「映画の眼」フランス、アンジェニュー(Angenieux)のレンズ ー映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【28】
&GP / 2018年11月30日 21時0分
「映画の眼」フランス、アンジェニュー(Angenieux)のレンズ ー映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【28】
ライカのフィルムカメラと写真機用アンジェニューのレンズの組み合わせは「映画の子供」だと自分は思っている。
ライカはともかく、フランスのアンジェニューという今は無きレンズ専門メーカーをご存知の方はどのぐらいいるだろう?
2000年代ぐらいからカメラの好事家の間で少しづつ評価が高まり、今では写真用の古いレンズは、モノによっては大変な高額で取引されるようになってしまった。しかし、古くは映画のカメラマンやムービーカメラを扱った事がある人ならご存知だと思う。’70年代ぐらいまではアンジェニューというレンズは、映画の世界では定番のシネマ用レンズのひとつとして有名であり、長い間、映画の画面を記録し続けてきた「映画の眼」そのものだったのである。
■ピエール・アンジェニュー
アンジェニューは、1935年、光学研究所を出たピエール・アンジェニュー氏によって創立されたフランスのレンズメーカーである。
’38年には写真用レンズを発売。当時はヨーロッパのレンズメーカーの中では新しいメーカーだったので、新機軸を打ち出す必要があったのだろう。
’45年には「レトロフォーカス」と呼ばれる逆望遠レンズを開発(当時の広角レンズは構造上、後ろのガラスが出っ張っていたため、一眼レフだとミラーに干渉してしまう。この欠点を克服してミラーに干渉しない広角レンズが、レトロフォーカスと呼ばれるレンズである。この構造は今でも生きていて、発明はアンジェニューなのである)。
▲一眼レフ用に開発された逆望遠の構造を持つレトロフォーカス(レトロフォキュス)のタイプR1、35mmF2.5。今の一眼レフ用広角レンズの基礎を作った画期的な発明。レンジファインダー用のライカLマウントも存在する
このレンズの成功により一気に有名になったアンジェニュー社は、従業員も増えて順調に業績を上げていき、’56年に今度は映画用の10倍ズームレンズを発明した(これまた当時はズームレンズで良いものが少なく、シネカメラなどは3本の焦点距離の異なるレンズをターレット盤に付けて回転させる方式を取っていた。しかし、この方式だと連続する動画の場合、シーンによってレンズの画質が変わってしまうため大変苦労したようだ。そこに登場したのがアンジェニューのズームで、全焦点距離で画質が均一となるため、大変な好評ぶりで迎えられた)。
こうして世界のニュース用レンズの定番となり、その高性能ぶりで映画の世界にも進出していく。
▲当時はレンズの焦点距離を変えるのに、このような3本ターレットと呼ばれる回転盤をシャッターの前に付け、ターレットを回してレンズを変えていた。しかし、カラーの時代になると、レンズの個体差による色ズレが発生してカメラマンを悩ませた。そこにアンジェニューの高性能ズームレンズが登場したのである
’65年にはNASAもアンジェニューレンズを採用し、最初の月の写真、レンジャー8、9で約2000枚の写真が送られてきている。
その後も映画、テレビを中心に’70年代には、この世界での定番のひとつとしてその地位を確立していった。
しかし、’80年代あたりから日本の機材の高性能、低価格にやられ、それらに付いていけず’90年代には破産してしまう。
簡単だが、アンジェニューの歴史はざっとこんな感じである。
フランスはかつては、映画機材の中心的存在で、長い間に渡り、映画界に君臨していたのである。
■8mm小僧が見たアンジェニュー
僕は元々、写真より先に8ミリ映画が映像の出発点である。
当時はアンジェニューというメーカーは詳しくは知らなかった。
ただ、憧れのプロ用アリフレックスのカメラに装着されているアンジェニューレンズや、ゴダールがボリュー(フランスのムービーカメラメーカー)の16mmカメラにアンジェニューの12~120の10倍ズームを付けて街角に立っている写真などが、ひどく印象に残っている。
アンジェニューのレンズデザインは独特なので、詳しくなくても、その形は覚えやすかった。
20代前半の僕は、8mmカメラなど、ムービーカメラそのものが大好きで、当時、東京駅の八重洲口にあったヒカリカメラ(当時はこの店が海外のムービー機材を豊富に扱っていた)へ東京に来るたびに寄っていて、舶来品と呼ばれていた高額な8mmカメラや16mmカメラなどを、買えないけど実物を見るのが楽しみで、ウインドウ越しにヨダレをたらさんばかりの勢いで眺めていた。
そんなカメラたちにアンジェニューのレンズが付いている場合が多く、当時は「Angenieux」の読み方がわからなかった。
しかし、特に調べようともせず、なんとなく海外のムービーカメラによく付いているレンズ、という認識だったのだ。
おそらく、’60年代ぐらいのフランスのヌーベルヴァーグの人たちも、こんなカメラとレンズで撮影している事が多かったのだろうな、という感じに思っていた。
’80年代半ば頃、30数年前の話である。
■僕のアンジェニュー。
それから、約20年後、僕は2000年に初のライカを購入して以来、古いライツのレンズ描写などに惹かれ、少しづつその世界にハマっていった。
いわゆるノンライツと呼ばれるライカの古いL&Mマウントの他社メーカーのものにも興味を示していった。
そんな中、2000年代前半頃だったろうか?
