Google Play 、子供の保護や性的コンテンツの規制強化。危惧される「独占」による文化支配

HARBOR BUSINESS Online / 2019年6月16日 8時33分

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◆Google Play 子供の保護や性的コンテンツの規制強化

 5月の末に、Google Playのデベロッパープログラムポリシーが大幅改訂された。そして、子供の保護や性的コンテンツの規制が強化された(参照:Android Developers Blog 、 Developer Policy Center)。

 子供を危険から守る、そして性的なコンテンツに規制を加える。グローバルな流れからは、そうなるだろうと思うとともに、文化的多様性の面で懸念を感じた。なぜならば、GoogleはAndroidのマーケットを通して、スマートフォンの市場を寡占しているからだ。

 2019年の5月時点での、Androidのモバイルシェアは約70%になっている(参照:マイナビニュース)。そして、AndroidとiOSで、99.49%のシェアになっている。

 モバイル向けのアプリ(コンテンツ)を世に出すには、事実上、GoogleとAppleが運営するマーケットを通さないといけない。そこで規制を受ければ、たとえ国内向けのコンテンツであっても、事実上配布できない状況に陥ってしまう。

◆国内コンテンツの配布に、米国企業を経由せざるを得ない現状

 国内向けのコンテンツであるにも関わらず、米国企業の基準をクリアしなければならないという問題は、AppleのiPhoneでコンテンツを配信する際に、よく問題になっていた。そうした話は、主にマンガでよく聞いた。iPhoneでは性的な表現が厳しく、マンガの表現を変えた、あるいは規制を受けたという話が何度となく話題になっている(参照:ITmedia NEWS、 TechCrunch Japan)。実際に、周囲でiOS向けにアプリを出している人からは、表現規制に対応している話を聞くことがある。

 GoogleのAndroidは、当初は表現規制の面では緩かった。しかし、ここ数年急激に締め付けが厳しくなっている。私も開発者登録をして、アプリを複数出していたのだが、そのことをひしひしと感じる。過去に問題のなかったアプリが、新しいルールに準拠していないという理由で一律に配信停止になることがある。

 このようにGoogleは、放任的な体制から、支配的な体制へと変わり、近年急速にコンテンツの内容に踏み込んでいる。そして厳しめのグローバル基準に準拠するようになった。厳しいAppleと緩いGoogleだったのが、いつの間にか厳しいAppleと厳しいGoogleという状態になった。

◆「グローバル」は手放しで「正しい」ものか?

 ここで少し立ち止まって考えて欲しい。Googleを代表とする米国企業が考えるグローバルとは何かということだ。それが手放しで正しいものと見なすのは牧歌的すぎる。それは、ヨーロッパから出てアメリカで育った、世界の中での1つの価値観に過ぎない可能性がある。

 日本で普通に出版されて読めるマンガが、米国企業の基準で性的なコンテンツとして規制を受ける。グローバル基準とは何かと疑問を持つ。

 ならば、そのマンガを国内流通すればよいかといえば、それがデジタルであるならば、実質上、米国企業の配信プラットフォームを経由しなければ国内で配信できない。

 米国の価値観と、日本の価値観は違う。これは日本だけではない。世界には、多様な文化を背景にした社会が存在している。それらの文化が、米国がITを支配することで、その国の価値観で善悪が判断されてしまう。それは正しいことなのだろうか。

◆流通、マネタイズの掌握による文化支配

 グローバルでデジタルな時代になって、地球レベルでの独占や寡占が容易になった。たとえばスマートフォンの世界では、GoogleとAppleでほぼ100%のシェアを誇る。この米国の2つの企業を無視して、世界に、そして国内にコンテンツを流通させるのは難しい。

 アプリのマーケットに頼らず、Web配信するという道もあるが、収益化の面では効率が悪い。そして上手くマネタイズ出来なかった事業は、早晩その活動が停止してしまう。コンテンツを作るのは無料ではない。対価を得る手段を掌握されれば、その方法を持つ支配者に従わざるを得ない。ことは金銭の問題なのだが、そのことが文化的な支配に繋がる。

 グローバル社会でのローカルな文化に対して、それぞれの人間が持つスタンスは2つあるだろう。特定の文化圏が主導するグローバルスタンダードに、全ての人間が従うべきだ。あるいは文化の多様性を重視して、それぞれの地域での独自性を認めるべきだ。

 ことが、被害者が存在する人権問題なら、最も人権が尊重される判断基準に従う方が望ましいだろう。しかし、そうでないならば、文化的な背景の違う地域を、一地域の基準で判断することには疑問が残る。

 私は常々グローバルという言葉に疑問を持っている。それは、全世界的なコンセンサスなのか、それとも、ある地域が肥大化して他の地域を飲み込んでいるだけなのか。

 現代は、グローバルでデジタルな時代だ。そうした時代において、文化的な多様性を維持するには、何をすればよいのかと考えることが多くなった。

◆シリーズ連載:ゲーム開発者が見たギークニュース

<文/柳井政和>

やない まさかず。クロノス・クラウン合同会社の代表社員。ゲームやアプリの開発、プログラミング系技術書や記事、マンガの執筆をおこなう。2001年オンラインソフト大賞に入賞した『めもりーくりーなー』は、累計500万ダウンロード以上。2016年、第23回松本清張賞応募作『バックドア』が最終候補となり、改題した『裏切りのプログラム ハッカー探偵 鹿敷堂桂馬』にて文藝春秋から小説家デビュー。近著は新潮社『レトロゲームファクトリー』。

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