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熟練エンジニアのワザと情熱が今に伝える!ル・マン優勝車 マツダ787Bの勇姿

&GP / 2018年11月16日 19時0分

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熟練エンジニアのワザと情熱が今に伝える!ル・マン優勝車 マツダ787Bの勇姿

1991年、日本の自動車メーカーとして初めて、ル・マン24時間耐久レースで総合優勝を果たしたマツダ。その偉業を成し遂げたマシンとして知られる「787B」は、近年、各地のイベントで走行シーンを見ることができます。

日本のレース史にその名を刻む名マシンゆえ、マツダファンはもちろん多くのクルマ好きが、その凛々しく、勇ましい姿をひと目見ようと、各イベントに駆けつけることも珍しくありません。とはいえ、787Bも誕生から27年。一般的なスポーツカーや乗用車で考えても、その維持や管理はたやすくありません。ましてや神経質なレーシングカーともなると、多くの苦労があるのでは…。

現在マツダには、787B専属のメンテナンスチームは存在しませんが、イベントなどでは数名のメンバーがサポートを行っています。そこで、車両メンテナンスのカギを握る2名のベテランエンジニアに、787Bとの思い出、そして、日々のメンテナンスについて話をうかがいました。

■マツダのロータリーエンジンは、いい意味で“鈍感”

【プロフィール】(左)野村裕之さん:車両領域担当。マツダスピードに入社後、マツダの耐久レース用マシンで長きにわたってシャーシを担当。足まわりやフレーム開発に携わる。’91年のル・マンでは、シャーシ関連のエンジニアとレースでのタイヤ交換担当を兼任した。(右)渡邉一豊さん:エンジン領域担当。マツダに入社後、量産車部門に配属。’86年にレース部門へ異動し、ル・マンプロジェクトに参加。’91年のル・マンでは、18号車を担当。その後、WRC(世界ラリー選手権)、ニューツーリングカー「ランティス」用のV6エンジン開発などに携わり、現在は再び、量産車部門のエンジン開発に携わる

マツダがル・マン24時間耐久レースで総合優勝を果たしたのは、’91年のこと。そこからさかのぼること1年。’90年のル・マンには、トヨタや日産自動車といった日本メーカーも参戦。トヨタは総合6位、日産は総合5位という成績を残しています。しかし翌’91年は、諸般の事情により両メーカーは参戦を断念。日本勢としては、マツダが孤軍奮闘することになりました。

翌年からのレギュレーション変更により、’92年はロータリーエンジンの参戦は不可ということが決まっていましたから、’91年はまさに、マツダにとってル・マンチャレンジの集大成となる年。必勝体制で挑んだマツダは、2台の787Bと旧型「787」1台の、計3台をエントリー。カーナンバー55の787Bがレース終盤にトップに立ち、結果として362周、4923kmあまりを走り切り、見事に総合優勝を飾りました。

また、カーナンバー18の787Bも、355周を走りきって6位、“ミスタール・マン”と称えられる名ドライバー・寺田陽次郎さんがドライブするカーナンバー56の787も、346周を走破して8位という記録を残しています。

そんなマツダ787Bは、9月23日に富士スピードウェイで開催された「Be a driver.Experience at FUJI SPEEDWAY」など、各地のイベントでその走行シーンを披露することがあります。レーシングカーといえば、パワフルにして強靭なのは間違いありませんが、一方で扱いが難しく、繊細という印象をお持ちの方も多いことでしょう。そんな現役引退から25年以上が経過した787Bを、走らせ続けている理由とはなんなのでしょうか?

−−現役を引退した787Bを最初に走らせることになったのは、どういうきっかけがあったのでしょうか? 一時は「もう走らせることはない」とのアナウンスも出ていましたが…。

渡邉さん:最初は、55号車がル・マンで優勝した後に作られた、202号車を復活させようという話だったのです。55号車はル・マン優勝車ということもあり、保存することが決まっていました。その代わりとして作られたのが202号車。それで’91年の残りのシーズンを戦いました。そんな202号車が、横浜にあるマツダのR&Dセンターに保管されていて、10年ちょっと前にそれを復活させようという話になったのです。

当時、私は別の部署にいたので「もう触れられる機会はないだろうな」と思っていたのですが「エンジンが掛からないから手伝ってくれ」といわれ、お手伝いすることになったのです。エンジンが始動しなかった理由として、いくつか思い当たる原因があったのですが、予想どおり、インジェクターの固着でした。つまり、今日デモランを行った55号車よりも、実は202号車の方が早く復活していたのです。

一方、55号車の復活は、2011年にル・マンの主催者から「ル・マン優勝20周年を記念して、サルテサーキットで787Bのデモランを披露できないか?」というお誘いをいただいたのがきっかけですね。それ以前にも、別の場所で何度か走らせていたので、なんとか走れる状態にはありましたが、そのお誘いを機に、ル・マンに向けて本格的なレストアを行うことになりました。

−−レストアではどのような作業が行われたのでしょうか?

