災害対策に緊急事態条項は必要か?<あべこべ憲法カルタ・第3回>

HARBOR BUSINESS Online / 2019年9月10日 8時33分

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 現行の憲法とは”あべこべ”な憲法が制定された世界を描くことで、現行憲法への理解を深めようというコラボ連載、「あべこべ憲法カルタ」。本物のカルタは、Webメディア「チャリツモ」が制作中だ。

 今回はその中から、『き』の札を紹介しよう。この札では現行憲法にはない「国家緊急権」について解説していく。2012年の自民改憲案と2018年の自民党「改憲4項目」に盛り込まれた「緊急事態条項」に規定されている新たな項目だ。

◆【き】緊急事態 乗り切るために 内閣(オラ)に権力(チカラ)を!

 戦争、内乱、恐慌や大規模な自然災害など、平時の政治では対処できない非常事態が起こったとき、国家の存立を維持するため、政府に権力を集中させ、非常措置を取る権限を国家緊急権という。

 ひとたび濫用されると、これを覆すことが極めて難しい危険な権限であり、世界中で濫用されてきた歴史がある。特に日本では、戦時下で国家緊急権が濫用されてきた苦い経験を踏まえ、日本国憲法では国家緊急権をあえて設けていない。「緊急時の対応は事前に厳重な要件で法律を整備しておくことで対処すべき」というのが現行憲法の考え方だ。

◆自然災害対策には緊急事態条項が必要か?

 今回は、2018年3月に自民党が発表した改憲重点4項目「たたき台素案」の緊急事態条項を検証する。改憲重点4項目「たたき台素案」とは、自民党が現実的な改憲のやりやすさを考慮し選び出した「9条改正」「緊急事態条項」「参院選合区の解消」「教育制度の充実」の4項目のことだ。

【緊急事態条項】

第73条の2

(第1項)大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。

(第2項)内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。

 (※内閣の事務を定める第73条の次に追加)

第64条の2

大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。

(※国会の章の末尾に特例規定として追加)

 上記条文中の要点をまとめるとこうなる。

【第73上の2】

大地震などの大規模災害で、国会による法律制定の時間的余裕がないときに、内閣が法律に変わる「政令」を制定することができる。そこで制定された政令は、速やかに国会の承認を求めなければならない。

【第64上の2】

大規模災害で国政選挙が実施できないときは、各議員の出席議員の2文の2以上の賛成があれば、任期の延長ができる。

 実は2012年に発表された自民党の改憲草案にも緊急事態条項は用意されていた。(日本国憲法改正草案 第9章 緊急事態)しかし、この自民党改憲草案の中で言う「緊急事態」の中には「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱」の場合も含まれていたため、戦争を前提とした憲法改正だとして多くの批判が上がった。

 そうした批判を踏まえ、4項目に絞って出されたのが2018年の改憲4項目たたき台素案だ。素案の条文では緊急事態の定義が「大地震その他の異常かつ大規模な災害」と書かれ、武力攻撃を受けた場合や内乱が起きた場合を明示していない。

 素案に付された説明には、緊急事態条項を設けた理由として「巨大地震や津波が発生しており、南海トラフ地震や首都直下型地震などについても、想定される最大規模の地震や津波等へ迅速に対処する」ためだと書かれている。

 改憲4項目が出された後の、自民党の説明や議員の発言でも、あたかも地震などの「自然災害」のみを対象にしているかのような物言いが続き、武力や内乱といったキーワードは出てこない。

 ただ素案をよく読むと「自然」災害という限定はなく、単に「災害」とだけ記載されていることに注意したい。「災害」には、武力攻撃災害も含むという法解釈も可能であることから、自然災害のみならず武力攻撃の場面を想定しているのだという批判もある。

 しかし、今回は武力攻撃の場面については検証せず、この条文の「災害」を「自然災害」と解釈した場合の話をしたいと思う。

なぜなら、自然災害のみを前提とした場合においても、緊急事態条項は、憲法に必要なのか?という疑問が残るからである。

 今回の記事を書くにあたっては、『憲法に緊急事態条項は必要か』(岩波書店)などの著者で、災害・緊急事態条項に詳しい永井幸寿弁護士にご指導いただいた。

◆そもそも緊急事態条項とはなにか

 緊急事態条項とは国家緊急権を憲法に創設する条項だ。憲法学の通説である芦部信喜氏の定義によると、国家緊急権とは「戦争、内乱、恐慌ないし大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において、国家権力が、国家の存立を維持するために、立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置を取る権限」である。