雑誌や書籍などで、アンジェニューにもライカLマウントが存在するのを知った。
「アンジェニューって、もしかして、あのムービーカメラによく付いていたあのレンズの事?!!」
その独特の形に見覚えがあった。
すっかりムービーのイメージだったので、写真用の、しかもライカに使えるものがあるとは知らなかった(日本と違い、古い時代のヨーロッパは基本的にカメラメーカーとレンズメーカーは独立している場合が多く、必ずしもカメラメーカーの純正レンズが付いているとは限らなかった。また「ニコンならニコン、キャノンならキャノンが当たり前、それ以外は外道」みたいな日本における純正至上主義とは違ったようだ。従ってアンジェニューもレンズ屋故、ムービーに限らず写真用各マウントのレンズが存在している)。
そもそも映画の人間である自分は、これにはかなり興奮した。
そして、当時は何とか購入できる値段であったため、いくつかのレンズや他のものを売って、2008年頃、最初に50mmF1.8のLマウントを購入した。
それまでいくつかの古い国産やドイツの他社メーカーのレンズで撮影してきたが、アンジェニューの描写は他とはまるで違い驚異であった。
繊細で線が細く、カラーバランスがパステル調。最初に驚いたのは冬の陽だまりでの撮影で、一眼レフで撮影した同一の状況での写真と比べると、明らかにアンジェニューの方が、その時感じた冬の陽だまりの雰囲気が描写されていた。
▲2009年、自転車雑誌用に一眼レフで撮影したカット。普通にコントラストがある
▲こちらが’40年代のアンジェニュー50mmF1.8で撮影された同一シーンのカット。上の写真と比べればわかるが、こちらの方が明らかに現場で感じた陽だまりの良さが再現されている。コントラストの高い描写は、時に空気感を消してしまうと思った
この描写にひどく魅力を感じて以来、1本、また1本と少しづつアンジェニューレンズは増えていった。
いくら映画への思い入れがあるとはいえ、描写が好みでなかったら増えてはいなかったと思う。
今ではLマウント4本(35mm、50mm、75mm、90mm、全て’40年代のもの)、ライカRマウントのズームレンズ45~90mmが1本、ニコンFマウントの’80年代新生アンジェニューの35~70mmのズームレンズ1本。他には、パテの16mmムービーキャメラに付いていたレンズ2本、16mmムービーキャメラ用アリフレックスマウントのズームレンズと単焦点の広角レンズ。それらをアダプターでライツの8mmキャメラ、ライキナスペシャルで使用している。
▲’40年代のライカLマウントのアンジェニュー。左から35mmF3.5、50mmF1.8、75mmF3.5、90mmF2.5。アンジェニューの小型レンズはアルミ鏡胴で非常に軽量なので持ち運びや旅行などに重宝する
▲このレンズは、一眼レフ時代に入った60年代にライカの一眼レフのためだけにアンジェニューが特別に制作したズームレンズ。ライカR用 45-90 F2.8。重いレンズだが、この時代にズーム全域でF2.8を実現している。ズームは良くないという写真好きは多いが、このレンズだけは別格だ。木村伊兵衛が晩年、最後に使ったレンズでもある
■映画の子供
今では、その独特の描写は自分のフィルム写真の大きな要のひとつとなっている。自分にとっての写真は、連続して流れていく映画を無秩序にバラバラに解体したというイメージが強い。つまり、映画の最小単位が「写真」だと思っているのである。
元々、35mmというフィルムは、映画のフィルムをライツ(ライカ)が小型写真機用に流用した規格である。
だから自分的には、映画のフィルムを写真機に詰めて、世の中の断片を記録している、という感覚が強いのだ。そして、これまた映画に関わりの深いアンジェニューというレンズは、自分にとっては理想の組み合わせなのかもしれない。ライカとアンジェニューは、映画の血を引き継いだ子供なのである。
僕は映画を撮っていない時も、映画の血を忘れないためにライカとアンジェニューを持って世界を記録しているのだと思う。おそらく死ぬまでこの組み合わせに拘っていくだろう。
例え自分の映画が死んだとしても、僕の写真の中には映画の血が脈々と生きているはずだ。
そんな想いをこめて撮っている。
(文・写真/平野勝之)
ひらのかつゆき/映画監督、作家
1964年生まれ。16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。18歳から自主映画制作を始める。20歳の時に長編8ミリ映画『狂った触覚』で1985年度ぴあフィルムフェスティバル」初入選以降、3年連続入選。AV監督としても話題作を手掛ける。代表的な映画監督作品として『監督失格』(2011)『青春100キロ』(2016)など。
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