東京のユルいカフェの本性 ~1分でわかる大阪人の言い分~

インフォシーク / 2013年8月21日 17時30分

大阪・梅田

ユルさを履き違えているなあと思うことほど切ないものはない。

休日は東京じゅうのカレー屋にいることが多く、好きなカレー屋は何度となく足を運ぶ。選ぶ基準はその店にしか出せない味があることと、穏やかにカレーが食べられるムードだ。

つまり、ユルく旨いカレーが食べたい。

東京にとある好きなカレー屋があった。たるんだ腹回りの一部はこの店でできているほど通った。欧風のごく家庭っぽいカレーはただただ旨く、気さくな女性店員とアットホームを画に描いたような内装が最高のスパイスだった。

癒されたいときや、友人と昼を摂るときに使っていたその店。先日も寛ぎに行こうなどと店を目指すと、ドアの側にあるポスターを見つけた。

その日は、参院選選挙前日の7月20日。でーん。と貼られた某候補者ポスター。カルチャーに精通した人が手を挙げたような、政治家然としていない人で、原発、風営法に異議を唱えているらしい。

私は選挙日が来れば投票はするが政治に疎く、その人もよく知らない。なので賛成でも反対でもない。私はただ、カレー屋のプロパガンダにガッカリしたのだ。

山小屋で手作りジャムを売ってそうなおじさん店主。口を開ければ「煮込み続けていたいだけ」「誰でもゆっくりしに来てね」とボソボソ答える、私が想像する店であってほしかった。

店はサブカル臭がする立地ではある。休日に訪れる若者からその候補者は支持を得ただろう。その街でプロモーションすることはとてもいいことだからどんどんポスターを貼るべきだ。

ただし、駅から少し離れしかも細い筋を曲がるというわかりづらい裏通りの店に生々しいポスターを貼ることはいろんな意味を含ませるだけじゃないか。

今もしその店の前を通れば「ZION」や「ART OF RAP」と書かれたポスターにさくっと切り替わってそうな気がしてそれはそれで困る。なにもかもプロパガンダにしか見えないからもう行くことはないだろう。ユルい雰囲気なクセに実は客の顔を伺っていて、どれだけ思想があるかで判断をし、一つのグループを作りたがっていそうな気さえする。アホみたいな顔して行きたいのに。

このように、東京の一見ユルそうな雰囲気の店は、時に客のイメージを裏切る。

たとえば雑誌に載ったことで人気となり並ばないと入れない店になってもメディアって凄いなあと感服するだけでガッカリはしないが、載った雑誌をわざわざ切り取り、年季の入った格子窓にピタッと貼ってあると「なんや売れたかったんかい」と切ない。

そのような店を目にすると、人気飲食店になることを夢見て上京した東京人や代々続く店を俺が人気店に!と意欲に燃える東京人は、なんとかして有名になりたい欲の皮が突っ張っていて、売れたいスケベ心をどこか忍ばせているのだろうといつも切なくなる。そんなことより味やろがと。

ユルさとは店に無意識に漂う空気だ。だが東京のユルい店は「ユルい店」という意識的なコンセプトを立てている気がする。

大阪で私が行くリラックスできる店で「売れたい感」「若者に媚びている感」「政治感」を受けたことはない。大阪にも「雑誌に載りました」などと書いて店紹介のページを切り取り看板の周りを埋め尽くす店もあるが、ほとんどはたこ焼き屋か串カツ屋だ。活気を用いた店なら、それはやっていい。

そして大阪の古い喫茶店や新しくても雰囲気のある店はユルさをコンセプトに立てているのではなく、土着のソウルに色を合わせ地道に営んだことで滲み出たカラーだ。

心斎橋や梅田などのオシャレスポット近くで古くから構える大阪のカレー屋の例として、古民家を利用したある店がある。そこは打ち水用の蛇口もそのままに、昭和な匂いのするホースが繋がっている。客が「商売やっていけんのか?」と余計な心配をするほどなんともユルく、落ち着ける。

かと思えば、ある老舗のカレー屋は店前の暖簾とショーケース以外の空きスペースに濃い化粧を塗りたくり満面の笑みを浮かべたおばちゃん等身大パネルがあった。看板娘ならぬ、看板おばちゃん。それはユルさではなくウザさだが個性は大事だ。

今後カレー屋を選ぶ際は、時代に流されない個性も条件に入れていく。東京に住むということは、客が千里眼を持たなければならないらしい。

鹿タカシ
しかたかし ライター・コピーライター・歌い手(バンド活動休止中)。大阪生まれ。大阪芸術大学にて写真を専攻した後に上京しなぜかコピーライターとなって約10年。現在は都内広告プロダクションに勤務しながら、大阪人からみた東京、また東京在住の人からみた大阪人について研究。

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