れいわ新選組と山本太郎氏論・ポピュリズムとリアリズムの狭間で

HARBOR BUSINESS Online / 2019年8月1日 8時32分

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れいわ新選組品川街宣

 2019年の参院選が終わった。

 大きなニュースのない選挙の中、れいわ新選組が2議席を獲得したことが話題を呼んだ。

 本稿では、山本太郎氏の6年間の議会活動を振り返るとともに、一体れいわ新選組、あるいは山本太郎氏が何を目指しているのかを考えたい。

Contents1 山本太郎氏は、いつ消費税をメインテーマとするようになったのか?2 生活の党時代から時代の空気を読んでシフトしてきた3 「全部のせ」れいわ新選組の政策4 「全部乗せ」の限界が来てインフレになったとき、どうするのか?5 日本の左派政党のねじれとは6 「票を取れるか」で物事を判断する癖がついた日本の有権者7 れいわ新選組は「左派」なのか8 特定枠と選挙運動のあり方9 山本太郎氏の議会活動に対する姿勢10 左右ともに広がる「議会」の軽視11 れいわ新選組はポピュリズムか12 政治家は監視され、チェックされるのも仕事

◆山本太郎氏は、いつ消費税をメインテーマとするようになったのか?

 山本太郎氏の政治活動は脱原発運動から始まった。これは周知の事実だろう。

 しかし、今回の選挙に置いて「脱原発」は、れいわ新選組のメインテーマとして語られなかった。

 もっぱら話していたのは消費税のことである。

 もちろん、原発即時停止、は政策の中には入っているが、消費税や奨学金の問題などから比べるとだいぶ下にある。

 それでは、山本太郎氏はいつ、消費税をメインテーマにするようになったのか。

 例えば、「新党ひとりひとり」時代には、このように発言している。

”安倍総理は、消費税を引き上げて税負担を求めていく以上、政治家も身を切る決意を示さなければならないということから国会議員の歳費二割削減も決まっていったというような趣旨のことをおっしゃっていますよね。平成十九年四月二十四日、第一次安倍内閣で閣議決定された「公務員制度改革について」という文書には、「公務員は、まず、国民と国家の繁栄のために、高い気概、使命感及び倫理観を持った、国民から信頼される人物である必要がある」と書いてあります。

 稲田大臣、私、国会議員の歳費二割削減と同時に、国会議員と同等の給与を受けている幹部職員の給与二割削減、実現するべきじゃないのかなと思うんですけれども、大臣の御見解、お聞かせ願えますか。”(平成26年4月11日 参議院内閣委員会)

 ここではむしろ維新の会のような、身を切る改革を主張されている、とも読める。

◆生活の党時代から時代の空気を読んでシフトしてきた

 一方、生活の党時代になると、このように主張は変わる。

”消費税をPDCAで評価した場合、私は、一旦消費税を五%に戻して、先々は廃止していく、財源は所得税の累進性を強めて資産課税を強化していくということで賄えると考えます。中小企業・小規模事業者の現状に大変お詳しい先生に、消費税を一旦五%に戻すというプラン、御意見を伺いたいと思います”(平成27年03月23日 参議院行政監視委員会)

 実は、山本太郎氏の政治団体、「新党ひとりひとり」では、当初このような基本政策が書かれていた(2019年現在、この内容はれいわ新選組の基本政策に合わせたものとなっている)。

”裕福な者も貧しい者も同じ税率? あり得ません。反対!だけでは呪文と同じ。まずは生活必需品非課税を勝ちとります。”(参照:基本政策 | 新党 ひとりひとり)

 この文言を見ても、必ずしも山本太郎氏の消費税に対する観点は、固まっていたとは言えないだろう。

 そして、生活の党時代から少しずつ、メインテーマをシフトしてきたのだ。

 それは、時代の空気を感じる山本氏の優れた能力によるものではないだろうか。

 山本太郎氏は当初反原発運動家として政治キャリアをスタートし、少しずつその政策を、消費税などの経済政策にシフトさせてきた、とわかる。

 先日のインタビューで、山本太郎氏はこう答えている。

”選挙戦で掲げた「原発即時禁止」については「そこに強い打ち出しを持ったら、多分、野党全体で固まって戦うことが難しい」と指摘。「電力系(の支持層)の力を借りながら議席を確保している人たちもいる」とも述べ、野党共闘の条件とすることには慎重な姿勢を示した。”(参照:「毎日新聞」)

