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運動部は大学の悪性腫瘍/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2018年5月28日 16時36分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

大学は勉学の場。ところが、勉学とは関係の無いやつらに乗っ取られてしまった大学、そうでなくても、悪性腫瘍のように内部に食い込んしまい、本体を衰弱させている大学が少なくない。あえてわかりやすく極端に戯画的に言うと、以下のような事態が、そこここの古い大きな大学で見られる。


いかにして大学は運動部に乗っ取られたか

なぜこんなことになったのか。第一に、明治時代。維新政府において、その出身藩閥の対立を解消すべく、全国に五帝大が作られ、私学を含め、藩閥の融和解消が図られた。しかし、これはすぐに出身学閥となり、学生はもちろん所在地を巻き込んで、運動部の交流試合を盛り上げることになる。

第二は、学校教練。もともと義務教育は国民皆兵と表裏一体だったが、第一次大戦後、中等教育はもちろん、大学にまで陸軍将校が義務的に配属され、軍事を教え始める。これは、戦史や講話などの座学もあったが、その中心は体育であり、太平洋戦争の劣勢敗退とともに、いよいよ大学は練兵所と化していった。

第三は、反共。敗戦とともに、反動的に労働闘争が激化し、大学もまた左翼の牙城となって、ロックアウトや教職員の吊し上げが頻発。GHQ監視下におかれた警察はまったく無力であったために、対抗のため、一般企業同様、大学も広義のヤクザ者(愚連隊上がりなど)との関係を利用せざるをえなくなる。また、運動部の学生たちを事実上の学長の暴力的親衛隊とし、事務局職員として数多く採用。

第四は、高度経済成長とオリンピック。団塊世代で大学はマンモス化。補助金と建設利権が相まって、勉学とは関係ないグラウンドや体育館などが大学に次々と建設される。くわえて、軍事に代わる国威発揚のため、国際大会に出られる若手選手の養成が大学の任となり、勉学しない「学生」、その監督やコーチが、さらに大量に大学に喰らいつく。

第五は、バブルと少子化。テレビ中継によって、学生スポーツが手っ取り早い大学宣伝の方法と認識されることになり、高校の強い選手を推薦特待で大学が奪い合う。さらに、少子化で、運動部が学生集めの窓口となり、勉学などする気のない「学生」をとにかく数だけ確保する手段となっていく。

これらの結果、気付けば、大学は、勉学とはほど遠い連中だらけ。しかも、彼らは、学生も、監督コーチも、法外な奨学金や報償金を得て、広大な大学の施設を占有、それどころかタダ同然の寮や高級職員住宅で大学の中に住みつく特権階級。大学を学部に分割して連携を断ち、特定部以外の学生の運動サークルを陰湿に潰し、事務局で大学全体を支配。その他の教員や学生は、その応援に組織的に動員され、奴隷も同然。遠征だの大会だの、なにかと理由をつけて、露骨にカネまでせびり取られる。

「学生」とは名ばかり。講義になど、来もしない。寮からバスで食堂に直行。たまに教室で見かけたとしても、始まる前から昼休み、午後一から夕方まで、集団でただ寝ている。人間のクズ。まともな他の学生たちの鼻つまみ者。だが、ヤクザと同じで、みんな、見て見ぬフリ。それでも連中が卒業できるのは、運動部と一体の事務局に媚びて出世を狙うクズ教員たちが強引に出席や成績をいじくるから。上まで、それを黙認、ゴリ押し。まともな他の教員たちは、不正を知っていても、裏に強面の監督コーチがついているクズ学生たちには関わりたくない。むしろクズ教員たちにクズ学生たちのお守りをさせて、ほったらかし。


大学運動部は大学理念に反する

だが、こんな学生もいた。彼のことは前に知っていた。講義中に自己紹介を書かせたことがあったからだ。小学生以下。漢字がまったく書けないのだ。なにか知的な障害があるのだろう、と思っていた。その彼が私の研究室に入りたいと言う。部は辞めた、勉強したい、と。話を聞けば、幼少から、ケタはずれに強かったらしい。それで、県内外の大会に出づっぱり。学校もそれを「応援」。授業なんか出なくていい、練習しろ、勝って来い。ずっとそう言われてきたそうだ。ちゃんと勉強したい。そう言って、彼は、泣いた。

ようやく親が気付いたのだ。本人もまともだった。特待という言葉に騙され続けてきた。授業料なんか、自分でも払える。いまからでも遅くない。勉強したい。さいわいパソコンは使えた。参考図書を挙げれば、彼は自分ですぐに手配し、ネットで調べながら、小学生のように文字を追いつつ、次の週までにきちんと読んで理解した。まさに猪突猛進で勉強した。そして、すこしも劣らぬ、それどころか、他の大学の学生たちに見せても優秀と言えるような立派な卒論を書いて卒業していった。

