Twitter社が発表した宗教ヘイト禁止ルール。必要だが、カルトに悪用される危険性も

HARBOR BUSINESS Online / 2019年7月12日 8時31分

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Gerd Altmann via Pixabay

Contents1 米Twitter社、「宗教ヘイト」禁止を発表2 宗教ヘイト対策は絶対に必要3 表現の自由との兼ね合いを守るのは「公正さ」4 通報優位主義・単語優位主義の危険性5 カルトのクレーマー体質6 カルトの行う人権侵害は見過ごされるのか?7 下品な言葉を使う権利8 批判とヘイトスピーチの区別

◆米Twitter社、「宗教ヘイト」禁止を発表

 米Twitter社が7月9日、宗教集団を「非人間的」なものとして扱う投稿を削除すると発表、このルールを同日から運用するとした。同社は昨年からヘイトスピーチ対策として、集団に対する攻撃的投稿を禁止する姿勢を示し、利用者から意見を公募。それを踏まえて最初の規制として発表されたのが、今回の「宗教集団を非人間的なものとして扱う投稿」だ。その例として、宗教団体を名指しして「この国を蝕む癌」「蛆虫」「虫けら以下」といった言葉が挙げられている。

 ヘイトスピーチ対策としては一見、当然のことのようにも思える。しかしこのルールは、人権侵害や違法行為などを行う反社会的なカルト集団にとって、自団体に対する批判・非難を削除させユーザーを萎縮させる上で実に「便利」だ。ヘイトスピーチ対策の名のもとに、本来であれば削除されるべきではないものまで削除される「不当な巻き込み事故」を大量発生させ言論の委縮を招く、有害なルールに見える。

◆宗教ヘイト対策は絶対に必要

 大前提として、宗教ヘイト対策はほかのテーマにおけるヘイト対策同様、絶対に必要だ。非イスラム世界におけるイスラム教差別もあれば、国や地域ごとにもっと小規模な宗教集団をターゲットにした差別もある。宗教対立や宗派対立もある。宗教ヘイトは特定の民族へのヘイトと重なるケースもある。

 宗教に限ったことではないが、ヘイトスピーチはヘイトクライムにつながりかねない危険で有害なものだ。そこまで至らなくても、集団に属する個々人の社会生活を脅かす行為を正当化するような「空気」を醸成する。放置していいものではないことは明らかだ。

 ヘイトスピーチ対策としての表現規制に反対する側の主張の一例として、「ヘイトスピーチも表現の自由」論がある。私はこれを支持しない。ヘイトスピーチは、特定の個人の名誉を棄損したりプライバシーを侵害したりする類いの権利侵害とは構図が異なるし、必ずしも直接の因果関係をもった被害を伴うとも限らない。しかし上記のように社会にとって有害なものであることは明らかだ。単に、差別された側が不快に感じるという「お気持ち案件」ではない。

 関東大震災時の朝鮮人虐殺においては、朝鮮人と間違われた日本人や中国人も殺されたと伝えられている。ヘイトクライムは正確な事実関係や判断基準によって攻撃対象を選んだりはしない。そんなことができる人間なら、そもそもデマや差別的言説に踊らされて暴力に走ったりはしないだろう。

 ヘイトスピーチが生み出す不穏な社会情勢は、差別の対象とされていない人々をも殺す。「いまは運よく差別の対象にされることから免れている私たち」にとっても深刻な問題だ。差別の被害者を守ることは言うまでもなく、少なくともいまはまだ被害者ではない私たち自身を守るためにも、ヘイトスピーチ対策は必要だ。どのような規制が望ましいかは議論が必要だが、少なくとも「表現の自由」で片づけていいはずがない。

◆表現の自由との兼ね合いを守るのは「公正さ」

 もちろん「表現の自由」への配慮は欠かせない。ヘイトスピーチと、そうではない批判的言論をどう区別し、いかに「巻き込み事故」を減らして有効なヘイトスピーチ規制を行うかを考える必要が常にある。

 今年6月に、川崎市の罰則付きヘイトスピーチ対策の条例素案が報道された(参照:“ヘイトスピーチ、「50万円以下の罰金」 川崎市条例素案”|カナロコ)。公共の場でのヘイトスピーチに対して、市長がやめるよう勧告、2度目の違反者には命令、3回目は氏名・団体名などを公表し刑事告発、というものだ。事前規制ではなく事後に判断する3アウト方式で、罰金については検察や裁判所の判断に委ねる。恣意的な独自基準によって罰することを避け段階を踏む点で、表現の自由を大きく損なうようには見えない。

 そもそも行政が表現について「判定」し手を出すこと自体、「表現の自由」の観点から問題がある。しかしヘイトスピーチがこれだけ横行し、明らかに社会が不穏になりつつある現状を見れば、ヘイトスピーチを放置してまでこの原則論に固執することが現実的に正しいこととは思えない。具体的な規制の内容や手法が妥当かどうかを批判的に監視すべきではあるが、川崎市のケースは規制のあり方の一例として価値を感じる。

 では、今回のTwitter社のルールはなぜ問題なのか。

 Twitter社においては、ヘイトスピーチにしろそれ以外のルール違反にしろ、判断はTwitter社の独自基準だ(民間企業なのだから当然だが)。通報があるとTwitter社は対象となる投稿を削除してアカウントをロック(他ユーザーから閲覧はできるが、アカウントの主であるユーザーは投稿もDMもできない状態)したり、凍結(他ユーザーからも閲覧できず、使用も一切不可能な状態)したりする。凍結の際には、ユーザーに対してどの投稿が処分の理由なのかすら明かさず、異議申し立ても平気で無視する。

 判断の具体的な基準や根拠が不明確で透明性もなく、処分を受けた側に対する公正さもない。もともと公正ではない企業が表現を規制するのだから、最初からお話にならない。ユーザーの表現を云々する前に自らの公正さを確立しろとしか言いようがない。

◆通報優位主義・単語優位主義の危険性

 私は、Twitterでペナルティを課せられる基準やプロセスの確認も兼ねて、幸福の科学に批判的なアカウントを対象に嫌がらせをしている信者のアカウントを狙い、幸福の批判者たちと一緒になって通報しまくる「祭り」をときおりこっそり開催している。嫌がらせをするアカウントがロックの憂き目にあうこともあるが、そうでないこともある。

 信者側と批判者側との間で「通報合戦」の様相を呈し、批判者側がロックや凍結にあうこともある。その中で、たとえば幸福の科学信者が批判者を「悪魔」「地獄行き」などとする投稿は通報してもお咎めなしだが、信者に対して「バカ」などと投稿したユーザーはロックされたりする。

 私には「バカ」より「地獄行き」のほうが酷い物言いに思える。少なくとも「どっちもどっち」くらいではないだろうか。Twitter側の判断基準がよくわからない。ただ、はっきりしているのは、数人で同じ投稿に的を絞って通報しまくればある程度の確率でロックや凍結に追い込めるということだ。印象としては、「○○人」とか「バカ」とか「死ね」とか、わかりやすい単語が含まれた投稿ほど「成功率」が高いように感じる。

 使用歴の長いアカウントや、何かとケンカが多いアカウントであるほど、過去にさかのぼって無理矢理にでも「問題のある単語」を探し出せばいい。嫌がらせであろうが報復であろうが言いがかりであろうが、この条件を満たしさえすれば、相手のアカウントを使用不能にさせたり発言を萎縮させたりできる。

 検証するまでもなく明らかだろうが、必要なのは「通報」と「問題のある単語」だ。

 一方で、たとえば幸福の科学の公式アカウントや幸福実現党関係者のアカウントなどは、この方法でも凍結には追い込めずにいる。「通報」と「問題のある単語」という基準だけではなく、アカウントによって扱いが違うという印象を受ける。

 参院選直前に、反差別運動を行う「C.R.A.C」の複数の関係者のアカウントが凍結された。一方で、差別的な発言を繰り返す政治家や作家などのアカウントは放置されているといった指摘は、以前から差別問題に取り組む人々の間でなされてきた。今年6月27日、Twitter社は「政府関係者、公職、公職に立候補している人」の問題投稿は削除せず警告表示のみを行うと発表している(参照:“政治家の不適切なツイートに警告 削除せず、説明責任求める”|中日新聞)

 Twitterには、「通報」と「問題のある単語」によって処分されるアカウントと、そうではないアカウントが存在するのだ。

◆カルトのクレーマー体質

 私自身、主に幸福の科学関係者からの通報によって、これまでTwitterのアカウントのロック9回、凍結3回を経験している。公道上で取材を妨害し自らカメラに写りこんできた教団職員の姿を投稿したケース(プライバシー侵害との理由でロック)や、幸福の科学の書籍を評論する投稿でその書籍の表紙やページの画像を掲載したケース(著作権侵害との理由で凍結)などだ。Twitter社に対する異議申し立てはすべて無視された。

 私がアカウントをロックされたケースの中には、大川隆法総裁による選挙街宣を取材した際に教団職員が私の体やカメラを押さえつけたりカメラの前に立ちふさがったりした際の写真を掲載した投稿もあった。2012年の衆院選のときのものだ。

 選挙に候補者を擁立している政党の代表者が公道で演説をし、それをジャーナリストが公道から取材しようとする。教団の許可を得る必要もない、当然の行為だ。それを教団職員が暴力的な手段で妨害したのだから、それ自体が報道に値する「事件」である。教団職員たちは私が写真や動画を撮影中であることを承知で自らカメラの前に立った。にもかかわらず、このときの写真を添えた私の投稿は「プライバシー侵害」との理由で削除され、アカウントをロックされた。明らかに、言いがかりの通報によるものだ。

 先だってHBOLでも報じられた通り、統一教会との関係が指摘されている自民党・菅原一秀衆議院議員について、公職選挙法違反の疑いをTwitter上で指摘したジャーナリストの鈴木エイト氏が、「プライバシー侵害」を理由にアカウントをロックされた(このときは、鈴木氏の異議申し立てをTwitter社が受け入れ、ロックは撤回され投稿も削除されなかった)。菅原議員本人なり、事務所スタッフや支持者による通報でもなければ、こんなことは起こらないだろう。

◆カルトの行う人権侵害は見過ごされるのか?

 アカウントへのペナルティはなかったが、オウム真理教の後継団体である「ひかりの輪」が、宗教研究者による批判的な投稿を削除させようと、Twitter上でその研究者に執拗にクレームを繰り返したこともある(参照:“ひかりの輪が宗教学者にからむ”|togetter)。

 ひかりの輪に抗議する地域住民のデモを取材した宗教社会学者・塚田穂高氏が、ひかりの輪本部が入居する世田谷区烏山のマンションの写真などを掲載し、〈住民・社会との対話と宥和を謳う「ひかりの輪」と上祐史浩・広末晃敏らは、住民の抗議声明文も受け取らず完全無視〉などと投稿した。実際にひかりの輪はこのとき、住民の抗議文を受け取りに出てこず、無視していた。しかし、ひかりの輪幹部である宗形真紀子氏がTwitter上で塚田氏に対して、この点が事実に反するとして投稿の訂正を要求。また、マンションの写真についても、ひかりの輪信者ではない一般住民に対するプライバシー侵害だと主張した。「ひかりの輪広報」を名乗る別のアカウントも、〈今現在ネットで公開され、広範に利用されている情報を利用すると、写真内の垂れ幕などからマンションを特定可能です。住民の方の要請ですのでなにとぞご理解ください〉と主張した。

 ところが、だ。実はひかりの輪自身が、自らの公式サイト上に本部住所を掲載しているのだ。自分たちがマンションの住所やマンション名を公表しておきながら、他者が批判的な投稿をすると「住民のプライバシー」を振りかざしクレームをつける。当然、塚田氏はひかりの輪の抗議を受け入れず、投稿の削除も訂正もしなかった。

 つい先日の7月9日、明治大学准教授・水谷尚子氏が、こんなツイートをした。

〈幸福の科学は、アムネスティにも明治大学に記者申請も出さずに、これを書いたわけですね。正式に抗議します。カルトの宣伝に、私を使うな!ヘイトをまき散らすイタコ集団、反吐が出る。〉(水谷尚子氏のTwitterより)

 幸福の科学の機関誌『ザ・リバティ』がウィグル問題に関する集会を無断で取材し、水谷氏の顔写真も含めて記事を掲載したのだ(現在は水谷氏の写真は削除されている)。

 これに対して複数の信者のアカウントが反応し、〈どっちがヘイトや〉などと言い合っている。幸福の科学の信者がこぞって一人の人物を批判する光景は珍しい印象があるが、幸福の科学の教団としての対応ではなく、こうした「個々の信者」が気に食わない相手をTwitterに通報するといったことも当然、想定される。

