本当を生きる計画。/寿木けい
Hanako.tokyo / 2022年8月3日 12時0分
本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す、という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。
長年の友人が、豪雪地帯にある古いスキー宿を継いだ。 三年前のことだ。
今年の正月休みを利用して、家族で泊めてもらうことにした。
まだ修繕も終えてなくて──準備不足を詫びる彼女に、古い姿を見ておきたいからと、半ば強引に頼みこんだのだった。
川端康成の小説で知られるその地の、長いトンネルを抜けると、視界はホワイトアウトし、厚い雪にすべての音が吸いこまれた。東京から三時間のドライブでたどり着いた別世界。しかし、ここで暮らす人には、ありふれた冬の日である。
宿は民宿街の真ん中あたりにあって、その一番いい部屋が、私たちの到着に合わせて暖められていた。 どこもかしこも古いけれど、格式があって、見るからに清潔な感じがした。
バブルの頃は多くのスキー客が訪れ、厨房では二百人ぶんの食事がこしらえられていたという。食堂も浴場も、一度では入り切らない。数回に分けて客の出入りを仕切っていたのが、彼女のおばあちゃんだった。
友人は幼い頃から、休暇のたびに東京から遊びに来ては、看板娘として客をもてなし、 可愛がられもした。建物を案内してもらいながら、私は、ずっと思っていたことを聞いてみた。 都会で会社を経営しているあなたが、どうしてこんな、便利とはいえない土地で宿を。しかも、建物に自分で手を入れて、時間をかけて直していると聞いて、なにが彼女をそこまで引きつけるのか、知りたいと思っていた。
「私、あの時代を取り戻したいって、本気で思いはじめちゃって」
そう彼女は言った。
今でも覚えている、夏の川の冷たさ。西瓜の甘さ。冬のごった返したにぎわい。灯油ストーブの香り。 あの頃の私が、本当の私だった、とも。
「人生の総仕上げだ」と私。
「それ的な」と彼女。
作家メイ・サートンは『総決算のとき』で、不治の病を告知された女性編集者の心の機微を描いた。
死を前にして、主人公の胸は躍る。 これで人生好きなようにやれる。ちゃんと、うまく死んでみせる。
主人公の内面と振る舞いがぴたっと合致し、ようやく本物の自分になって歩みはじめたことを、心から実感するときめき。健康だったときには持ちえなかった、うずくような興奮。 それは、最期に訪れた、一瞬の、最大の輝きである。
でも、だ。余命宣告と引き換えでなければ、こんな生き方が手に入らないなんて。 一番若い今日から、毎日小さく決算するつもりで、生きられないだろうか。
文質彬彬(ぶんしつひんぴん)という言葉がある。 教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和したさまを指す。 それって、ありのままを真っ当に生きているということだと私は思うし、少なくとも私は、生まれてきたからにはそういう生き物になりたくて、トライとエラーを繰り返している。死ぬ間際なんて、いやだ。
雪国の夜。家族が眠るのを待ってから、友人と居酒屋へ出かけた。
三が日の街は、新年会でにぎやかだ。会う人会う人、彼女に話しかける。彼女も駆け寄る。いつ用意していたのか、彼女のバッグには、御年賀の菓子がたくさん入っていた。
「本年もよろしくお願いします」
ひとりひとり、名前を呼んで渡していく。こういうところ。敵わない。
東京の好況を生き切った経営者には、新しく作るほうが簡単だろう。残すよりも、壊して、塗り固めたほうが利益を生むことは、街を見れば明らかだ。だからこそ、残すことに挑む人は、気高く見える。取り戻すとなると、さらに計画は長い。彼女がそっち側に立ったことに、私はものすごく憧れて、打たれた。
宿の地下は、カラオケルームに改装するそうだ。もともと、濡れたスキー板やウェアを乾かすためにボイラーを完備したフロアだったから、場を温めるのは建物の特徴にも適っている。
無音の雪の街で、彼女と歌える日を楽しみに、私も精一杯暮らそう。 彼女の夢を知って、応援することで、私の胸にも小さな炎がインプットされた。
この連載では、ぽっと火を灯したような、ひんぴんした粋な人たちのことを書いていく。ふと袖を振りあった縁の中に見つけた姿を、忘れないように。
イラスト・agoera
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
東京・田端|古民家を再生した「和モダン一棟貸切宿-東sui京-」を都会の隠れ家に
IGNITE / 2024年4月17日 17時30分
-
【特集】2000億円の大型開発が進む妙高高原エリア シンガポール人投資家を直撃 その未来図は《新潟》
TeNYテレビ新潟 / 2024年4月12日 21時50分
-
【海外発!Breaking News】強風でリフトの座席が“振り子”のように揺れ「死を意識した」とスキー客(伊)<動画あり>
TechinsightJapan / 2024年4月1日 16時36分
-
離婚なら多額の財産分与、息子は独立済み…それでも「不倫夫を捨てられない」と50代女性が悩む本当の理由
プレジデントオンライン / 2024年3月31日 14時15分
-
ギャンブル依存症だった元刑事 家族に「残業」でパチスロ、当時は何を思っていたのか
京都新聞 / 2024年3月30日 18時0分
ランキング
-
1道の駅に出没した“ぶつかりおじさん”。証拠を突きつけると「警察にだけは言わないで」と泣きついてきて…
日刊SPA! / 2024年4月17日 15時53分
-
2「死者数だけが非常に多い」東京の交通事故“異常事態”なぜ? “ヤバイ事故”増加か
乗りものニュース / 2024年4月17日 9時42分
-
3薄毛対策で人気の“七三分け”と“ツーブロック” 美容師の視点では…実は「おすすめしたくない髪型」だった!?
まいどなニュース / 2024年4月17日 12時5分
-
4「我が家よりデカい」東名高速の「超巨大看板」が話題に!? “日本最大級”サイズになる納得の理由も 一体何が書かれているのか
くるまのニュース / 2024年4月17日 14時10分
-
5免許の「更新講習」がオンライン化! 「ゴールド免許」以外でも対象、エリアは? 反響は? 24年末にエリア拡大へ
くるまのニュース / 2024年4月16日 9時10分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください