ところが、です。春季キャンプが終わったばかりの04年3月、長嶋監督が脳梗塞で入院してしまった。

 それでも僕ら代表はミスターの帰還を待ち望んでいました。あの精力的な長嶋監督なら戻ってくる、五輪本番には間に合うはずだという、漠然とした期待があったんです。

 しかし、その願いはかなわず、中畑清ヘッドコーチが代行として指揮を執ることになりました。中畑さんはグラウンド外で率先して明るく振る舞い、僕ら代表メンバーをリラックスさせようと努めていました。本来なら誰よりもショックを受けていたのが中畑さんだったはずです。中畑さんにとって、長嶋監督はプロ入りしたときの指揮官。とにかく長嶋さんを慕っており、アジア選手権でもヘッドコーチとして、僕らの知らない監督の言葉や表情を間近で見てきた人です。胸の内には、僕らには想像もできない思いもあったのでしょう。そうしたものを決して表に出さず、監督代行という難しい役目に尽力されていました。

■ひとつも負けられない

 ただ、振り返ってみれば、この一件はむしろ僕らにとって「枷」になってしまったのかもしれません。

 日本代表の目標はただひとつ、金メダルです。そこに「長嶋さんのためにも全勝、負けなしで突っ走る。それが長嶋さんを勇気づけることにもなる」という、もうひとつの目標が加わった。というか金メダルよりもむしろ、後者の比重の方が大きかったかもしれません。

 五輪に出場することのワクワク感、楽しみといったものはすべて吹き飛び、チームに「負けられない」という悲愴感が漂ってしまったんです。

 プレッシャーとはまた違うんですよね。なんというか、使命感とでも言えばいいのでしょうか。

 もし、代表選手が全員アマチュアで、仮に同じような状況にあったとしましょう。それでも彼らなら「ひとつも負けられない」という考え方は絶対にしなかったはず。そこには僕らプロではわからない、五輪には五輪の戦い方というものがあるからです。

(小林雅英/元プロ野球投手)

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