リアル・マイケルジャクソン [Vol.81]_2000年代のエピソード~6~ ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2014年4月10日 17時30分

マイケルが表紙の雑誌やベスト版。下は「THIS IS IT」記者会見でのマイケル。

日本を発ったあと、マイケルの周囲では、ニューアルバム製作の話題やベスト版の発売、数々の雑誌への登場など、本業にまつわるニュースが増えていった。2000年代に入ってから、さまざまな確執や不毛な裁判で失われてきた多くの貴重な時間を、これからマイケルはエンジン全開で取り戻していくのだ!多くのファンが、そう信じていた。

そして2008年5月、マイケルの所属レコード会社の関係者Mさんのツテで、Yちゃんとわたしは某ラジオ番組に出演することになった。(もちろんテーマはマイケルだ!)収録のためテレビ局内のスタジオを訪れたわたしたちは、そこで、マイケルのワールドツアーの計画について聞かされた。2007年の来日時、すでにツアーの話は持ち上がっていたのだが、2008年5月の時点で、近い将来の日本公演が予定されていたのだ!

相変わらず子育てと仕事で忙しい毎日を過ごしていたわたしにとって、このニュースは心の底から嬉しかった!以前のように、追っかけで世界中をまわるのは難しい状況だからこそ、日本での公演を待ち望んでいたのだ。「息子をマイケルのステージにあげたい」という親馬鹿な夢も、ホームでなら確実に叶う。そんな希望が、慌ただしく過ぎる日常にハリと活気をもたらしてくれた。

そして2009年3月、マイケルのコンサート「THIS IS IT」がロンドンのO2アリーナで開催されることが正式に決まった。2009年7月から2010年3月にかけて、最後のロンドン公演(当初は10回の予定だったが、のちに50公演が確定)を行うことが発表され、大勢の熱狂的ファンの前でマイケル本人が記者会見を行ったのだ。この会見の様子はトップニュースとして全世界に配信された。チケットは瞬く間に完売となり、ロンドン公演の成功を想定したさまざまな計画が水面下で持ち上がった。前回の「HISTORY TOUR」以来、12年ぶりのマイケルジャクソンの大がかりなツアーとあって、ファンはもちろん業界関係者からも大きな期待が寄せられたのだ。

順風満帆に思えたマイケルの復活劇に、世界中のファンが喜び、胸躍らせ、ロンドン公演の初日を指折り数えていた。2009年5月には、7月の公演スケジュールが急きょ後ろ倒しになることが発表されたが、あくまでも、斬新なステージに対する準備期間がもう少しだけ必要だという理由だった。

ちなみに、当時の心境として、わたしたちと同じように感じていた人はどれくらいいるだろうか。「THIS IS IT」の記者会見をTVでみたわたしたち3人は、まったく同じ感想を持っていた。映像でみたマイケルに、いまだかつてない「違和感」を感じたのだ。具体的になにが、と言われるとうまく表現できない。ただ、数か月後のロンドン公演のイメージがまったくわかなかった。(以前のように長期で駆けつけることができないから、ネガティブになっているのかも…)きっとそうなのだ、と思った。1年前、日本公演の可能性を示唆されたときは、素直にワクワクしていたのだから。自分たちにとってアウェイのロンドン公演だから、こんな風に不安な気持ちになるんだ。

その後、50公演の日程が発表され、ネットでのチケット争奪戦が繰り広げられたときも、わたしたち3人は参戦しなかった。ただの1枚もチケットを買わなかったのだ。いま周囲で起こっていることが、夢の中の出来事のように思えた。マイケルが再びステージに立つことも、殆ど一日置きに公演日程が組まれていることも、それが数カ月にわたることも、どこかフワフワとして現実のことに思えなかった。

初めて追っかけの準備を何もせず、わたしたちはロンドン公演を他人事のように迎えようとしていた。前回のマイケル来日を皆勤賞で追いかけたYちゃんは、この5月に入籍したばかりだ。Eちゃんは国際結婚でアメリカにいる。そしてわたしは置いても連れてもいけないチビの子育て真っ最中。それでもきっと、ツアーが始まったら、いてもたってもいられなくて、わたしたちはロンドンに飛ぶのかもしれない。「そのときは現地集合でね!」などと言い合いながらも、漠然とした不安がつきまとう。ああ、とにかく、マイケルにとってすべてが順調でありますように。まずはロンドンで、次はきっと日本で、元気な姿を見せてくれますように。

そして2009年6月25日(日本時間26日早朝)、まもなくマイケルがロンドン入りするというタイミングで、全世界に衝撃のニュースが駆け巡ったのだ。

【バックナンバー】リアル・マイケルジャクソン ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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