渡邉さん:私の専門はエンジンなのですが、55号車のレストアでは、エンジンの作業に3週間ほどの時間を費やしました。マシン全体では、1カ月ほどのメンテナンスを要したと思います。エンジンについては、搭載されていたものをいったん外して降ろし、リビルトした別のエンジンに積み換えています。

リビルトしたR26B型エンジンは、当時のレースで使用していたエンジンそのものをベースにしています。保管していたエンジンを分解してチェック、再計測し、必要なパーツのみを交換して再生しました。新品パーツは残していたので、できればそれらだけでエンジンを組み上げたかったのですが、それを行うとこの先、リビルトが必要になった際に部品の欠品が生じて対応できなくなる恐れがあるので、必要最小限の部品交換だけで済ませる方法を選択しました。

−−ちなみに現在、202号車と55号車という2台が、ともに走行可能な状態にあるのでしょうか?

渡邉さん:そうですね。55号車は普段、広島の本社に併設されているマツダミュージアムに展示していて、202号車は山口にあるマツダの美祢自動車試験場で保管しています。

202号車は、イベントなどで走らせることが決まると、1週間ほど前に試験場に出向き、各部をチェックして送り出します。55号車は、イベントの前にサーキットなどの会場でメンテナンスを行います。問題がなければ、あえてオイルや水も交換しません。“デモラン(デモンストレーションラン)”ではエンジンにさほど負荷が掛かりませんし、冷却水も現役当時と異なり、LLC(ロングライフクーラント)を使用していますからね。

野村さん:意外に思われるかもしれませんが、耐久レース、中でもル・マンの24時間レースを戦うマシンの耐久性というのは、皆さんが想像される以上に高いものなんです。

例えばF1マシンは、2時間300kmを走り切れる耐久性があれば十分なわけです。モノコックシャーシは年に数回の交換、足まわりのアームはレースごとに交換という整備サイクルです。一方、ル・マンを戦うマシンは、距離にして5000kmを全開で走っても、トラブルが出ないように設計されています。

エンジンは、私の専門領域ではありませんが、5000kmを走破し「まだちょっとだけ余力があったね」という程度の耐久性がベストなんです。

渡邉さん:レース用エンジンというと、すごく繊細というイメージがあるかもしれません。確かに、他社のマシンに積まれるレシプロエンジン、特にターボエンジンは、シビアだという話を耳にします。でもマツダのロータリーエンジンは、いい意味で“鈍感”なんですね。

例えば今、787Bのロータリーエンジンは、デモラン前に点火プラグのチェックをしますが、その時、交換までは行いません。仮にプラグが“かぶっても”、長年、ロータリーやレーシングマシンに触れてきましたから、症状は音で分かります。もちろん、3カ月以上動かさなかった場合、それなりのメンテナンスを行いますが、基本的に、年間の走行カレンダーから逆算し、必要な整備を行う、という感じでしょうか。そういう意味で私たちは、ラクをさせてもらっているのかもしれませんね。

−−787Bはそれだけ、よくできたマシンだったということですね。では、日常といいますか、動かす時はどのような整備を行われているのですか? エンジンそのものは、問題なく始動するのでしょうか?

渡邉さん:水やオイルは必ずチェックしますし、R26B型エンジンの特徴的なシステムのひとつである“可変吸気システム”は、チェックしてグリスアップやワイヤーの調整を行います。あと、スロットルセンサーの電圧などもチェックしますね。

長期間走らせずに保管していた後も、エンジン内に入れていたオイルを排出し、各部に問題がないかをチェックするくらいですね。本当にR26B型エンジンは頑丈なんですよ。デモラン程度であれば、エンジンは本来の性能の数十%も使っていませんから、むしろ分解してしまうと、いろんなリスクが生じる恐れが生じてしまうという判断です。現役の頃というのは、ル・マン本戦まで、日々、開発の連続でしたから、いろいろとセッティングを変えていましたし、エンジンもあれこれ交換していました。でも、ル・マンのレース以降は、決まったセッティングをそのまま維持していたのです。

ちなみに、現役当時は9000回転でエンジンのレブリミッターが効くよう設計されていましたが、2011年のレストア時に、リミッターの回転数を下げたんです。そうしたらドライバーの寺田さんから「低すぎるから直して欲しい」とリクエストが来まして、現在では8500回転に設定しています。