 そもそも憲法の目的は…、と書きはじめると迂遠なようだが、国家緊急権の本質であるので少々お付き合いいただきたい。

 憲法の目的は、わたしたちの人権を保障することにあり、国家権力を法で縛るために存在している。この権力を法で縛るという考え方を立憲主義という。人はいつの時代も貪欲に権力を求める。そして握った権力を濫用する愚かさも持ち合わせている。そのため、権力を集中させた方が効率がよいとしても、あえて権力を立法・行政・司法に分け、にらみ合わせることで権力の濫用を防ぐ「権力分立」の政治体制を採用しているのが立憲主義的な社会だ。

 しかし、南海トラフ地震や首都直下型地震など国家の中枢を破壊するような巨大地震が発生し、道路・交通手段が破壊、インフラが途絶、といった想定を超える緊急事態には、平時の権力分立を前提とした制度では対応できないとして、国家緊急権を規定するべく緊急事態条項を盛り込んだのが今回の改憲4項目なのだ。

 永井弁護士は、「国家緊急権は『国家の存立のため』の制度だ。一番大事なのは国家であり、そのために権力分立をやめて権力を過度に集中させようというもの。これはフランス革命の前の絶対王政と同じ構造だ」と指摘する。

  国家緊急権は、権力を一極集中させ、非常時の混乱状況を乗り越える強力な手段であるものの、強度の基本的人権の制約を許すリスクを孕んだ危険なものだ。永井弁護士は、「国家緊急権が使われる典型的な場合は戦争のときであり、多くの国で野心的な軍人や政治家に濫用されてきた」とも指摘する。

 ワイマール憲法下のナチスは、国家緊急権である大統領緊急令を発動させることで革命もクーデターも経ず、合法的に独裁を確立した。そして、国会の立法権をすべて政府に委ねるという全権委任法(「民族および国家の危難を除去するための法律」)を強行採決し、緊急措置を固定した。これによって、「人身の自由」、「政治活動の自由」などの重要な人権が過度に制約され、ナチスによる独裁は敗戦まで続いた。

 日本でも明治憲法下で4つの国家緊急権が用意されていた。(1)緊急勅令制定権、(2)戒厳宣告の大権、(3)非常大権、(4)緊急財政処分だ。「治安維持法の刑罰の上限を死刑にする」という法案が議会に提出されて審議未了で廃案になったにもかかわらず、緊急勅令で法案通りに成立したという濫用事例もある。

 このように国家緊急権は、非常事態を為政者が自演して権力を集中させたり、いつまでも非常の措置を延長し続けたりして濫用されてきた歴史がある。とりわけ戦争と絡めて問題視される緊急事態条項であるが、今回はあくまで自然災害のケースでの検証が目的であるので、話を戻そう。

◆参議院の緊急集会があるし、自然災害時には一時的に内閣に立法権を認めている

 2015年5月の衆議院憲法審査会において、自民党憲法改正推進本部長の船田元氏は、「(緊急事態条項について)大規模災害発生時などに、国会議員の任期が延長できることなどを憲法に規定しておくことは急務だ」と述べた。2018年のたたき台素案において自民党は、大地震などの大規模災害が発生した場合を想定し、緊急事態条項の必要性を主張している。

 果たして本当に緊急事態条項がなければ、政府は大地震などの「自然災害」に対応することができないのだろうか?

 これに対し永井弁護士は「戦前、大日本帝国憲法のもと引き起こされた悲惨な戦争の反省からあえて国家緊急権を憲法に入れなかったが、(現行憲法は)災害に備えて2つの制度を設けている」と説明する。

 一つ目は、参議院の緊急集会だ。憲法54条2項は衆議院が解散されているとき大震災が起こった場合などの不測の事態に備えて、参議院の「緊急集会」を規定している。

【日本国憲法54条2項】

 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

 衆議院が解散されているとき、国の緊急の必要があれば、参議院の緊急集会が国会の代わりを果たし、政治的な空白を生まないように設計されているのだ。参議院の緊急集会では、暫定的に法律や予算の議決をして、採られた措置は次の国会開会後10日以内に衆議院の同意を得られなければ効力を失う、という規定である。これがまず緊急事態の対応として憲法に用意されている。

 参議院の緊急集会が開催できる場合は良いが、首都直下型地震のように参議院の緊急集会すら開催できない場合はどうするのか?

