スポーツ界の感覚では「後任川淵」は妥当? その実績と危惧される要素

HARBOR BUSINESS Online / 2021年2月12日 8時33分

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森喜朗前会長と川淵三郎氏(右)(時事通信社)

◆火中の栗を拾う男、川淵三郎

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が辞任し、後任に川淵三郎氏(84)の就任がほぼ決定、今日にも会見が行われる模様だ。

 森喜朗前会長にとっては、女性蔑視発言が国際社会をも巻き込んだ批判を浴びたうえ、IOCや東京都知事にまで露骨に引導を渡される態度を取られたのも決定的だった。

 新型コロナウイルスがまだ収まることがない状況で、開催が危ぶまれながらも、ここまで招致の段階から主導的な立場で関わってきた森前会長からすれば無念だろう。しかし、あまりにも発言と認識が時代錯誤すぎた。

 小難しい政治の話などわからない地元の高齢男性支持者相手に面白おかしい演説をぶってウケを狙うような普段のノリで、いわばサービスのつもりだったのだろう。しかし、世界中が注目し、ダイバーシティとインクルージョンを標榜するオリンピックに因んだ場での女性蔑視発言には、世界中の女性が怒っている。それはそうだろう。

 謝罪の記者会見も惨憺たるもので、却って批判を強めさせた。あそこで神妙に受け答えしていれば、もしかしたらここまでにならなかったかもしれない。しかしそれも出来ないのが、ご自身曰く「老害」たる所以か、身に染み付いたものだからか。

 このままだと、昨年末から新型コロナウイルス対応を巡って支持率を急下降させる菅政権の不人気ぶりにも追い打ちをかけかねない情勢で、ついにジ・エンドとなった。森前会長は体調もよろしくないという。ぜひご自身が深く関与された新装の国立競技場の一番良い貴賓席で、東京五輪の開会式をご覧になっていただきたいものだ。もちろん、東京五輪がこのまま開催できるのならばだが。

 そしてその火中の栗となった東京五輪のトップの座を拾ったのが、川淵三郎氏だ。

◆スポーツ界では予想された人選

 ご存じのとおり、Jリーグ立ち上げの立役者だ。いや、それのみらなず今の日本サッカーの興隆を強いリーダーシップで築き上げてきた人である。日本サッカー協会のトップも長く勤めた。

 この手腕はサッカー協会の退任後も他のスポーツ分野にも活かされ、分裂騒動に陥っていたプロバスケットボールリーグの事態収拾にあたり、無事このミッションを成し遂げて、その後は日本バスケットボール協会会長にも就いたこともある。その後は、日本の団体球技リーグの横断組織である、日本トップリーグ連携機構の会長に就任。

 ちなみに、この日本トップリーグ機構の会長職も、五輪組織委員会と同じく森喜朗氏の後任であった。

 ここまで行けば川淵氏が、東京五輪の会長となるいうのは、それほど意外な人事ではないということはおわかりになるだろう。

 フジテレビの「とくダネ!」の小倉智昭キャスターが、噂に上る前から森喜朗氏が退任した場合の後任候補として川淵氏をあげていたこともあるくらいで、スポーツ好きを公言している小倉氏のみらず、関係者の間では早々と名前がささやかれていたという。

 なお川淵氏は、オールドサッカーファンなら知る人ぞ知る、前回1964年の東京五輪の時に日本代表のストライカーであった。当時はサッカー弱小国の日本だったが、この時はなんとアルゼンチンに勝ってベスト8まで進出している。そのアルゼンチン戦で1得点1アシストの大活躍をしたのが、若き日の川淵氏だ。