 しかし、かつてはここまで強く発言していたのだ。

”枝野さん、細野さん。この国のすべての人を被曝させた民主党は戦犯です。首狩り族の一人として僕は行く必要がある。野田さんもそうです。ケジメをつけに行ってやろう。”(参照:田中龍作ジャーナル | 山本太郎氏出馬 「枝野・細野・野田は戦犯、僕は首狩り族になる」)

 日本の反原発運動の旗手として当選した候補が、その6年間の議会活動の中で打ち出す政策のウェイトを大きく変えたことは、冷静に評論されなければならないことだろう。

◆「全部のせ」れいわ新選組の政策

 れいわ新選組を全く新しい政治のムーブメントだと捉える人がいるが、私はこのような見方は短絡的ではないか、と考えている。

 れいわ新選組の政策は、日本のいわゆる「第三極」の政策、あるいは民主政権後の野党全般を概ね引き継いでいるからだ。

 この点について語る前に、そもそも日本の左派、日本の野党の欧米と比べてのねじれを指摘しておきたい。

 一般に、左派は大きな政府を望み、右派は小さな政府を施行する。これが世界的にはスタンダードだ。

 左派にはいわゆる社民主義者がいて、右派には自由主義者がいる。昨今既存の枠組みに縛られない政党が出てきたり、左派の中でもMMTなど減税論を唱える政治家もいるが、基本はこうだ。(余談だが、よく日本の左派は緊縮でグローバルから見ると異質、というような意見があるが、イギリスの労働党のマニフェストでも普通に政府赤字を5年以内にゼロにするという公約があったりする。政府を信頼せず市場に任せる右派に比べ、左派は政府を信頼し政府の機能を活かそうとするので、健全な財政基盤は必要なのだ)

 しかし、日本において、社民主義は江田三郎の失脚とともに教条主義化した日本社会党とともに退潮し、新自由主義が台頭した。

 その後、平成維新の会・新進党・民主党・みんなの党・日本維新の会など様々な政党や政治集団が現れたが、多くが「増税なき景気回復(あるいは減税による景気刺激)と、社会保障の両立」を党の公約としてきた。

 例えば、みんなの党の政策にはこうある。

”世界中を見渡しても、デフレ下で増税をしている国はありません。みんなの党は、以下の経済成長戦略や物価安定目標の策定等により、10年間で所得を5割アップさせることを目標に掲げます。結果として、今よりもはるかに実質経済規模が小さかった1990年当時の約60兆円を超える国税収入も得ることによる財政再建も目指します”

 れいわ新選組の政策にはこうある。

”物価の強制的な引上げ、消費税をゼロに。初年度、物価が5%以上下がり、実質賃金は上昇、景気回復へ。参議院調査情報担当室の試算では、消費税ゼロにした6年後には、1人あたり賃金が44万円アップします”(参照:政策 | れいわ新選組)

 この2つの根底に「増税なき景気回復」とでも呼ぶべき考えが流れていることはわかるだろうか。

 この考え方は、(特定の人間が党首になった時期の民主党を除けば)日本の野党の基本的スタンスである。

 税や財源は議論せず、財源は埋蔵金であったり、時に「日本は破綻しない」という学説に基づいた新たな赤字国債であったりするわけだ。

 このような点を含め、消費税廃止が果たして左派的な政策なのか、疑問が残る。

 私は、れいわ新選組の政策は、右派も左派も喜ぶ、過去の野党のパッチワーク的な「全部のせ」的政策であると感じている。

◆「全部乗せ」の限界が来てインフレになったとき、どうするのか?