 そのような場合に備えて憲法はもう一つの制度を用意した。それが、政令への罰則の委任の規定(憲法73条6号)だ。

【日本国憲法73条6号】

この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

 国会で法律が制定できないとき、内閣が政令を制定することになる。この政令に実際の効果を伴わせるためには、罰則の規定も合わせて設ける必要がある。しかし、その罰則により過度に人権制限が行われないよう、特に法律の委任(法律から委任を受けて細かい事柄を決める委任命令)がないと罰則は設けることができない。これにより国会が制定した法律で厳格な要件のもとに内閣は緊急時に罰則付きの政令を制定することができることになった。この憲法73条6号を受けて、災害対策基本法109条・109条の2は厳格な要件のもと、緊急時に、内閣に一時的な立法権を認めている。

 災害緊急事態に、国会が閉会中、参議院開催中、臨時会の召集や参議院の緊急集会をまつ暇がないとき、内閣は憲法+災害対策基本法により、特定の事項に限って、罰則付きの政令を定めることができるのだ。

【災害対策基本法109条・109条の2】(抜粋)

第百九条

1 災害緊急事態に際し国の経済の秩序を維持し、及び公共の福祉を確保するため緊急の必要がある場合において、国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、かつ、臨時会の召集を決定し、又は参議院の緊急集会を求めてその措置をまついとまがないときは、内閣は、次の各号に掲げる事項について必要な措置をとるため、政令を制定することができる。







2 前項の規定により制定される政令には、その政令の規定に違反した者に対して二年以下の懲役若しくは禁錮、十万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没収の刑を科し、又はこれを併科する旨の規定、法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者がその法人又は人の業務に関してその政令の違反行為をした場合に、その行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金、科料又は没収の刑を科する旨の規定及び没収すべき物件の全部又は一部を没収することができない場合にその価額を追徴する旨の規定を設けることができる。

第百九条の二

1 災害緊急事態に際し法律の規定によつては被災者の救助に係る海外からの支援を緊急かつ円滑に受け入れることができない場合において、国会が閉会中又は衆議院が解散中であり、かつ、臨時会の召集を決定し、又は参議院の緊急集会を求めてその措置を待ついとまがないときは、内閣は、当該受入れについて必要な措置をとるため、政令を制定することができる。

 つまり、濫用の危険がある国家緊急権はあえて設けず、災害などの緊急事態には法律を整備することで対処しようというのが日本国憲法の趣旨であり、そのための法律として災害対策基本法が用意されているのであるから、自然災害における非常時の措置に関しては、災害対策基本法を改正することで対処するのが筋ではないだろうか。

◆【こんなにあるのにまだ足りない?】緊急事態に権限を集中させるその他の法律一覧

 緊急事態条項のない日本国憲法下では「緊急事態に対応するすべがない」という主張をよく耳にするが、そんなことはない。前出の災害対策基本法をはじめとして、緊急事態に対応するための多くの法律が既に存在している。

 そして、内閣総理大臣に権限を集中させる法律も存在する。

(1)国民に物資をみだりに購入させないように協力を要求する(災害対策基本法108条の3)

(2)省庁や地方自治体、JRやNTTなどに必要な指示を出す(大規模地震対策特別措置法13条1項)

(3)防衛大臣に自衛隊法8条に規定する部隊等の派遣を要請する(大規模地震対策特別措置法13条2項)本来は防衛大臣に帰属する権限を内閣総理大臣に帰属させている

(4)警察庁長官を直接指揮監督し、一時的に警察を統制(警察法72条)

(5)原発事故の場合に市町村長、都道府県知事に対して避難の立ち退き、または屋内避難のため勧告・指示を出すよう指示することができる(原子力災害対策特別措置法15条、16条)

