千葉・野田の虐待死事件を「他人事」で終わらせてはいけない

HARBOR BUSINESS Online / 2019年2月25日 8時32分

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写真/時事通信社

◆「他人事」で終わらせない

 千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛(みあ)さんが、父親による虐待の果てに殺された事件は、我が家の子供たちの一大関心事になった。息子と娘は小学6年生と3年生。心愛さんと年齢が近い。2人とも、テレビのニュースや新聞の記事を見ては、「つらかったろうなぁ」「なんであの父親はそこまで殴るんだろう」と悲痛な顔をしている。

 しかし私は、彼らのこの姿を正視することがどうしてもできない。

 子供たちはいま私に信頼を寄せてくれている(ように見える)。いまだに一緒に遊ぶことをせがんだりもする。傍から見れば「仲の良い親子」ではあろう。だが、私はかつて、心愛さんの父親と同じように、底知れない加虐衝動をもっていたのだ。その衝動はあらゆる対人関係で爆発し、過去、私の人生において、さまざまな問題を生んできた。まだ子供たちが幼かったころ、その衝動を彼らに向けて爆発させたことさえある。一歩間違えれば、私が心愛さんの父親のように一線を越え、我が家の子供たちが心愛さんと同じような結末を迎えていたかもしれないのだ。

 対人関係での破滅や様々な挫折を経て、私は、自分の問題を直視せざるを得なくなった。おそらく、私と心愛さんの父親を分かつものは、「最悪の結果になる前に気づけたかどうか」という、極めて薄い一線にすぎないだろう。

 心愛さんの父親が真っ先に加虐の対象として選んだのは妻、つまり心愛さんの母親だった。彼女は、夫からの暴力を様々な人に訴えたという。しかし、彼女の言葉に耳を傾けたのは彼女の母親、つまり心愛さんの祖母だけだった。娘婿の暴力がやがては孫娘にも向かうだろうと考えた祖母は、学校や児相に暴力を訴えた。しかし、ここでも耳を傾ける人はいなかった。その後、祖母を沖縄に残し、家族は千葉に転居する。そこで最悪の悲劇が起こった。

 テレビのコメンテーターは「なぜ誰も気づかなかったのか」と口を揃える。「児童相談所の人員があまりにも少ない」と言う識者もいる。それらの指摘はそれぞれ正しいのだろう。だが、当事者――加害者としての当事者――としては、それらの指摘にどうも首を傾げざるを得ない。加害衝動を有する者は、そうした「気づきの仕組み」「保護の仕組み」の裏をかいて、加虐の限りを尽くすのだ。

「気づき」や「保護」だけでは、同様の事件の再発を防ぐことは不可能だ。被害の未然防止のためには、暴力の連鎖を止めねばならない。何が暴力なのか、何が加害なのか。誰もが一度、捉え直す必要がある。

 心愛さんの父親と私を分かつ一線は、極めて薄いものにすぎない。あなたと私の間にある線は、一体どれほど濃く太いものだろう?

<取材・文/菅野完>

すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。現在、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中。また、メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(https://sugano.shop)も注目されている

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