もちろん、シビアにチェックすれば、気になるところがないわけでもありません。例えば“空燃比(空気とガソリンの比率)”は、今、ほんの少しですが濃い方にズレているんです。でも、当時の車載コンピュータは、今では調整できないんですよ。787Bは、今では普通の乗用車にも採用されている“リニアO2センサー”で、空燃比のフィードバックを行っているのですが、当時は試作パーツを使用していたこともあって、もうスペアパーツがないんです。細かく挙げていけば、確かにそういう部分はあるのですが、それでも今、2台を問題なく走らせることができています。そういう点で787Bというのは、手間の掛からないマシンですよね。

−−もしも、の話ですが、エンジンが故障するようなことがあった場合、55号車はどうなるのでしょうか?

渡邉さん:明らかなダメージがあれば、今のエンジンを降ろし、以前積んでいたエンジンに交換するか、時間が許せば、残っているパーツを使って、2011年と同様にリビルトエンジンを組み上げて搭載することになるでしょうね。

■ダンロップのタイヤは前輪がイギリス製、後輪は日本製

−−エンジンに関しては、当分の間はまだまだ、コースを走る勇姿が見られそうですが、シャーシ回りの劣化などはないのでしょうか?

野村さん:2011年のレストアの際に、ボディやシャーシにはかなり手を入れました。ブレーキやクラッチのシール類やゴム類はすべて交換しましたし、劣化が見られた燃料のホース類も交換しました。APレーシング社がクラッチやブレーキマスターをまだ作っていたので、それらを換えています。またブレンボ社も、ブレーキキャリパーの製造こそ中止していましたが、シールキットはまだ手に入る状態でしたので、そちらも入手しています。そのほか、ダンパーやサスペンションは、フルオーバーホールを行っています。

−−外部メーカーのパーツだけでなく、マツダが手掛けた部品もまだ存在するのですか?

野村さん:そうですね。サスペンションアームやドライブシャフトなどはあります。トランスミッションもまだ、スペアが残っていますよ。

−−そうした部品は、2011年のレストア時に再生産されたものですか?

野村さん:いえ。現役当時のスペアが、ストックしてあるのです。例えば、レースの予選で使ったけれど、本番では使わなかったパーツなどですね。そのほか、スペアパーツとして用意されていた部品なども、廃棄せずに残してあります。

−−渡邉さんによると、デモランは負担が少ないというお話でしたが、シャーシも同様なのでしょうか?

野村さん:デモランはサーキットなどを5、6周する程度ですし、タイヤも現役当時の本番用のように、グリップが高くありません。確かにストレートでは、それなりにスピードが出ますが、タイヤのグリップが低く、コーナリングは全開ではありませんから、シャーシに掛かる負担は少ないですね。

−−今回のデモランも迫力満点でしたが、現役当時のレースは、かなり過酷だったのでしょうか? またマシンの開発には、どのようなご苦労がありましたか?

野村さん:当時の話になりますが、例えば、車両重量に関するレギュレーションで「最低重量が1トン」と規定されているからといって、実際のマシンも1トンになるように作ればいい、というワケではありません。787Bの現役当時のレギュレーションでは、マシンの最低重量は830kgでしたが、実際には790kgくらいしかありませんでした。つまり、できるかぎり軽いマシンに仕上げ、ウエイトを積むことでマシンのバランスを取っていたのです。私たちはマツダ直系の“ワークスチーム”でしたから「最善を尽くしてマシンを作ると、どれだけ軽いマシンに仕上がるのか?」、いつもそんなことを考えて開発、製作していましたね。

でも一般的に、ボディやシャーシは軽くし過ぎると、その分、壊れやすくなります。ですから、強度を確保するために「ここはコンマ数mm厚くしよう」とか「アルミニウム製のパーツが壊れるのならクロモリ材で作ってみよう」とか「熱が関係ない部分はカーボンなどのコンポジット材やチタンで作ろう」といった具合に、材料の置換や板厚のコントロールなどを細かく行いました。

ル・マンの場合、ストレートでの最高速こそ、毎年さほど変わりませんでしたが、タイヤやサスペンション、空力性能というのは、シーズンごとに必ず進歩していました。そうすると、自然にコーナリングスピードが上がりますから、前年のままの強度だと、足回りへの負荷が大きくなって壊れてしまうんです。

シーズンが始まると、ル・マンの本番までにエンジンはレースごとに交換していましたが、車体はそのまま使い続け、どこで壊れるのかを調べていました。耐久レースは500km、500マイル(約800km)、1000kmという距離で争われるケースが多いのですが、サスペンションアームなどは必ず、クラックのチェックしつつ継続して使用し、壊れる予兆があれば交換、というイメージで戦っていましたね。ル・マン本番は、すべて新品パーツで挑むのですが、パーツごとに材質やライフの管理は入念に行っていました。