彼に限らない。体育そのものは、人間形成に大きな意味がある。人間は体で生きているのだ。精神は、その体にこそ宿っているのだ。地道に前に進むこと。困難にくじけないこと。つねにフェアに問題に当たること。そして、いざというときに、ほんとうに正しい決断ができること。こういう強靭な精神力は、ぜひにも若いうちに身につけるべきものだろう。ましてチームスポーツであれば、礼節と協調、分担と信頼。人間関係についても多くを学ぶことができる。

だが、大学の運動部はどうか。選手がいて、その監督がつく、というのではなく、ろくに社会で働いたこともない監督が、スポーツ専業で生き残り、のし上がるために、若い選手を次々と捨て駒のように使い潰す。そもそも、体育が人間形成に重要なのは、中等教育以下での話。一つのスポーツだけに特化すれば、身体機能はもちろん、視野や発想まで狭まる。人間関係も限定され、人生の選択を失い、同じスポーツの監督や先輩の下につき、また、その下を付けることでしか生きていけなくなる。世界に、歴史に、自然に、理論に、視野を拡げ、発想を豊かにして、多様な能力の全人性を探求する大学、ユニヴァーシティの理念とは、もともと真逆のものだ。

大学にしても、勉強させてやる気もない「学生」を、見世物や宣伝材料としてカネで「飼う」ことに、心の痛みは感じないのだろうか。それなら、大学がアイドルを飼ってペットにする「美女推薦」「美女特待生」と、なにが違うのか。そもそも、成人年齢を18歳に引き下げようという時代に、勉強しない「学生」と社会人をリーグで分ける理由があるのか。もっと言ってしまえば、選手を国や大学が養成すること自体が、もはや時代錯誤なのではないか。

トップクラスの国際大会を見れば、世界を飛び回るミックス(「ハーフ」)だの、外国選手だのが、いまやゴロゴロ。人間を土地や所属で規定できるなどと考えているのは、飛行機に乗ったこともない前世紀の「土民」の発想。すでに自転車ロードレースでは、試行錯誤の末、1970年代に、ナショナルチーム制からトレード(企業スポンサード)チーム制に移行している。この結果、それぞれのチームが国際化し、多様な国々の優秀な選手の参入や移籍が活発になり、人気を世界に拡げていっている。いまどき国や大学が自前の選手だけを囲い込み、たがいに競わせ続けるなどというのは、帝国主義時代でもあるまいに、まさに視野が狭く、あまりに発想が貧しい。


大学運動部は全廃必至

もちろん、教育者として立派な指導を行い、親身に学生たちを育てている監督やコーチも少なくはない。勉学を絶対第一として、きちんと運営されている部もある。だが、いずれにせよ、運動振興としても、大学経営としても、大学運動部は、すでにその存在意義を失ったのだ。その断末魔で、やつらはトラブルを起こす。

体育に意味がないのではない。中等教育までに、人間性の根幹として、すべての若者がしっかりと学んでおくべきものだ。スポーツとしても、大いに楽しめばいい。そして、文武両道で他の学生たちの模範となるような勉学と品行に顕著な学生であるならば、大学においても、奨励することはあるだろう。しかし、それは、特定の部の運動に限られることがあってはならず、また、いくら勝っても、勉学や品行を欠くなら、そんな人間のクズは、大学の恥でしかない。

いまや大学そのものが、本来の研究成果、教育効果で、厳しい国際競争にさらされている。また、これほどの多種目化、多趣味化の時代に、いくら伝統があろうと、特定の運動部のみを学内で特別特権扱いすることは、もはや、高い授業料を負担している他の一般学生たちの理解を得られない。まして、勉学を第一としない本末転倒な連中を大学に寄生させている余裕は、もう無いのだ。クズ学生しか集められない宣伝効果など、いよいよ大学の評価を下げ、危機に落とし入れるだけ。

働かない専業の実業団チームの多くがバブル後に廃止されたように、勉強しない学生の大学運動部など、廃部は時間の問題。サルの曲芸でもあるまいに、がんばってるというだけで、みんなが喜んでくれ、法外な御褒美がもらえる、などというわけがあるまい。それとも、いまの一般学生たちの冷たい視線の厳しさにも気づかないほど、病的に視野が狭くなってしまっているのか。結局、連中の運動愛とやらは、大学の中に寄生し続け、安穏に利権をほしいままにし続けるための屁理屈にすぎないのか。それほどの運動愛なら、大学と関係なく、どこでも自分たちでスポンサーを見つけ、自立自活して、その運動に打ち込むくらいの根性もないのか。そんなのいやだ、と悪あがきしても、時代は確実に、運動部を大学から切り離す方向へと向かっている。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)


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