橋下徹、そして日本人は聞け!! 美輪明宏「従軍慰安婦の唄」でわかる悲惨な真実!

ハピズム / 2013年5月30日 19時0分

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「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。弾丸が飛び交う中で命をかけて走っているとき、どこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのはこれは誰だってわかる……」

 橋下大阪市長の「従軍慰安婦」に関する発言が、世界に大きな波紋を投げかけている。

 戦時下においては必要だったとされる「慰安婦制度」。そもそも「従軍慰安婦」とは、1932年の満州事変から1945年の敗戦までの期間に、戦地・占領地で日本軍の監督下の置かれた「慰安所」に集められ、軍人軍属の性交の相手をさせられた未成年も含む女性たちのことである。

 実は、国民的歌手であり、俳優・アーティストとしても名高い美輪明宏が、『祖国と女達(従軍慰安婦の唄)』を作っていたことはご存じだろうか?

 まずは、美輪の反戦・差別撤廃の思いを探りながら、『祖国と女達(従軍慰安婦の唄)』を聞いていこう。

■美輪明宏の反戦の元となった原爆体験
 
 昭和20年8月9日。当時10歳の美輪明宏は長崎の自宅で原爆にあった。その当時の思い出を、You Tubeであげられた「美輪明宏が語る原爆体験」で、こう語っている。

「……家の前に立っていたら、ボロボロの矢絣の着物を来た女の人が来るんです。火傷で腫れがあった唇で『水をください……』と言っているのがわかった。お水を入れたお椀をその方に渡そうしたら、持てないっていうんです。そしたら、手がないんです。ぐじゃぐじゃになっていて。そうか……と思って、その方の口に水を注いであげました。……私はまだ子どもなのに(涙)手を合わせて拝むんですその方が『ありがとうございます……』って。そして、しばらくして眠ったと思ったら、その方は死んでいるんです。水をあげたら死んじゃうんです。そしたら、次から次へと来るんです。男の人やおじいさんやらいろんな人が。私1人ではさばき切れないんで、お手伝いさんと一緒に、一生懸命に水を飲ませてあげました。末期の水ですよね。本当に悲惨というかね……」

 美輪自身も被爆し、髪の毛が抜けたり悪性の貧血で悩まされたりする後遺症があった。当時の強烈な原爆体験が、戦争反対を訴えるきっかけになったのではなかろうか。

■弱者のために闘う歌手になるきっかけとなった、労働者のための曲『ヨイトマケの唄』

 昨年末の紅白で美輪明宏が熱唱し、日本中を感動の渦に巻き込んだ『ヨイトマケの唄』。

 貧しく苦しい生活のなかでも、お互いを思いやる母と子の絆を描いた戦後の名曲である。

ハピズム

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