 国土強靭化も、最低賃金上昇も、直接給付も、戸別所得補償制度も、消費税廃止もだいたい入っている。要は、あらゆる分野に政府支出を増やします、という政策だ。

 しかし、仮にインフレ目標達成まで財政再建を先送りするにせよ、国債が無限には発行できないことは自明だ。

 しかも、このような「全部乗せ」の公約である。消費減税だけではなく、様々な政策を合わせると相当な額の新規国債が必要になる。

 パッチワークの結果、れいわ新選組の政策は実現性が低いもの、あるいは財源論を意図的に省いたものになったと評価せざるを得ない。

 支持者の方々も含め、このような点から目をそらしてはいけないのではないか。

 インフレになるまでは国債で財政の大部分を賄うということは、インフレになった場合、様々な社会サービスが削られ、大規模な増税が来るということである(インフレが絶対にこないと考えているなら別だが、論理的にはシンプルだ)。

 そのような社会システムに、我々は信頼を置けるのだろうか。私は疑問である。

 国債は本来、将来産業への投資などに、景気刺激策とイノベーション施策として使うべきで、安定して財源を必要とする社会保障の分野で使うことは不適切ではないのだろうか。

◆日本の左派政党のねじれとは

 れいわ新選組は決して政策的には新しいムーブメントではないと述べた。

 日本の左派のねじれの原因の一つには、政策と選挙のねじれた関係がある。れいわ新選組の候補者だった安冨氏のブログを引用する。

”私は、山本太郎のれいわ新選組は、いわゆる「政党」ではない、と結論した。ここで言う「政党」というのは、その目的を「綱領」という形で明文化し、何らかの「政策」を掲げて選挙を戦い、議席を獲得して綱領の実現を目指す、という共通の目的を持った集団のことである。

 実のところ、この定義にきちんと当てはまる政党は、日本共産党、しかないであろう。ほかの政党は、「選挙に当選して議員になりたい」と思う人が集まって、票を得られる方法をいろいろ考え、それを綱領や政策として出し、「政党」のフリをしている集団に過ぎない。それでも、フリをしないといけないので、候補者が党の掲げる政策に反対だと公言するわけにはいかないし、綱領と関係のない政治理念を掲げることにも大きな問題が生じる。その上、往々にして選挙のやり方も、支持母体となる組織が主導権を握り、候補者はそれに従って運動することになりがちである。”(参照:安冨歩氏のブログ)

 この安冨氏の考察に書かれたような前提のもと、伝統的に日本の左派は「減税と社会保障の両立」という実現困難な政策(時に財政再建も含む)を選挙のたびに掲げることになり、それらは細川政権・鳩山政権など左派政権実現のたびに破綻した。

 細川政権は国民福祉税導入で瓦解し、民主党政権は最終的に消費増税に踏み切らざるを得なかった。

 村山政権は、社会党が消費税廃止法案を提出していたにも関わらず、2%増税を決断せざるを得なかった。

 民主党政権は所得税、法人税などの累進性強化を一定程度行い、更に行政改革で予算を捻出しようと考えたが、最終的には消費増税を含む一体改革を選んだ。

 左派が大きな政府を選挙では語らず、増税無く社会保障の増大に対応しようとすることが、左派政権の安定性を損ねてきた。

 では、なぜ日本の野党の政策は、そのような総花的、あるいは八方美人なものになってしまうのか。

◆「票を取れるか」で物事を判断する癖がついた日本の有権者

 私は、野党支持層、いや日本の有権者は、「票を取れるかどうか」で物事を判断する癖をつけてしまっているのではないか、と見ている。

 このような考え方のもとでは、すべての政策は「集票力があるか」、もっというと「ウケがいいか」という視点でのみ判断され、更に有権者は「この政策ならウケがいいのに、なぜこのような政策を打ち出さないのか」というねじれた義憤を持つようになる。

 支持者個人がその政策をどう捉えるかではなく、支持者が「どの政策なら勝てるのか」を基準に政策を考えるようになるのだ。

「野党は消費税減税でまとまれば選挙に勝てるのに、なぜやらないのか」というような言説は、このような思考をもとにして発せられる言葉ではないか。

 私は、れいわ新選組の支持層には「選挙に勝てるような政策を打ち出している党を支持する」という層が一定程度存在すると見ている。

「この政策なら野党は勝てる」と考え、そこに高揚感を感じる人たちもいるのだろう。

 しかし、そのような思考のもと選挙に勝った野党がその後なぜ政権を維持できなかったか、を考えると、このような思考はやはり、政策をもとに政党を選ぶという有権者のあり方とは大きくかけ離れたものではないか。