 Twitter社の今回の新ルールは、こうした「批判されて当然のクレーマー体質の宗教団体」やその賛同者たちに、批判的言論を抑圧するための強力な手段を与えるものだ。

◆下品な言葉を使う権利

 今回のTwitterルールの危険性をTwitter上で言及したところ、いくつか意見をもらった。要約すると、

「下品で悪意ある言葉を使わずに批判する権利は守られている」

「言葉上は褒めまくることで批判するという方法もある」

という類いの意見だ。

 一見まっとうな意見に見えなくもない。下品で悪意ある言葉が褒められたものではないことは確かだ。別の方法で批判することは、もちろん不可能ではない。しかしここで求められているのはヘイトスピーチ対策だ。「下品な言葉規制」ではない。

「あんなひどいことをした●●(カルト集団)は人間じゃねえ!」

「教祖の息子までこぞって悪魔扱いして叩く✕✕(カルト集団)こそ悪魔だ!」

 これが通報されれば削除され、それが繰り返されればアカウントを凍結されたりする。そんな場所で、カルト集団について市民が自由に語ることができるだろうか。

 好ましくない言葉遣いであるかどうかと、それがヘイトスピーチであるかどうかは別問題だ。少なくともヘイトスピーチでない限り、下品で悪意あるように見える言葉を吐くことも表現の自由に属するものだろう。下品な言葉を使わずに表現することもできるが、表現の方法は表現する人間が選ぶ。選択肢があってこその自由だ。

 問題があれば批判するなり裁判を起こすなりして落とし前をつけさせればいいのであって、禁止するのは行き過ぎだ。

◆批判とヘイトスピーチの区別

 たとえば、「イスラム教」を標榜するテロ集団がいたとしても、「イスラム教」全体を敵視する根拠にならない。当然、社会の中に存在するイスラム教徒全般に不利益を与えていい理由にもならない。この点は単純だ。「イスラム教」などという大きなくくりではなく、国や地域ごとに存在する宗教マイノリティについても同様だ。信仰を理由とした非難や攻撃を正当化する理屈はない。

 厄介なのは「カルト」の存在である。カルトは必ずしも宗教団体とは限らないが、実際問題「宗教」や「宗教的」な集団は多い。すでに例示したオウム真理教(ひかりの輪)、幸福の科学、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)などだ。

 カルト問題に取り組む人々の間では、「カルト」を人権侵害や違法行為を行う集団とするのが最も基本的な定義だ。つまり、その宗教団体の行いが社会との摩擦を生んでおり社会から批判を浴びて当然の存在だ。そこには被害者が存在するのだから、恨みつらみからキツイ言葉遣いで非難する人がいたとしても、必ずしも差別とは言えないだろう。

 家族がカルトに入信してしまった、あるいは結婚を考えていた相手がカルト信者だった(相手の親が信者だった)等々、カルトに入信していない人をも巻き込む家族問題も、カルトにはつきまとう。信者でない人の中にも、特定の団体を「許せない」と感じている人は少なくない。統一教会による大学生への勧誘はかつて「親泣かせの原理運動」という言葉を生んだし、オウム真理教問題への取り組みも「(未成年者を含め)子供が入信してしまった」という親たちが坂本弁護士とともに作った「オウム真理教被害者の会」(現・家族の会)からスタートしている。

 こうした人々が反感を募らせる相手は、「イスラム教」「仏教」「キリスト教」などという大雑把な括りでもなければ、何も悪いことをしていないマイノリティでもない。自分たちの人生や財産、あるいは家族を奪ったテロ集団「オウム真理教」であり霊感商法集団「統一教会」だ。幸福の科学の場合はここまで犯罪的な被害は聞かないが、それでも多額のカネを差し出し後悔している元信者や、親から幸福の科学学園への入学を強要され借金まで背負わされた幸福の科学2世もいる。教団内で対立し除名された後に「霊言」で中傷されるなどしている人もいるし、幸福の科学教祖・大川隆法総裁の長男・宏洋氏は、いままさに教祖・教団からの非難や訴訟の真っ只中にある。

 弁護士や研究者、ジャーナリストなど客観的な表現が要求される立場の人々は、抑制的な表現を心がけたほうがいいに決まっているが、カルト被害の当事者たちは違う。彼ら自身が怒りや無念さを存分に示すことができなければ、カルト問題の深刻さを人々に十分伝えることができない。