◆中止になれば「敗戦処理」必至だが……

 開催まで残りは半年しかないなかで、しかも中止になった場合は、五輪の敗戦処理まで引き受けることになる。それでも川淵氏はよいのだろうか。

「火中の栗を拾うような冒険をしてきた人ですからね」と、サッカー関係者のひとりは言う。

「今の若い人は遠い昔の話で想像できないでしょうが、1980年代までサッカーはアジアでも弱小国でした。ライバルだった韓国に全く勝てなかったのは有名ですが、そればかりか、タイやマレーシアやインドネシアなどの東南アジアの国にも負けることもあるくらいでした。その時に日本サッカーが強くなるためにはプロリーグが必要だということで、始まったのがサッカーのプロ化の動きでした。もちろん当時は、そんなことが出来るはずはないという論調が大勢をしめていました。まさに火中の栗ですね。それを様々な紆余曲折はありながらも、最終的にJリーグに結実させたのは、やはり川淵さんの手腕なしでは考えられません。」

 修羅場や一筋縄ではいかないところに出ていくのは川淵氏の宿命なのか、本人が望むところなのか。

◆川淵氏にも十分ある舌禍を招く資質

 ところで森喜朗氏は今回舌禍騒動で、そのワンマンぶりをも批判されて辞任となったわけだが、今回後任となる川淵氏も、かつては日本サッカー協会の会長として君臨したのが災いして、一時期激しい批判を浴びたことも記憶している人もいるだろう。口が禍の元となるのは、森氏のみならず川淵氏も体験してきたことなのである。

 それが2006年の「オシムって言っちゃったね」舌禍事件である。

 2006年のドイツワールドカップで、当時史上最強の世代と言われていた日本代表がジーコ監督の指揮のもと0勝2敗1分とグループリーグ通過にほど遠い結果出敗退した。

 円熟の年齢にいた中田英寿や、絶頂期にいた中村俊輔などを要したチームだったが、もともと大会前から、ジーコ監督の手腕にファン・サポーターが疑問視されていた。その最強チームを率いての敗退は、大きな批判を招いていたこともあり、ジーコ監督の任命責任に日本サッカー協会に対する不満を鬱積していた。

 ところがである。大会直後の日本サッカー協会の記者会見で、敗退を総括して反省の弁を述べるかと思われた、当時の日本サッカー協会会長だった川淵三郎氏が、ジーコ監督の後任の選考を進めているのかと記者問われて、発表するべき場ではないはずのところで、イビチャ・オシム監督であることをポロリともらしてしまったのだ。

 オシム氏は、当時まだジェフユナイテッド千葉の監督を務めていたこともあり、交渉自体が非公式なものだったので、ジェフユナイテッド側も困惑することになったが、それよりも怒ったのはファン・サポーターである。

「頭を整理し切れずに(名前が)出てしまった。なかったことにはならないだろうね。頭がさえてない」と川淵氏はすぐに釈明したが、この「失言」を熱心なファン・サポーターたちは、うっかり言ってしまったとの言い訳をその通りには受け取らなかった。

 つまり、あれだけ批判があったジーコ監督をそのまま続投させた任命責任をうやむやにするために、わざと次の監督人事をリークする大芝居をうったのではないかと考えたのだ。

◆川淵解任デモまで起きたことも

 これより以前の2020年の日韓ワールドカップ以前から、ジーコ監督の前任のトルシエ元日本代表監督との確執なども一部のファン・サポーターの怒りを呼んでいた。ジーコ監督は川淵氏の一存で決めたことも公言していたため、ファンからはこの素っ頓狂な「オシムって言っちゃったね」発言で怒りが爆発した形だ。

 川淵氏は、この時点でJリーグを9年、日本サッカー協会を5年と、日本サッカーのトップの座をあわせて14年も務めていた。そのために「独裁者」との批判が渦巻き、サッカー協会のかつての仲間であるOBからも、晩節を汚すようなことがあってはならないと批判を浴びる始末だ。

 それに怒ったサポーターは、なんと「川淵解任デモ」まで行った。

 主催者発表で約1,000人のファン・サポーターが「川淵やめろ」とサッカーサポーター特有のコールを連呼して、日本代表戦終了後の国立競技場のある千駄ヶ谷周辺を練り歩いた。デモ隊がもつプラカードには「老害」の文字も見えるが、実は15年前の時点で川淵氏は老害扱いされてしまっていたのだ。

 川淵氏はこの時に個人会社と日本サッカー協会との関係が不適切ではないかなどを詮索されるなどもしてきており、2008年まで会長職を任期満了までつとめたが、ここでサッカー界ではお役目を果たすことになった。

◆川淵解任デモ主催者の一人は今回の会長就任をどう見る?

