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自身のメモリアルマッチで主役の座を譲った大仁田厚…「生き様を見せる」レスラー生活50年の全てがそこに

スポーツ報知 / 2024年8月26日 6時0分

24日の「川崎伝説2024」のメインイベント終了後、ファンにペットボトルの水を振りかける大仁田厚(カメラ・今成 良輔)

 7度の引退、復帰を繰り返し、時に「ウソつき」と揶揄(やゆ)されることもある66歳のレスラーの真の魅力にもう一度、気づかされる一幕があった。

 24日、富士通スタジアム川崎で行われた「テリー・ファンク1周忌追悼・大仁田厚デビュー50周年記念大会『川崎伝説2024』」。

 今年、レスラーデビュー50周年を迎えた「邪道」大仁田厚(66)は昨年8月23日(日本時間24日)に死去した兄貴分・テリー・ファンクさん(享年79)の1周忌追悼と自身の50周年メモリアル大会のメインイベントで盟友・雷神矢口と組んで「ファンクス」の象徴・ドリー・ファンク・ジュニア(83)、西村修(52)組と対峙(たいじ)した。

 ドリーは実弟テリーさん追悼の思いを胸に5年ぶりに来日。弟子にあたるタッグパートナー・西村は現在、ステージ4の食道がんの闘病中もドリーへの「俺が守る!」という決意のもと、主治医を同伴し、決死のリングに上がった。

 1974年4月14日、全日本プロレス後楽園ホール大会での16歳でのデビューから50年。節目の時を迎えた大仁田にとって「川崎」は特別な場所だった。

 新日本プロレスと全日という横綱団体に大きく水をあけられた状況下で敢行したのが、91年9月23日の川崎球場大会。「FMWのチケットはすべて実売だったし、川崎球場開催は超冒険だった。バクチだった」という中、同日に横浜アリーナ大会を開催した新日の1万8000人を大きく上回る超満員札止めの観衆3万3221人の動員に成功。FMWは一気にインディー最強団体の座に上り詰めていった。

 「俺にとっての原点が川崎球場というのは絶対ある」と口にしてきた「邪道」は、この夜、「NWAの王者でずっと憧れの存在だった」というドリーと、リングの南北側に地雷爆破、東西側に有刺鉄線電流爆破が設置され、さらに電流爆破バットも4本用意された自身考案の「川崎伝説2024ダブルヘル電流爆破」で激突したのだった。

 西村が1人で、さらに大仁田組が入場した後、大トリで入場のドリー。場内におなじみの「スピニング・トーホールド」が大音量で流れると、場内の興奮はマックスに。カウボーイハットをかぶったドリーは青の「ファンクス」ジャンパーでゆっくりとリングに向かった。

 西村を押さえ、先鋒を買って出たドリーと堂々、ロックアップした大仁田。リストロックで固められても笑顔を浮かべた。

 序盤から連続被弾した大仁田。83歳のドリーにも正面から電流爆破バットを振り下ろす非情な戦いぶりを見せつけたが、最後は西村が電流爆破バット殴打でグロッギー状態に追い込んだ矢口の巨体にドリーがスピニング・トーホールドをお見舞い。散々痛めつけた後を引き継いだ西村がとどめのスピニング・トーホールド。ギブアップを奪った。

 会場を埋めた5040人の観客の「ドリー!」コールを全身に浴びてマイクを持ったドリーは「プロレスファンノミナサン、アリガトウゴザイマス」と、まず日本語であいさつ。「サンキュー、マイブラザー・テリー・ファンク、サンキュー・マイファーザー・ドリー・ファンク、サンキュー・マイワイフ・マギー」と弟と父、そして、この日もリングサイドで見守った愛妻に礼を言うと、リングの四方に向け、「サンキュー、ジャパン。ネバー・クィット(絶対にあきらめない)、フォーエバー」とファンクス時代からの決めゼリフを口に。見送るファンたちに「サンキュー」と口にして、退場していった。

 さらに西村もマイクを手に「私自身もやり続けたいこと、言い続けたいことがあります。プロレスとともに政治とともに生き続けていきたいと思います」とプロレスラーと文京区議会議員の顔になって、堂々、宣言した。

 そんな中、この夜の主役だったはずの大仁田はドリーの手を高々と掲げた後にやっとマイクを持つと、「ドリー、西村さん、そして観客の皆さん、来てくれてありがとうございます」と、ペコリと頭を下げた。

 その上で「勝っても負けても記憶に残る試合ができたと思うし、テリーも天国で喜んでいると思います」と笑顔を浮かべ、「テリーを! テリーを! 忘れないで下さい。テリー・ファンクよ、永遠に。ファイヤー!」の絶叫で戦いを締めくくった。

 私の目には、この夜の大仁田は自身の冠大会の幕引きのマイクパフォーマンスこそしたが、リング上の戦い、そして、ファンへのあいさつと完全にドリーと西村の師弟コンビに譲り、一歩後ろに引いているように映った。

 だから、試合後にズラリと並んだ100人以上のファンへのサインを終えた後、淡々と引き上げようとする、その背中に声をかけ、思わず聞いていた。

 「今日は大仁田さんの50周年のメモリアルマッチでもあったはず。かなり、ドリーと西村さんに主役の座を譲った形に見えましたが?」―。

 私の問いかけにその場で立ち止まって、こちらをじっと見つめた大仁田は「さっきもリング上で言ったけどさ…」と念を押した上で、こう言った。

 「プロレスは勝ち負けだけじゃないんだよ。それを超越したところに良さがある」―。

 はっきり、そう言い切ると「プロレスにはこういう形もある。83歳のドリーに、がんと戦っている西村さん。その人の生き様、人生背景が感じられる試合をしたかった。ドリーがリングに上がってくれた現実を見て、みんなに感謝してるよ」―。

 そう、16歳でのレスラーデビューから50年4か月が経過した「邪道」がレスラー人生全てをかけて体現してきたのが「生き様が感じられる試合」を観客に見せつけること―。

 左ひざ粉砕骨折による一度目の引退。全財産5万円でのFMW旗揚げと大成功、そして、クーデターのような追放劇。たった1人で新日に乗り込んでの「大仁田劇場」。そして繰り返した7度の引退、復帰による毀誉褒貶(きよほうへん)の声。

 そんな波乱万丈そのものの50年間で磨き抜かれたプロレス界の「アイコン」はメモリアルな1日を終えた後、穏やかな表情でこう、つぶやいた。

 「ファンに感動を与えるプロレスは永遠に不滅だよ。自分も古稀電流爆破を目標にして頑張っていくよ」―。

 そう、この男は多分、70歳になっても電流爆破のリング上がり続けているだろう。決して「俺が、俺が」と主役の座を張ろうとなどせず、ただひたすらファンに「感動を与える」ためだけに―。世間の声など一切、気にせずに。

 汗まみれで引き上げて行くその背中を見ながら、そんなことを思った聖地・川崎の夜だった。(記者コラム・中村 健吾)

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