’89年までは、アーム類のボルトにチタン製のものを使用していましたが、コーナリングスピードが上がるに連れ、ボルトが折れるようになったんです。そこで、クロモリ製ボルトや航空機用のボルトを試してみて、さらにそれでも折れるようであれば、例えば、M6からM8にサイズアップといった具合に、ル・マンの本番までに改良を加えていきました。

ちなみにアーム類のゆがみは、手で触ったりなでたりすると、分かるようになるものなんです。非破壊検査も確かにすごいと思いますが、人間の手の感度というのは、それ以上なのです。デモランの際も、例えば私たちがピットでフレームやアームを触っていると、ただ掃除しているかのように見えるかもしれませんが、構造部品が分かる人が触ると、それがゆがんでいるかどうかが分かるのです。

−−その辺りの感覚というのは、やはり経験に裏打ちされたものなのでしょうね。ちなみにレーシングカーというと、最高速での全開走行時の方が、負荷が大きいと思ってしまいがちですが、シャーシに掛かる負担というのは、実際にはどんな時に大きくなるのでしょうか?

野村さん:足回りの話を聞くと「やはりレーシングカーというのは繊細で壊れやすい」と思われるかもしれませんが、とはいえル・マンを戦うマシンは、先ほどもお話しましたように、基本的に5000kmの距離を全開で走っても壊れない設計になっています。今回のデモランでは、ストレートこそ全開に近いですが、コーナリング時はスピードを抑えていますから、10周弱の走行であれば、マシンに対するダメージはほとんどありません。

−−全開となると、デモランでもストレートでは相当なスピードになると思いますが、シャーシやタイヤのセッティングは、現役当時のままなのでしょうか?

野村さん:一度、セッティングが決まると、あまり調整はしませんが、タイヤ自体の仕様が変わったり、コンパウンドが変更されたりすると、それに合わせてアライメントを調整し直すといったリ・セッティングを行います。ちなみにタイヤは、今もダンロップさんが供給してくれるのですが、実は前輪はイギリス製、後輪は日本製とバラバラなんです。なので、現在の787Bは、そのバランスで走れるような設定にしていますし、タイヤの空気圧も、タイヤウォーマーを使えていた現役当時とは違う数値にセッティングし直しています。

787Bが使用するレーシングタイヤの適正空気圧は、2kgf/cm2程度なのですが、今回のデモランでは、前後1.3kgf/cm2でスタートさせています。今のタイヤは、現役当時のタイヤと比べてコンパウンドが固いので、タイヤ自体をたわませることで発熱させ、空気圧が適正値に上がるような設定にしています。この辺は、気温や路面温度、デモランの周回数なども考慮して毎回、調整していますが、やはり経験に基づく部分といえるでしょうね。

−−タイヤひとつとって見ても、やはり経験に基づくセッティングのノウハウが必要なんですね。お話をうかがう限り、シャーシ関連に関してはパーツの不安はさほどなさそうですが、今後787Bを末永く走らせていく上で、気になられている箇所などはありますか?

野村さん:唯一、気になるのは、再生産できないホイールでしょうか。リムの部分はアルミでできているのですが、センター部分はマグネシウム製なんです。表面処理もされていますし、耐久レース用なのでまだまだ十分な強度はあると思うのですが、マグネシウムは経年劣化する素材ですから、いつまで使えるか次第でしょうね。

デモランでは、寺田さんを始めとする787Bのことをよくご存じのドライバーの皆さんがお乗りになられるので、走行中に壊れるようなことはないでしょう。とはいえ足回りのトラブルは、ドライバーの命にも関わりますから、少しでも危ないということになれば、走らせることはできません。基本的にはル・マンで勝った当時のまま、できるかぎり長くオリジナルの状態で走らせて、多くの皆さんに楽しんでもらおうというのが787Bのデモランのコンセプトですが、安全に走らせ続けるために、いずれはオリジナル以外のパーツの使用を検討する必要があるかもしれませんね。

【取材を終えて】
ル・マンでの輝かしい優勝から、実に27年。今日もなお、多くの人々を惹きつける787Bですが、レーシングカーを動態保存していくための維持や管理には、少なからぬ労力が費やされているのは紛れもない事実です。そしてそこには、現役当時を知るふたりのベテランエンジニアの知見、そして、当時と変わらぬ情熱も不可欠なのは、間違いありません。皆さんも、イベントなどで787Bの勇姿をご覧になる機会がありましたら、ぜひとも惜しみない声援、拍手を送っていただければと思います。

(文&写真/村田尚之)

 

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