君は世界の夢の中/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2015年6月25日 9時58分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

 年来、『七つの習慣』のコヴィーだの、個人心理学のアドラーだのがはやりだが、どうしていまさらこんなのが、と思う人も少なくあるまい。仏教をかじったことがあれば、それは理解していて当然の話だから。哲学でも、ショウペンハウアーの『意志と表象としての世界』に出てくる。戦前は学生歌の「デカンショ節」として、デカルト・カントと並び称せられるほど、ショウペンハウアーは人気だったのだが。


 ようするに、君が言う「世界」は、君が見ている夢にすぎない。現実の世界とは別物。テレビだかインターネットだかで君は情報を集め、君のねじ曲がったコンプレックスに基づいてそれらの情報を理解し、自分勝手に継ぎ接ぎにつなぎ合わせて、「世界」を捏ち上げている。君は自分の目や耳で、ほんとうの世界をじかに取材しようともしない。にもかかわらず、自分自身で作り上げてしまった、映画の『マトリックス』のような仮想現実の中に君自身も登場人物として入り込んでしまい、むだにもがき苦しんでいる。『ボヘミアン・ラプソディ』の悪夢。


 たとえば、星空を考えてみよう。星座は、それらの星の点をどうつなぐかで、できあがっている。だれかに習って、それが当たり前になると、星空を見ただけで、それらを星座に切り分け、星をつなぐ。だが、その切り分け方は、君が勝手にやっていることだ。別様に切り分けることもできるし、別様につなぐこともできる。そうすれば、まったく違った星座の形に見える。


 事実でも同じこと。物理的な事実がある、としても、その事実を過失と見るのか、故意と見るのか、は、君がやっていること。事実そのものとは関係が無い。いや、故意だという証拠の事実がある、と言っても、これまた、君が、あることを別のことの証拠として関連づけているだけで、妄想の陰謀説と大差ない。でも、君は、自分の発見とやらを疑いもせず、人にまで言い散らし、同じ妄想仲間を増やすことに躍起になる。しかし、増やさないと増えない、増やせば増える、というところが、まさにおかしい。本当に真実である物事が、そんなに恣意的でありうるだろうか。


 仏教は、アドラーなんかより、はるかに奥が深い。世界が君の夢であるだけでなく、君という存在そのものが世界の夢にすぎない、と言う。君は、妄想にせよ、自分が「世界」を見ている、と思っている。だが、それは、世界が、君がそう思っている、という夢を見ているから。つまり、君は、世界が見ている夢の中の登場人物。世界がまどろみから醒めれば、君という存在そのものが消えてしまう。


 君は、「世界」の出来事に、喜び、悲しみ、笑って泣く。だが、その喜びも悲しみも、笑みも涙も、世界の一時の夢。水素と酸素、炭素、窒素にミネラル少々が、しばらくの間、人間の形となり、「仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明」として、互いにふれあい、周囲を照らし、瞬いて消えていくだけ。いずれ寿命が来て消えていく古い場末の酒場の看板のネオン灯もまた、きっとその場にあって、自分なりに「世界」を見て、喜び、悲しみ、笑って泣いているのだろう。だが、そんなことは、誰も気にしない。それ以上でも、それ以下でもない。


 人もまた同じ。大きな世界、宇宙の時間からすれば、そんな小さな発光現象が、どんな「世界」を夢見ていたか、何を喜び、何を悲しんでいたのか、など、知るよしも無い。結局のところ、ちょっと風が吹いただけ。まあ、なにごとも、あまり気にするな。大したことじゃない。


 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大 学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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