いわゆる「天才児」でなくても…20歳までに「遺伝的才能」は姿をあらわしている【慶應義塾大学名誉教授が解説】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年9月29日 15時0分
(※写真はイメージです/PIXTA)
知能に関して、「遺伝」の影響が強まっていくという事実は「結局はなるようにしかならないのだ」と悲観的に受け止めたくなることかもしれません。実際それは、本当に悲嘆すべき事実なのでしょうか? 本記事では、日本における双生児法による研究の第一人者である安藤寿康氏の著書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新聞出版)から一部抜粋し、遺伝と経験が人生に及ぼす影響について解説します。
歳を重ねると強くなる遺伝の影響
子どもが育つ環境は家庭だけではありません。特に子どもが大きくなるにつれて、活動の場は家庭を離れて、学校や学校外へと広がってゆきます。
このことは行動遺伝学でも、知能の個人差に及ぼす共有環境の影響が児童期から青年期、そして成人期に向かって徐々に減少してゆくことから見て取ることができます。その代わりに大きくなるのが遺伝の影響です。
なんだ、やっぱり遺伝によって決まっているのか、親の役割は小さくなっていってしまうんだ、と嘆くには及びません。これはとりもなおさず、子どもが徐々に一人前に自立していることを示唆しているのです。
遺伝的素質の発揮
よく誤解されるのですが、知能への遺伝と環境の影響の割合についてのこの結果だけを見て、親がどう育てても、結局は子どもはなるようにしかならないと悲観的に受け止めがちです。しかし、この結果は知能だけでなく、おそらく学習や訓練によって獲得されることすべてについていえると考えてよいと私は考えています。
つまり知能や学業成績以外の、たとえばおけいこごとで習うスイミングや野球やサッカー、ピアノやヴァイオリン、プログラミングやゲームの能力などもそうでしょう。さらには学校やおけいこごとではきちんと教えてもらえない知識、たとえばお金の流れや世の中の仕組み、人間関係の作り方など、その人のパーソナリティによる部分もありますが、経験と知識によって学んでゆく部分も大きいものです。
こういったことについても、はじめは親の姿を見て学んでいたとしても、だんだんと世界が広がるにつれて、自分の心で感じ、自分の頭で考えるようになると、それに従ってその子が両親の遺伝子を新たに組み直して出来上がったその子独自の遺伝的な素質を発揮する形で、能力を獲得しているのだと思われます。
それは感じたり考えたりする仕方に、その子自身の遺伝的素質が反映されているからです。そしてそれは小学校に上がるくらいから、もうすでにあらわれているのです。
天才児やギフティッド児がその才能を発揮するのは、すでにそのころです。世界的なピアノコンクールでの入賞経験をもつある有名なピアニストの方にインタビューしたときに、幼稚園のころから巨匠の弾くベートーヴェンのレコードを聴いて、自分だったらここはこうじゃなくて別の弾き方をする、そのときの指の動かし方はこうするというのが明確に頭に浮かんでいたというお話をうかがいました。
いや、天才児でもギフティッド児でもない凡庸な子どもがそんな立派な遺伝的素質を発揮して、ものごとを学ぶはずがないじゃないかと思うかもしれませんが、それは子どもを見くびっています。
子どもが描く「自分の生きる世界像」
東京のおしゃれな街で人気のパン屋さんを営んでいるある男性は、幼稚園のころすでに「どうすれば世界は平和になるんだろう」と考えていたそうです。そして青年になり、アフリカ大陸をバイクで横断したり、フランスでパン屋に住み込みで働かせてもらったり、帰国して国連難民高等弁務官の外郭団体でボランティアをするなかで、インドで理不尽な差別を生んでいるカースト制度にパン屋がないことに気づきます。
それなら下層の人々を救うために、彼らにカーストの階層にはない新しい職業であるパン屋を営む方法を教えればよいと思いついて、まず自分がパン屋になったところ、それが人気店になってしまったというのです。
学校の成績は決して良くなかったけれど、なぜか子どものころから「コンビニが店ごとに店内の造りが違うのはなぜなんだろう」という疑問を持ち続け、そこから経済の仕組みに関心がつながって起業家として成功した人がいます。
さらに、幼いころから両親の働く姿を見てその仕事に関心を自ずと寄せるようになった人、逆に親のようになりたくないと思って、それとは正反対の分野に関心を向けようとする人もいます。
その才能が社会的にはっきり目に見える形で発揮されるまでには20年くらいの時間がかかるとはいえ、それでも人生の最初の20年余りに、その人の遺伝的才能は、そのおよその姿をどこかであらわしているといってよいでしょう。
そしてその原初的な方向性は、いまの日本ならおそらく小学校高学年ぐらいになるまでに、自ずと世の中にあるさまざまな事柄に対して、自分の好きなこと、嫌いなことの濃淡としてあらわれてくるものです。
それをはっきり自覚する人もいますし、自覚しない人もいます。その関心の強さが誰にでもわかる形ではっきり行動にあらわせる人もいますし、心の奥底でひそかに感じているだけの人もいます。
しかしどんな人にとっても、それが幼い子どもであっても、世界はどこを見てもかわり映えのない無味乾燥とした平坦なものではありません。自分が投げ込まれたリアルな世界が発する膨大な刺激の中から、自分の心に関連を感じられる刺激にウエイトを置いて反応し、その子独自の「自分の生きる世界像」をつくり上げていると考えられます。
個人の経験が脳に与える影響
なぜそのようなことが起こるのか。これはまだ仮説にすぎませんが、その背後には世界についての知識の習得、別の言い方をすれば世界を理解するその人なりの内的モデルが、脳の神経ネットワークとして形成され、それに導かれて心を動かし、考え、そして行動し、その結果新たな知識を得て、その内的モデルを更新する、それが繰り返されるという仕組みがあるからだと思われます。
特にかかわっていると考えられるのがデフォルト・モード・ネットワークです。脳のアイドリング機能と呼ばれ、何もしないでボーッとしているときや寝ているときでも働き、脳活動全体の多くを占めて、その人の経験や記憶を自分自身と結びつけて形作っている部分です。
ここをつかさどる帯状回や海馬は、いわゆる知能検査や学校での勉強、さらにさまざまな知的課題を解くときに使われる前頭頭頂ネットワークの部分と比べて、その神経細胞の密度や表面積に占める遺伝の割合が、相対的に小さいことが知られています[図表1]。
その代わり、非共有環境の影響が大きいのです。前頭葉や頭頂葉の遺伝率は90%以上であるのに対して、帯状回や内側側頭葉が50%ですから、いずれにせよ遺伝の影響は大きいのですが、重要なのは、個人の経験がデフォルト・モード・ネットワークにかかわる部位では効いてくる、つまり個人的な経験が脳構造にすら影響を及ぼすということです。
子どもの住む世界が家庭から社会へ、身の回りの世界からテレビやインターネットを通じてつながる世界、そしてこれから起こるかもしれない未来の世界へと広がる。これは社会的な動物、文化によって生きる動物であるヒトがもつ必然的な特徴であり、それが家庭を離れて外に向かうのは成長の当然の帰結です。
その結果、家庭環境による違いや、親の子育てのやり方の違いとしての共有環境の影響が小さくなるのは、喜ぶべきことでこそあれ、嘆くことではないと思いませんか。
安藤 寿康 慶應義塾大学名誉教授・教育学博士
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