リアル・マイケルジャクソン [Vol.66]_1999年_夢のミレニアム・イベント! ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2013年12月12日 17時30分

モナコ・ワールドミュージックアワード2000のパンフレットとVIPパス。

韓国・ドイツでのチャリティーコンサートを終えたマイケルは、ニューアルバムの製作に本腰を入れて取り掛かった。前回のアルバム「HISTORY~」の発売から、すでに4年が過ぎている。この間、たびたびレコーディングの様子が伝えられてはいたものの、アルバムの全貌はなかなか姿をみせなかったのだ。(結果的に、1999年11月に予定されていた発売が、2001年10月まで、丸2年延期された!)

それと並行して、ミレニアムにむけて、またしても大がかりなイベントが計画された。1999年12月31日、シドニーとハワイの2カ所で、マイケルが「ミレニアム・コンサート」を行うというニュースが報じられたのだ!当初の話では、時差を利用して両方の会場でカウントダウンを行うというふれこみで、プロモーターには過去のワールドツアーで実績のある「ママ・コンサート」が着任した。

このイベントに関して、わたしたちは、さまざまな関係者からリアルタイムで情報を得ていた。ちょうど年末年始に開催されるということもあり、会社勤めのOLにとっては絶好のタイミングだ!なにより、ミレニアムの瞬間を、マイケルとともに迎えられるなんて夢のようではないか。(しかも2度も!)

「ハワイに行くなら水着を買おうかな♪」「パレオもいいかも?」と半分浮かれていたわたしたちであるが、この、いかにもマイケルらしいイベントは、結果的に延期(キャンセル)となってしまった。現地のプロモーターとの交渉が折り合わなかったとか、マイケルがアルバム製作に集中したいため延期を申し出たとか、いくつかの原因があげられたものの、本当の理由は明確には発表されないままだった。

そして、世紀のミレニアム・コンサートに代わって、新たに「ボンファイヤー」と称されるイベントがネバーランドで計画された。マイケルとゆかりのある人々をネバーランドに招待し、ともにミレニアムをお祝いする、という趣旨のようだった。この内々のイベントには、世界各国のファンも一部招待リストに加えられており、光栄にもわたしたち3人はその中に入っていたのだ!

関係者から連絡を受けたわたしたちは、当日の様子を毎日のようにイメージングし、お揃いの衣装を購入し、ネバーランドに行ける日を指折り数えて待っていた。「パスポートのコピーを提出するように」との要請があり、これはもう確実だと喜んでいた。ところが、結果的に、これまた中止となってしまったのだ!

この頃のわたしたちの心境は、ジェットコースターで強制的に急上昇・急下降を繰り返しているようなものだった。さんざん舞い上がった反動で、究極まで落ち込んだ状態でミレニアムを迎えることになったのだ。

新千年紀の幕開けは、そんなわけで、静かなものだった。わたしなどは、人と話し込んでいて、気がついたら日付けが変わっていた。「世界が終わるのでは」とか、「なにかすごいことが起きる」とか、子どものころから刷り込まれてきたものであるが、現実ってこんなものだ。

気を取り直し、わたしたちは、次の追っかけの旅を計画した!2000年5月にモナコで開催される「ワールドミュージックアワード」にマイケルが出演するという情報を聞き、迷わす飛ぶことにしたのだ。

またしても「アウェイ」なヨーロッパだ!このときわたしたちは、本当に、何も期待していなかった。これだけメジャーなイベントだ。ヨーロッパ中から熱狂的なファンが集まるのは間違いない!過度な期待をして、ガックリ落ち込むのは、ミレニアムの騒動でこりごりだ。

そんなわけでわたしたちは、こんな機会でもなければ一生行かないであろうモナコを優雅に観光しようと決めていた。

まさかそこで、ファン人生の中でも1、2番に心に残る出来事が起こるとは、そのときのわたしたちは思いもしなかった。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

インフォシーク

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