 多少下品な言葉や激しい言葉で教団を非難したくなって当然だし、カルト問題においてはそれも意義がある表現だ。これは、ヘイトスピーチとして禁止されるべきものなのだろうか。

 逆に、たとえ相手がカルトであろうとも、非難の仕方によっては差別やヘイトスピーチになってしまうケースはありうる。教団への批判ではなく、個々の信者の人間性や権利を否定する方向に暴走した表現だ。

「●●(カルト集団)は社会を蝕む癌である」

 その通りとしか思えない。しかし、これはどうだろう。

「●●(カルト集団)は社会を蝕む癌である。信者どもを叩きのめせ!」

「●●(カルト集団)はテロ集団である。行政は(集団ではなく信者個人に対しても)住民票を受理するな!」

「●●(カルト集団)は霊言で他人を中傷する劣化イタコ芸教団である。企業は●●(カルト集団)信者を採用するな!」

 それぞれ、前半は教団への批判・非難だが、後半は個々の信者を攻撃し不利益を与えろという趣旨になる。これはもはや差別だし、ヘイトスピーチだろう。この類いの表現が規制されるだけなら、まだ理解できる。

 カルト信者にだって人権はある。現役信者は、自分が所属する集団の問題から目をそらし、場合によっては霊感商法や偽装勧誘や批判者への攻撃において加害者の側面を持つ一方で、いままさにカルトの中で人権を侵害されている(あるいはその危険にさらされている)人々でもある。社会が彼らを差別することは彼らの社会復帰を損なう。カルト問題を念頭に置いたとしても、信者への差別は正当化できない。

 こうして考えると、カルトに関しては、表現が下品だとか攻撃的だとか扱いが非人間的かということよりも、その表現の対象が何なのか(宗教団体なのか、その構成員なのか)が、重要な要素になるように思える。

 それはおそらくカルト以外の宗教についても同じだろう。たとえばイスラム教の教義や指導者、イスラム社会のあり方について批判すること自体は差別でもヘイトスピーチでもない。イスラム教世界には女性の人権問題など、批判されるべき側面もある。こうした類の批判や非難ではなく、イスラム教徒への憎悪をかきたて不利益を与えることを目指すような表現が差別あるいはヘイトスピーチなのだろう。批判する側も、こうした区別を踏まえる必要がある。

 しかしTwitterが今回発表したルールは、宗教団体に向けた表現への規制だ。これはつまり、構成員の利益ではなくカルト集団の利益につながるルールと言わざるを得ない。自覚があろうがなかろうが、Twitter社はカルトの手先だ。

 冒頭で書いたように、宗教に対するヘイトスピーチにも対策は必要だ。しかし世の中にある問題はヘイトスピーチ問題だけではない。間違ったヘイトスピーチ対策は、ヘイトスピーチ以外の問題を生み出したり助長したりすることもある。そういったものとの兼ね合いの中で規制のあり方が模索されるべきだ。

 Twitter社が今回発表したルールは、その点で、恰好の反面教師ではないだろうか。

 2012年、私が『週刊新潮』で執筆した幸福の科学学園の実態を伝えるルポについて、同学園が1億円の損害賠償を求め訴訟を起こした。2014年12月に、週刊新潮と私の側の完全勝訴となる東京地裁判決が出たが、控訴審で幸福の科学学園は、記事を宗教に対するヘイトスピーチだとする主張を追加した。在特会による京都朝鮮学校への「抗議」をめぐる民事裁判で、在特会側の上告を再講師が棄却し、ヘイトスピーチの違法性を認めた高裁判決が確定した直後のことだ。

 同学園をめぐる裁判は2016年に週刊新潮と私の側の完全勝訴が確定し、「ヘイトスピーチ」との学園側の主張も裁判では相手にされなかった。とは言え、幸福の科学が口汚いわけでもない批判的言論をも「ヘイトスピーチ」扱いすることで押さえ込みたがっていることは明らかだ。ヘイトスピーチ規制は必要だが、カルト宗教による言論妨害の道具になるような事態は避けるべきだ。

<取材・文/藤倉善郎>

【藤倉善郎】

ふじくらよしろう●やや日刊カルト新聞総裁兼被告人 Twitter ID:@daily_cult3。1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)

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