 さらに、災害救助法には都道府県知事および市町村長に強制的に執行する権限が定められており、これに対する罰則も設けられている。

 このように、内閣に立法権を認める規定、内閣総理大臣に権限を集中させる規定、必要に応じて人権を制限する法律が現行憲法下でも存在する。

◆現行憲法のせいで災害時のガレキ撤去もできない、という「嘘」

 緊急事態条項は東日本大震災の翌年、2012年の自民党改憲草案から登場した。緊急事態条項の創設に賛成する論者たちは、東日本大震災を引き合いに出し、災害対策において『憲法が障害になることが明らかになった』という意見を繰り返し述べてきた。緊急事態条項の必要性を主張する憲法学者の百地章氏は、自身が監修する著書(※)の中で「東日本大震災の時、ガレキは個人の所有物が流れたものであり、それらを勝手に処分すれば憲法の『財産権』を侵害することになりかねないということで、ガレキ処理は遅々として進みませんでした」という書いている。救助活動や災害支援の現場において、憲法が大きな壁となっている旨を主張しているのだ。

※ 女子の集まる憲法おしゃべりカフェ(2014年、明成社)

 これに対して永井弁護士は「財産権を定める憲法29条2項『財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める』と記載がある。これは憲法が財産権については法律で広く制限できると定めているのです。これ以上変えようがないはず」と言う。

 つまり、財産権は公共の福祉に適合するように法律によって内容を定めることができるのである。憲法に緊急事態の記載がなくても、財産権を制約する法律は定めることができるし、それに従えば違憲の問題も生じない。ちなみにガレキ処理は災害対策基本法64条2項により市町村長が行うことができると定められており、この法律は東日本大震災よりずっと前から存在している。

【災害対策基本法 第64条 2項】

市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、現場の災害を受けた工作物又は物件で当該応急措置の実施の支障となるもの(以下この条において「工作物等」という。)の除去その他必要な措置をとることができる。

この場合において、工作物等を除去したときは、市町村長は、当該工作物等を保管しなければならない。

 日本弁護士連合会が東日本大震災の被災三県の24市町村に対し実施したアンケートで「災害対策・災害対応について憲法は障害になったか」という質問に、1自治体を除いて23の自治体が「障害にならない」と答えた。このアンケートを担当したのは永井弁護士だ。もしも災害現場でガレキの処分に迷うことがあれば、現場の担当者が災害時の法律の内容や制度の適切な運用についてきちんとした知識がないことが問題なのであって、憲法に緊急事態条項がないことが問題ではないのだ。何でもかんでも憲法のせいだと責任転嫁する論客には注意しなければならない。

 永井氏は緊急事態条項待望論に対して、このように釘を刺す。

「災害対策の原則は『準備していないことはできない』ということだ。災害対策は過去の災害を検証し、これに基づいて将来の災害に備えて効果的な対策を準備する。今、非常事態条項はまるで魔法の杖のように、非常事態条項さえあれば何でも解決するようにいわれているが、そうではない。災害が発生した後に、権力を集中させても何もできない」

◆災害対策に緊急事態条項は不要だ

 ワイマール憲法も「そんな独裁者が現れるわけがない」という性善説で国家緊急権を設け、ナチスに悪用された。明治憲法下でも国家の非常事態の名目の下、国家緊急権が濫用された。このような歴史を踏まえ日本国憲法は、あえて国家緊急権を設けなかった。

 現政権や自民党が、どんな状況を緊急事態とし、それを宣言したときにどのような政治を行いたいと考えているのかは、不明である。

 彼らは口々に「大地震などの災害」という言葉で、あたかも自然災害のケースのみを緊急事態として想定しているように喧伝している。大災害を何度も経験してきた地震国家日本において、自然災害対策はほとんどの国民が気にかけることであり、そのために必要だからと言われれば、受け入れられやすいに決まっていよう。

 しかし、地震などの自然災害には、「法律を整備」することで対処しようというのが日本国憲法の趣旨だ。災害時に非常事態条項さえあれば何でも解決するように宣伝されているが、災害対策に必要なのは過去の災害を検証し、これに基づいて将来の災害に備えて効果的な対策を準備することである。憲法の改正ではない。

 今回は2018年の「改憲4項目」を前提に、おもに自然災害を想定した場合に「緊急事態条項」が必要か否かについて考えた。結果、自然災害のケースに絞ったとしても、現行憲法と各法律で、十分対処可能であることがわかった。

 しかし、緊急事態条項については、まだ検証が必要だろう。特に2018年の「改憲4項目」では隠された、自然災害以外の「武力攻撃や内乱」のケースに着目して検証する必要がある。が、今回はここで紙幅が尽きたようだ。さらなる検証については、別の機会に書こうと思う。

<取材・文/林夏子 取材協力/永井幸寿>

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