 ここには、政党を選ぶと言いながら人を選ぶ、非拘束式の全国比例という制度のいびつさも透けて見える。

◆れいわ新選組は「左派」なのか

 共産党の試算では、財政を様々な場所から捻出し、17.5兆を確保することになっているが、これは主に社会保障の財源確保などに使われることになっている。(参照:日本共産党の政策│日本共産党中央委員会)

 消費税は平成29年度では年間17兆円の税収だ。廃止のための財源確保は、共産党並みの徹底した課税強化を行ってようやく捻出できる額だ。

 しかし、冷静に考えてみよう。年間17兆の財源があれば、社会保障の強化や再分配機能の強化は可能である。

 このような政策ではなくあえて消費税廃止を目指す理由は何か。

「消費税ではなく法人税や所得税の累進性を強化するべき」という意見は一見正しく思える。

 しかし、それは必ずしも消費税が不要な税であるということを意味しない。間接税が、広く様々な国で用いられている税率であることも確かだ。

 所得税の累進性強化、法人税の課税強化は必要であるとしても、消費税を廃止したり減税したりするべきだ、という結論にはならない。

 そもそも、日本の国民負担率は中程度、社会保障は極めて低く、更に社会保障の持続性には大きな疑念を持たれている。

 OECDのレポートなどを見ても、再分配機能は先進国の中で極めて弱い。

”明確な定義があるわけではございませんけれども、今厚労省から御答弁があった国際比較という意味でいえば、社会保障支出の対GDP比は、OECD諸国、データがある中で、三十五カ国中十五番目、やや真ん中ぐらい、それから国民負担率という意味でいうと、OECD三十六カ国中二十六位ということで、下から数えた方が早いという状況にございます。

 また、社会保障給付費、急速な高齢化を背景として増大していく中で、予算という意味で申し上げれば、その給付費の約半分弱を公費負担で賄っておりますけれども、それを賄うための十分な財源を確保できておらず、赤字国債の累積という形で後代にツケ回しを行っている状態にございます。

 こうしたことを考えると、我が国は中福祉・低負担の状態にあるというふうに考えておりまして、委員御指摘のように、社会保障の持続性を確保していくための不断の改革が必要というふうに財政当局としては考えているところでございます。”(令和元年4月17日 衆議院法務委員会 宇波政府参考人)

 このような中、年間20兆程度必要な消費税廃止が本当の意味で国民の幸福に資するかは、十分に考える必要があるのではないか。

 そもそも、消費増税賛成派は決して少なくはない。消費増税は関心の高いテーマではあるが、国民が最も苦しんでいるのは消費増税ではなく、上がらない賃金や年金生活への不安ではないか。(参照:読売新聞)

 このような点を踏まえても、れいわ新選組を左派的政党、あるいは左派的ムーブメントと評価することは難しい。

◆特定枠と選挙運動のあり方

 今回、れいわ新選組は舩後靖彦氏、木村英子氏、二人の重度障碍者の候補を特定枠で擁立し、二人ともが比例枠で当選した。(参照:朝日新聞)

 まず断っておきたいのは、二名の重度障碍者が参議院議員に当選されたことは日本の議会にとって素晴らしいことであり、参議院や、当然衆議院を含め議会は全面的にサポートするべきだ、というのが私のスタンスである。

 その上で、申し上げたいことがある。

 障碍者支援は、立派なテーマであり、選挙で問うべき大きなイシューだ。しかし、今回の選挙でその争点がどの程度語られていただろうか。

 政見放送では、語られていた。控えめに言っても、非常に良い政見放送だったと思う。

 しかし、今回の選挙、そしてれいわ新選組にとっての一丁目一番地は、消費減税だったことは明らかだろう。

 WEBサイトを見ても。政策の一番上には消費税廃止が踊っていた。

 自らが落選しても(おそらく落選するであろうことは理解していたはずだ)、お二人を国会に送り込みたいとした山本氏の姿勢は、評価したい。

 しかし、ならばなぜ消費減税が政策の一番上に来るのだろう。

 そこにもまた、政策と選挙の優先順位のねじれを、どうしようもなく感じてしまう。

 そもそも私は、社会保障機能の強化こそが、重度障碍者の方々にとっても行きやすい社会になると信じている。それは、税を嫌うことではなく、再分配や社会保障という税の機能を十分に活用することでしか実現できないはずだ。