 この川淵氏の批判の急先鋒だった「川淵解任デモ」の主催者のひとりに、今回の東京五輪の組織委員会会長就任について、15年ぶりに川淵氏のことを聞いてみた。

「あの川淵解任デモは、ワールドカップ敗退があまりにも残念過ぎて、その純粋な怒りがあったからできたものでした。その時は批判しすぎるくらいに批判してきましたが、もちろん川淵さんのこれまでの実績や手腕を全て否定しているわけではないです。今回の人選も悪いものとは思わないし、僕としてはお手並み拝見というところですね」

 意外な回答であるが、あの当時批判したものすら川淵氏の力量をスポーツ界では認めるひとが多いということだろう。

◆セクシストが去ったのにレイシスト?

 川淵氏は、日本サッカー協会の会長を2002年に退いたあと、しばらくは首都大学東京の理事長などの異分野に活動の舞台を移し、一時は政治の世界にも足を踏み入れかけていた。2012年に東京都知事に立候補した猪瀬直樹氏の選挙対策本部長をつとめ、猪瀬辞任後の2013年、そして後任の舛添要一前東京都知事の辞任に伴う2016年の都知事戦への出馬も取り沙汰された。

 最近ではSNSなどで右派の識者やメディアなどを取り上げたり、嫌韓や歴史修正主義的発言をすることも多く、その点批判されていることもある。極右と海外メディアに目されることもある石原慎太郎元東京都知事との親しい関係も知られている。

「ただそういう部分はちゃんとわきまえている人ではないでしょうか」とは、JリーグとプロバスケットボールであるBリーグを取材しつづけているスポーツライターの大島和人氏(近著『Bリーグ誕生 日本スポーツビジネス秘史』日経BP)だ。

「例えばJリーグのチェアマン時代に、観客を呼ぶ言葉に『動員』という言葉を使うなと決めたのは川淵さんです。それは戦争をイメージさせるからよろしくないということでした。戦前世代でも、そういうところはキチンとわきまえているし、単に右派とカテゴライズしてしまうのもどうかなと思います」

 なるほど、それでは独裁者という指摘はどうか?

「『独裁力』という本を出したくらいで、そういう側面は確かにあるでしょう。ただ、それは曖昧な姿勢を取らないリーダーの姿勢で、尊大さや独善を自分が感じたことはありません。Bリーグの改革では、若い人を積極的に登用して、40も50も年齢が違う人たちとマーケティングやブランディングについて渡り合っていました。バスケットボールの国際的な交渉も先頭に立っていました」

 そうすると、この修羅場での五輪組織委員会の会長は適任ということになるのか?

「もともと川淵さんはサッカーの人です。フィールドの違うバスケットボールであれだけやれたのは、私からいわせるととんでもなくすごいことだと思います。それまで動かせない難題を解決した人ですから、それがこの五輪でいい方向に出ればいいと思います。神輿に乗って終わりというタイプではないことは確かです」

 新会長の川淵氏に残された時間は6カ月。

 長らく川淵氏を見てきた個人としては、Jリーグでは「チェアマン」、日本サッカー協会では「キャプテン」と自らの呼称を変えてきたこともあり、こちらも会長ではなく「プレジデント」にでもするのだろうかなどと、つまらないことも思い立つ。「もし五輪でダメそうだったら、新しくなった国立競技場で川淵解任デモですね」と当時のデモ関係者のサッカーサポーターは笑う。

 川淵氏も年齢を考えると、最後の大舞台と言っていいいだろう。まずはお手並み拝見といこう。

<取材・文/清義明>

【清義明】

せいよしあき●フリーライター。「サッカー批評」「フットボール批評」などに寄稿し、近年は社会問題などについての論評が多い。近著『サッカーと愛国』(イーストプレス)でミズノスポーツライター賞、サッカー本大賞をそれぞれ受賞。

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