リアル・マイケルジャクソン [Vol.80]_2000年代のエピソード~5~ ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2014年4月3日 17時30分

有楽町ビッグカメラでのマイケル。手にはわたしたちの赤いカード。下はYちゃんと渋谷にて。

2007年3月5日、マイケルは有楽町のビッグカメラに出かけた。この日は渋谷でのショッピングも予定されていたのだが、そちらは直前でキャンセルになり、もうすぐ日も変わるというころにビッグカメラに到着したのだ。辺りは大勢のファンや通りかかった一般客、各局の報道陣で騒然となった!そんな中わたしたちは、一行の到着とともに貸し切り(閉め切り)となった店内で、マイケルに会うことができたのだ。

Yちゃんとわたしは、1F入り口のすぐそばの階段脇に立っていた。関係者に囲まれて店内に入ったマイケルは、「勝手知ったる」という様子で、ボディーガードや子どもたちから一人離れてタタタッ!と軽快に階段を駆け上がっていった。きっと、お目当ての製品がどこに置いてあるのか、何度も来ているだけによくわかっているんだろう。本当にマイケルは、昔から日本の家電量販店が大好きなのだ!

「マイケル!こっちから周るよ」と呼び戻されたマイケルは、ちょっぴり出足をくじかれた様子で、ほとんど登り切っていた階段をゆっくりと降りてきた。そこで、わたしたちの姿に気がついたのだ。わたしをみたマイケルは、あ!と驚いた顔をして、「君のこと覚えてるよ!」と満面の笑顔でこちらに歩み寄ってくれた。(すかさず隣のYちゃんを指差してI love you!と念押ししていた)わたしたちも、マイケルの元に歩み寄る。ああ、何年会わなくても、ちゃんと覚えててくれるんだなあ。昔、ワールド追っかけを始めたばかりの頃、やたらとマイケルに「Do you remember me?」と聞いては「Of course!」と答えてもらい、はしゃいでいたのが頭をよぎる。

目の前のマイケルをまじまじと見ると、昨日の来日時に比べてメイクはきれいにのっておらず、無精ヒゲがうっすらと伸びていた。こういう、自分に無頓着なところは、やっぱり変わっていないんだ。わたしたちはマイケルに、再会の喜びを伝えたあと、準備していた赤いカードを手渡した。そこにはそれぞれの想いを込めたメッセージとともに、マイケルと私たち3人が一緒に撮った写真、そしてわたしの子どもの写真が貼ってある。

一緒にカードを見ながら、写真の子どもがわたしの息子であることを説明すると、マイケルは「ええ!?」とビックリした顔をした。そして、改めてこちらを向き直って、グッジョブ!とガッチリ握手をしてくれたのだ。その瞬間、子を持つ親として、心が通いあったような気がした。わたしたちの傍らにはマイケルの子どもたちが立っている。この数年、思うように動けず、歯がゆい思いもたくさんしたけれど、こうしてマイケルに再会することができた。そして、どうしても伝えたかった想いを直接届けることができたのだ。なんだかもう、十分だなあと思った。次に会うのが何年先になったとしても、同じようにマイケルは、わたしたちに声をかけてくれるだろう。ボディガードや関係者は、何も言わず遠巻きにわたしたちを見ている。そのあと次につながる約束を交わし、わたしたちは店内へと向かうマイケルを見送ったのだ。

ちなみに、40万円のVIPパーティーに、Yちゃんとわたしは出席しなかった。身近なファンの間でも、出席した人、しなかった人さまざまだった。これに関しては、自分自身が結果に納得していれば、それでよいのだと思う。どんな背景があったにせよ、その場を提供したのは間違いなくマイケル本人なのだから。

こうして新旧大勢のファンを熱狂の渦に巻き込んで、マイケルは日本を後にした。そしてわたしたちは、このときの来日で、ある計画が持ち上がっていることを知ったのだ。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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