 だからこそ、消費税廃止と今回の特定枠の擁立に、一貫性を感じることができない。

 れいわ新選組は一体どのような政党で、何を実現しようとしているのか、やはりその点が見えないからこそ、政策と選挙のねじれを感じるのだろう。

◆山本太郎氏の議会活動に対する姿勢

 山本太郎氏の議会活動をどう評価するかは、人によって異なるだろう。

 しかし、一つ言えることは、山本氏はそもそも国会の制度や議会自体を必ずしも重んじていない、ということではないか。

(訂正)当初この章では2015年に成立した難病対策法案への対応について、山本氏が法案に賛成しているにも関わらず反対したかのような解釈をしていましたが、ご指摘を頂き再読したところ、誤読していました。お詫びして訂正します。

◆左右ともに広がる「議会」の軽視

 先日の麻生太郎財務省問責決議案への欠席も意味不明である。議会活動の軽視も甚だしい。

”スマートに戦って勝つなんて幻想でしかない。

 そんな余裕なままで政権奪取できるのはいつになるのだろうか?

 あまりにも気位の高い戦い方しかできない野党は野党のままだ。

 いつまで地獄のような状態をこの国に生きる人々に強いるのか?

 月曜には総理の問責という儀式が行われる。

 私はその儀式もパスする。

 本気で引きずり下ろす気がない戦いには与しない。 ”(参照:棄権について|山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)

 国会に中指を立てている写真などからも、山本氏は「国会のルールに則っていては物事は解決できない」という印象を有権者に与えようとしているのではないか(あるいは自分がそう信じているのでは)、と疑念を抱く。(参照:山本太郎「消費税を廃止しないとロスジェネ世代が死ぬ!」 | 日刊SPA!)

 更に遡るのならば、園遊会で天皇陛下に手紙を手渡す行為も同じである。

 国会議員が、有権者より与えられた権能として、その良心に基づき一票を投ずることは義務である。これを放棄する議員を私は信任することはできない。

 このようなことが受け入れられるのも、ひとえに議会活動そのものが、左右問わず無駄と捉えられている。

 それだけ議会の信頼が落ちているのではないか、と推察するのだ。

◆れいわ新選組はポピュリズムか

 山本太郎氏をポピュリズムと評することは、今の段階では適切ではない。

 ご本人も語っている通り、山本太郎氏は、目的のために手段を選ばない政治家である、というのが私の結論だ。

 それをどう評価するかは有権者次第だろう。

 そして、支持者の一定層も、「手段を選ばないこと」を評価している。

 可能な限り、どのような手段を使ってでも、総理大臣になるための最短ルートを通ってほしい、と願っているのではないか。

 この前提にたてば、山本氏にとっては、国会も、れいわ新選組という政党も、手段にすぎない。

 これが、おそらくある種の人にとっては「現実的」に見えるのではないか。

 つまり、政策ではなく、手段の選ばなさに現実味を感じるのだ。

 とにかく勝たなきゃ始まらない。選挙公約は選挙に勝つために作るものだ。

 そんな身も蓋もない現実が、建前ばかりの政治家に疲れた有権者に評価され、それらをナマで打ち出すれいわ新選組に力を与えたのではないか。

 同時に、山本太郎氏は、建前ではなく本音の人だ。

「政権を取るためならなんでもする」「総理になりたい」これは本音だろう。

 同時に、「あなたを幸せにしたいんだ」というキャッチコピーに現れるように、弱者に向ける目も(いささかパターナリスティックな側面もあるとはいえ)本音なのだと思う。

 あるいは、原発事故直後に感じた恐怖もまた、本音なのだろう。その率直な発言が評価され、彼を国会へと導いた。

 しかし、その時本音であったことが、一年後本音とは限らない。興味関心は移り変わるのである。本音の人ということは、反一貫性の人ということでもある。

 感情的な本音と手段の選ばなさ、これが現代的政治のリアリズムであり、れいわ新選組を押し上げたのではないか(私はこの点、大阪における維新の会の政治運動と共通するものを感じている)。

 この文脈で考えれば、今回既成野党が票を減らしたことの原因も、見えてくるように思う。

 しかし、リアリズム観点から読み解けるものが多くとも、山本太郎氏がどのような社会を目指すのか、何を理想とするのかは、実はよく見えてこない、

 選挙に勝てる統一の主張として消費税廃止を主張しているのか、本当に心の底から消費税廃止により偶然の好景気が訪れ日本の諸問題が解決すると信じているのか、見えないのだ。

 山本太郎氏だけではない。れいわ新選組は一体何を実現し、どのような国家を目指す政党なのか。これに簡潔に答えられる人はどの程度いるだろう。

 そしてまた、議会軽視の姿勢が明らかな山本氏が本当にこの国の中枢についたとき、果たして健全な議会運営が行われるのかは大いに疑問が残る。

 いずれにせよ、有権者が議会に目を向けなければ、議会は単なる票決のための場所となり、存在価値を失う。

 れいわ新選組で当選された二人の新しい議員を含め、有権者が常に議会活動に興味を持ち、質疑が本当に質の高い、有権者の付託に答えるものであるか、監視することが重要だ。

◆政治家は監視され、チェックされるのも仕事

 政治家は監視され、チェックされるのが仕事である。

 山本氏はTwitterで自らの取材発言が批判されると記者に責任転嫁するような態度が目立つ。(参照:アエラの記事について | 山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)

 また、メディア出演が意図的に妨害されている、というような主張を否定せず、一部煽り建てるようにしている。

 メディアから、あるいは有権者からの批判を受け止められないのであれば、山本氏は公党の代表たる資格がないと言ってもいい。

 また、一部選挙の不正があるかのような発言もされている。

”不正がないわけないですよ。不正しかなかったんだから、今までの政治。公文書改ざんしたりとか、隠蔽したりとか、8年分のデータなくなったりとか、イラクの日報の問題とか、不正しかないじゃないかって話ですよ。そういう連中が、選挙の時に不正しないか? ありえないでしょ、それ。選挙以外は全部不正しますけど、選挙だけは真っ白です、なんてありえないってことですよ。当然、何かしらの不正はやっているだろうけれども、その、はっきりとしたファクト、決定的なものが掴めない限りはなかなかそれ追及難しいんですよ。”(参照:【動画&文字起こし全文】れいわ新選組街頭演説会 19.7.18 福島・福島駅東口 | れいわ新選組)

 山本太郎氏は当選以来、都合の悪い報道や事実を陰謀、読者の誤解、あるいは記者の力量不足と捉える傾向があるのではないか、と危惧している。

 健全な批判を受け付けないのは、端的にとても危険だし、不正選挙が不可能なことなど、選挙実務に関わったことがある人間ならすぐにわかるはずだ。

 山本氏は、あえて言うなら「反一貫性の政治家」である。その場で最適と思ったことを発言する。そこに過去も未来もない。

 それを有権者も支持する。なぜなら常に「本気で戦っている」からだ。

 つまり、発言の一貫性ではなく、姿勢の一貫性を見ているのである。妥協しない(と見えていること)に彼の支持の源泉があるのではないか。

 しかしもはや、山本太郎氏は単なる一議員ではない。代表として政党要件を得た政党を率いるなら、過去の発言も含め検証されるのが当然だ。

 健全な批判すら受け付けないポピュリズムになるか、あるいは健全な批判を受け入れ、強みにするリアリズムの道を行くか。今後の政治活動次第でないかと思う。

 これまでアウトサイダーであった山本氏がメインストリームの政治家として総理を目指すならば、有権者もそれに応じて政治活動を注視すべきなのだ。

<文/平河エリ@読む国会>

【平河エリ@読む国会】

Twitter ID:@yomu_kokkai

ひらかわえり●国会をわかりやすく解説するメディア「読む国会」を運営する政治ブロガー。

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